...and Nice and Lovely Tiny Things.
ロンドンでの生活、取材裏話、日々思うこと、小さな発見などなど、KRess Europe(クレス・ヨーロッパ)の代表KYOが綴ります。目指すは「役には立たんが、ちょっとおもしろい」ブログです。
19.2.08
女きょうだい・男きょうだい
社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ
取材の帰りに、カメラマンさんと一緒にランチをしていて、
ふと兄弟の話になった。
彼女は2人姉妹の下で、2つ年上のお姉さんがいるという。
いっぽう私は、4つ年下の弟とふたり兄弟なので、
女兄弟というものを知らずに育ってきた。
大人になって、結婚を期に義理の妹が2人できたのだが、
おもしろいことに、彼女たちも女兄弟は義理姉妹だけ。
弟の奥さんは、兄と弟にはさまれた3人兄弟の真ん中。
うちの夫の妹は、兄(うちのダンナ)、弟2人という4人兄弟。
血のつながった姉妹を知らないせいかもしれないが、
大人になってできた女兄弟が嬉しくて仕方がない。
一緒にご飯に行ったり、電話で無駄話をしたり、と楽しい。
そんな話を、ランチを食べながら
カメラマンさんに話したところ、彼女のほうは、
結婚して、ダンナさんの弟さんに
「お姉さん」と呼ばれるのが不思議な感覚なのだそう。
「だって、私より大きな体して、
立派なお仕事されている大の大人の男の人が、
『お姉さん』って言うんですよ~」
なるほど。
立ち位置によって、本当、見え方はそれぞれですね。
18.2.08
コソボの独立とセルビア人の行方
社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ
リージェント・ストリートに買い物に出かけた。
いたるところでクラクションが鳴らされ、かなりカオスな状態。
サッカーW杯でイタリア戦があったときに、
たまたま居合わせたヴェローナもそうだったけれど、
お祭騒ぎとも、暴動の始まりとも取れる、おかしな躁状態を感じさせる。
町行く人の手や、車には、赤字に黒の鳥の旗。
アルバニアの旗のようだ。
今日、2月17日、独立宣言をしたコソボを祝う騒ぎだった。
ご存知のようにユーゴスラビア紛争の一部として、
コソボは、90年代後半にかけて、
NATOの空爆も巻き込んでの大紛争の舞台となった。
アルバニア人が90パーセント以上であるにもかかわらず、
スラブ系のセルビア人の支配下に置かれていたことを考えると、
独立は、ごく自然な流れではあるのだろう。
以前にたまに行っていたカフェで働いていた青年が、
コソボの出身で、
「家族旅行でコソボを離れていたときに紛争が始まり、
それ以来、家に帰っていない」と話していたのを思い出す。
さて、コソボの独立そのものは、祝福するべきことだとしても、
気になるのが、コソボの人口の7%にあたるセルビア人の立場だ。
一昨年、EUに加盟したばかりのラトビアに小旅行に行った。
バルト三国の一部であるラトビアは、
ロシアの支配下にあった期間が長く、
旧共産圏の面影もいまだとどめている。
町の人からちょっと話を聞いたところによると、
ラトビア人とロシア人との確執と人権は、
そのときどきの政治的な動きに左右され、
以前は差別する側に立っていたロシア人は、
パスポートすら発行してもらえない、という状況にあるらしい。
コソボにいるセルビア人が、このラトビアにいるロシア人と
同じような運命をたどるのではないかと、ちらりと思う。
過渡期は、まだきっと終わってはいない。
リージェント・ストリートに買い物に出かけた。
いたるところでクラクションが鳴らされ、かなりカオスな状態。
サッカーW杯でイタリア戦があったときに、
たまたま居合わせたヴェローナもそうだったけれど、
お祭騒ぎとも、暴動の始まりとも取れる、おかしな躁状態を感じさせる。
町行く人の手や、車には、赤字に黒の鳥の旗。
アルバニアの旗のようだ。
今日、2月17日、独立宣言をしたコソボを祝う騒ぎだった。
ご存知のようにユーゴスラビア紛争の一部として、
コソボは、90年代後半にかけて、
NATOの空爆も巻き込んでの大紛争の舞台となった。
アルバニア人が90パーセント以上であるにもかかわらず、
スラブ系のセルビア人の支配下に置かれていたことを考えると、
独立は、ごく自然な流れではあるのだろう。
以前にたまに行っていたカフェで働いていた青年が、
コソボの出身で、
「家族旅行でコソボを離れていたときに紛争が始まり、
それ以来、家に帰っていない」と話していたのを思い出す。
さて、コソボの独立そのものは、祝福するべきことだとしても、
気になるのが、コソボの人口の7%にあたるセルビア人の立場だ。
一昨年、EUに加盟したばかりのラトビアに小旅行に行った。
バルト三国の一部であるラトビアは、
ロシアの支配下にあった期間が長く、
旧共産圏の面影もいまだとどめている。
町の人からちょっと話を聞いたところによると、
ラトビア人とロシア人との確執と人権は、
そのときどきの政治的な動きに左右され、
以前は差別する側に立っていたロシア人は、
パスポートすら発行してもらえない、という状況にあるらしい。
コソボにいるセルビア人が、このラトビアにいるロシア人と
同じような運命をたどるのではないかと、ちらりと思う。
過渡期は、まだきっと終わってはいない。
7.2.08
「CREA」2008年3月号
社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ

現在発売中の「CREA」2008年3月号(文藝春秋)の
「アロマからバレエまで憧れお稽古の聖地イギリスへ」の
取材・執筆を担当しました。
よろしかったら書店でお手に取ってみてください。

現在発売中の「CREA」2008年3月号(文藝春秋)の
「アロマからバレエまで憧れお稽古の聖地イギリスへ」の
取材・執筆を担当しました。
よろしかったら書店でお手に取ってみてください。
「アットリビング」2008年春号
社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ

現在発売中の「アットリビング」2008年春号
(ネコ・パブリッシング)の表紙の写真、
および「気持ちよくゲストが過ごせる部屋づくりのお手本」の
取材・執筆・撮影を担当しました。
よろしかったら書店で手に取ってみてください。

現在発売中の「アットリビング」2008年春号
(ネコ・パブリッシング)の表紙の写真、
および「気持ちよくゲストが過ごせる部屋づくりのお手本」の
取材・執筆・撮影を担当しました。
よろしかったら書店で手に取ってみてください。
1.2.08
またひとり、大切な人が・・・
社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ
今日はとてもショックなことがありました。
夕方ロンドンEショッピングのオフィスを
出ようとしているときに、レターボックスに、
手で入れられた手紙があるのに気づきました。
明らかに私たちが借りている
オフィスビルの会社からの封筒だったので、
家賃の請求書の時期にしてはおかしいな、
と思いながら、封を開けると、
とてもショックなニュースが入っていました。
オフィスビルを管理していたマネージャーが、
ホリデー先のエジプトで亡くなったのです。
しかも、今日・・・。
彼女のことは、このブログでも、何回か書いてきました。
http://blog.livedoor.jp/kress_director/archives/2007-05.html#20070501
http://blog.livedoor.jp/kress_director/archives/2007-03.html#20070320
彼女がどういう状況で亡くなったのか、
詳細はまったくわかりません。
彼女は持病を抱えていたので、それも関係しているのかもしれません。
ただ、私にとっては、オフィスでの頼れる母さん、
みたいな存在だったので、
頭をハンマーでがつんとやられたようなショックでした。
最後に会ったのは、彼女がホリデーに行く前の18日です。
そのときは、今回3回目というこのナイル川クルーズを
どれだけ楽しみにしているか、パッキングをなにもやってない、
でもTシャツだけあれば、大丈夫よね、パスポートは切れてないし、
というような、他愛もない、
あまりにイノセントな話をしていたのでした。
当然のことですが、彼女が帰らぬ人になるとは、
思ってもみなかったことです。
いつかまた、自分自身でオフィスを持つことがあるとしたら、
また、彼女のビルに戻ろう、と思っていたのですが、
彼女なき今、帰る場所をなくしたような寂しさがあります。
帰ろうとしていたのに、おもわず手紙を手に戻り、
ひとり、ロンドンEショッピングのオフィスで、
ぼーっとしながら、「人はなぜ死ぬのだろう」などという
幼稚で青臭くて、決して答えのでない疑問について、
ぐるぐると頭のなかで考えていました。
まだ50代なかばだったオードリー。
今はせめて、彼女が大好きなエジプトの地で、
楽しいホリデーの最中で亡くなったのだ、
というふうに思いたい。
そして、心からの感謝を捧げます。
今日はとてもショックなことがありました。
夕方ロンドンEショッピングのオフィスを
出ようとしているときに、レターボックスに、
手で入れられた手紙があるのに気づきました。
明らかに私たちが借りている
オフィスビルの会社からの封筒だったので、
家賃の請求書の時期にしてはおかしいな、
と思いながら、封を開けると、
とてもショックなニュースが入っていました。
オフィスビルを管理していたマネージャーが、
ホリデー先のエジプトで亡くなったのです。
しかも、今日・・・。
彼女のことは、このブログでも、何回か書いてきました。
http://blog.livedoor.jp/kress_director/archives/2007-05.html#20070501
http://blog.livedoor.jp/kress_director/archives/2007-03.html#20070320
彼女がどういう状況で亡くなったのか、
詳細はまったくわかりません。
彼女は持病を抱えていたので、それも関係しているのかもしれません。
ただ、私にとっては、オフィスでの頼れる母さん、
みたいな存在だったので、
頭をハンマーでがつんとやられたようなショックでした。
最後に会ったのは、彼女がホリデーに行く前の18日です。
そのときは、今回3回目というこのナイル川クルーズを
どれだけ楽しみにしているか、パッキングをなにもやってない、
でもTシャツだけあれば、大丈夫よね、パスポートは切れてないし、
というような、他愛もない、
あまりにイノセントな話をしていたのでした。
当然のことですが、彼女が帰らぬ人になるとは、
思ってもみなかったことです。
いつかまた、自分自身でオフィスを持つことがあるとしたら、
また、彼女のビルに戻ろう、と思っていたのですが、
彼女なき今、帰る場所をなくしたような寂しさがあります。
帰ろうとしていたのに、おもわず手紙を手に戻り、
ひとり、ロンドンEショッピングのオフィスで、
ぼーっとしながら、「人はなぜ死ぬのだろう」などという
幼稚で青臭くて、決して答えのでない疑問について、
ぐるぐると頭のなかで考えていました。
まだ50代なかばだったオードリー。
今はせめて、彼女が大好きなエジプトの地で、
楽しいホリデーの最中で亡くなったのだ、
というふうに思いたい。
そして、心からの感謝を捧げます。
登録:
投稿 (Atom)