28.3.09

人間関係を「Neglect」するべからず

今日、日本から、ひとつ連載終了のご連絡をいただきました。
各国の最新情報を掲載するページで、ロンドンの最新情報を毎月拾って掲載するページで、3年くらいお世話になっていたお仕事でした。

連載終了自体は、それはそれでいいのですが、そのお知らせのメールというのが、ちょっとこう、なんといいますか、「いたたまれない気持ち」になる部分がありました。

このメール、たぶん、各国のライターさんたちに全部同じ文面で、名前の部分だけ変えて送付していらっしゃるようなんですが、

「○○さんの送ってくれるネタは特にすばらしく、○○さんの審美眼はスゴイっすよ!」

といった軽めの文章で、なんとあろうことか、最初の○○には私の名前が入っていたものの、あとのほうの○○には別のライターさんの名前が入っていたのです(爆!)。

きゃー、もうなんと言っていいやら。もちろん送ったご本人は気付かずに送付されたんでしょうけれども、これに気付いたときには、きっと顔面蒼白になること間違いありません。その気持ちをひとり想像してしまい、いたたまれない気持ちになってしまった次第です。ああ、もう、ひとごとながら、穴があったら入りたいっ。もちろん、何事もなかったかのように、「了解しました」の返信をさせていただきましたが・・・。

それにしても、クリックひとつで送れるメールっていうのは、こういう怖い一面があるんですよね。以前にもメールの怖さについて書いたことがありましたが、手紙でも電話でもメールでも、直接会うにしても、「人間関係に手を抜かない」ということこそが、原理的な鉄則である気がします。それさえ守っていれば、今回の失敗も避けられたわけで。

それで思い出すのが、うちの夫の妹です。彼女は、おそらく私が今までの人生で出会った人のなかで、最も「いい人」。兄(うちの夫)と2人の弟、自分の娘ばかりか、いとこや義理家族までも、彼女によってしっかりとつながれているような、まさにファミリーのヒンジであり、Hubです。

誕生日や結婚記念日には必ずカードをくれるのはもちろんのこと、私が日本に帰るときには出発前と、戻ってきた翌週には必ず電話をくれて、「日本の家族は、どうだった?」と聞いてくれる、そしてファミリーのなかで「誰々が病気でどこそこに入院しているから、見舞いに行った方がいい」とか、「いとこの誰々がイースターに帰省してくるから、いついつに来れば会える」とか、絶妙なタイミングで連絡をくれるのです。

そんな彼女と、いつだったか、ふたりで話をしていて、とても印象的だった言葉があります。

「私は、父親を早くに亡くしてるでしょう(彼女が20代前半の時に他界)。だから、そのときに思ったの。人はいついなくなるか分からない、だから、人間関係を『Neglect(軽視とか、看過とかいう意味)』してる時間なんてないんだなぁって」

この言葉、胸に突き刺さりました。

私はズボラなので、彼女のようにはとてもなれないけれど、今回のメール事件もあって、人間関係に手を抜いてはいけないんだ、と、改めて肝に銘じたのでした。

27.3.09

初めての歌舞伎

今日は、生まれて初めての歌舞伎を観てきました。
蜷川幸雄の演出で、演目はシェイクスピアの『十二夜』、
尾上菊之助、尾上菊五郎などの出演でバービカンで公演中です。

ものすごい人気で、数週間前に気付いた時には、
すでに本当に後ろの後ろの方、日本だったら桟敷と呼ばれる
後ろの端っこの席しか空いてなかったのですが、それでも、
かなり楽しめました。

オリヴィエ姫が織笛姫など、シェイクスピアのオリジナルの
脚本を日本風にかなりもじってあり、ほとんどオリジナルの
作品といってもよかったんじゃないかなあと思います。

途中、若干もたついて眠ってしまった部分もありましたが、
全体的にはとても楽しめました。
特に印象的だったのは、チェンバロを音楽に使っていた点です。
対位法を用いたバロック調の曲のチェンバロ演奏に、
日本の鼓という組み合わせが非常に新鮮でありながら、
以外にもしっくりなじんでいました。
(ひょっとしたらチェンバロではなく、
クラヴィコード、またはヴァージナルなのかも・・・)

東京では6月、大阪では7月に公演があるようです。
ご興味のある方は、ぜひ行ってみてください。

23.3.09

海外に住むということ

ロンドンで最初に通った英語学校で知り合った14年来の友人が
脳卒中で倒れ、今日は彼女のご両親を連れて病院に行きました。

たまたまウィーンにご旅行中だったご両親の日程を
別の友達が見つけ、連絡してくれて、日本に帰る前日に、
急きょ行き先を変えて、帰国せずにロンドンに来てくれたのです。

ご両親は英語があまり達者ではないので、
やはり誰か付き添いがいた方がいいということで、
駅で待ち合わせをして、病院まで一緒に行きました。

金曜日に二度目の手術をした彼女をお見舞いするのは、
実は、私にとって二度目でした。
金曜日の午後に別の友人がご両親を連れて見舞ったあとで、
連絡をくれて、会える状態にあることを教えてくれたので、
金曜日の夜、急いで病院に行ったのです。

ICUのベッドに横たわった彼女は、すやすやと眠っていたので、
その日は起こさずに、そのまま5分くらいベッドサイドにいて、
帰ってきてしまいました。

家族や親せきと離れ、海外に住むと、友人の大切さ、
共同体の大切さを、本当に思い知らされます。
「袖触合うも多生の縁」とはよく言ったもので、
今まで、ふとしたきっかけで知り合った人たちに、
どれだけ助けてもらったことか。

そして、私自身も微力ながらできることは惜しみなく、
人のために動いていきたいと心から思うのです。

これは、大切な友人だから、ということ以上に、
共同体意識のほうが強く働いていると思います。
これがたとえ、それほど親しい友人でなかったとしても、
同じように、ご両親を迎えにいくだろうし、
同じように付き添って通訳するだろうと思うのです。

逆に、それほど親しくない友人であっても、
自分が窮地に陥った時に手を差し伸べてくれたなら、
ありがたく、その手をお借りしてしまうだろうと思います。

そういえば、以前に旅行中に水ぼうそうになってしまった
日本人女性とたまたま知り合い、困っていらしたので、
あれこれお世話をしたり、ホテルにおにぎりを持って
お見舞いに行ったこともありました。
旅先で具合が悪くなって、気が弱くなっていたところに、
日本語で助けてくれる人がいて本当にありがたかった、
と言っていただき、微力ながら少しは役に立ったようです。

その方とも、それっきり連絡を取り合ってはいませんが、
それでいい、と私は思っています。
もしも、彼女がそれをほかの困っている人に返してくれたら、
これほどありがたいことはないです。

今日、帰り際、ベッドのなかから、
「世話かけちゃって悪いわね、ありがとう」
と弱々しい声で言う友人に、
「私の番がきたら、よろしくお願いします」
と返して、笑われました。

日本に住んでいたら、こんなふうには思わなかったかもしれません。
海外に住むって、共同体のなかにいる自分を強く意識することでもあるのです。

13.3.09

押しどころと引きどころ

ここのところ、自分は本当にクライアントさんに
恵まれているなあと思うところが大きく、
日々感謝の気持ちで仕事を進めています。

イギリスの出版社から日本の媒体をローンチしようという
プロジェクトに携わるようになって1年近くが経過。
私の企画が、思いのほか好調に進み、あれよあれよという間に
恐ろしいほどの反応のよさで、実現が見えてきてしまいました。

もちろん、このご時勢、なにがあるかわからないので、
急に頓挫することも念頭において、そうそう浮かれても
いられないことは重々承知で、わくわく感とともに、
危機感もいっぱいあることは確かなのですが・・・。

まあ、そんなわけで、昨年の夏から何度も何度も、
イギリス人のディレクターやプロジェクト・マネージャーと
ミーティングを重ねています。
特に実現が見えてきてからというもの、プロジェクトに関わる
イギリス人の数もググッと増えて、編集者やデザイナーも、
ミーティングに加わるようになりました。

日本人同士のミーティングと違って、「空気を読む」とか、
「なんとなく察する」とか、そういうことが通用しないのは、
当り前のことで、私自身もいいものを作るためには、
自分の意見は、相手にわかるようにちゃんと言わなければいけない、
ということを心掛けてきたつもりでいます。

でも、ミーティングに参加するイギリス人の数が増えて、
押されてしまう部分もあり、自分がリードしてきたはずの
プロジェクトの手綱が、ちょっとゆるんでしまったのでしょうか。
または、結局はクライアントの最終判断がプロジェクトを
動かすのだから、あまり出すぎてもいけない、という、
他力本願的な気持ちが、私のなかであったのでしょうか。

「押さえどころ」だけはちゃんと押さえておかなくちゃ、
と思いながらも、なんとなくもやもや感の残るミーティングが、
最近一度だけありました。

ミーティングの翌々日、プロジェクト・マネージャーの女性から
長い長いメールをいただき、
「なんとなく遠慮して、思うところを全部言ってないのではないか、
自分にだけはオープンに、すべて話してほしい」
という内容で、その心遣いに涙が出る思いでした。

それと同時に、そういう印象を残してしまった
自分の未熟な部分にも反省することしきりで、
ありがたいやら、恥ずかしいやら。

結局、私の方も長い長いメールで感謝の気持ちとともに、
自分の言いたかったことをなるべく客観的に書き綴りました。
そして、その結果、やはり私の提案する方向で進めることに。

こんなふうに、一外注の気配を察してフォローしてくれる
クライアントさんとお仕事できるというのは、
本当にラッキーだなー、とつくづく自分の好運に感謝するばかり。

それと同時に、もっと自分も辛抱強く、怠惰におちいらず、
自分の思うところを隅々まで言葉にしなければいけないと、
肝に銘じたのでした。
ああ、大人にならなければ。未熟すぎる、自分・・・。


7.3.09

ヘアカットに体毛の謎を思う

ようやく、ようやく美容室で髪を切ってもらいました。
3か月ぶりくらいだと思っていたら、美容師さんと話しているうちに、なんと7、8か月ぶりだったことが判明。そりゃあ、ぼさぼさのぼうぼうになるはずです。

しかも私は髪の毛が伸びるのが異様に早いのです。1か月に2センチくらいは軽く伸びます。そのうえ、髪の毛の量もはんぱじゃなく多いときている。8か月ぶりっていったら、それだけで16センチ以上ですから、洞窟から出てきた仙人のようになってしまうのも当然です。

そこで、ふと誰かに言われたことを思い出したのですが、髪の毛が伸びるのが早い、というのは、危機的な状況から体を守るために、毛でカバーしようと体が働くからであって、決して健康だから、ということではない、らしい・・・と。ジャングルとかで育つと髪が伸びるのが早いとか、そういうことらしいんです。

それで、あっ、と思ったのが、私の場合、体毛も猿のようで、私より毛深い日本人女子には会ったことがありません。トルコ人男性とか、ああ、こりゃ完敗、という人もたまにいますが、女子部門では国際試合でも、かなりいい線いける自信があります。

それで、この髪の毛説、体毛にもあてはまるんじゃないかと思うのです。これって、自己防衛本能の強さの現れなんじゃないか、とか。

確かにうちの夫なんて、髪もうすいですが(これは次第にだけど)、足の毛なんかも、私よりもはるかにない。で、地下鉄のホームでも黄色い線の外側に立っちゃったりするんです。私は、といえば、しっかり下がって、誰からもぶつからないポジションをキープしたいほう。

ほら、自己防衛本能と体毛の関係、証明できそうな気がしませんか。ただいま、ケーススタディ募集中です。