16.4.14

白と黒のクロアチア

5年ほど前に、日本でちょっとしたブームがあって、たくさんのパッケージツアーが出回ったことや、直行便はないけれど、某航空会社が欧州の航空会社とのコードシェア便を熱心にプロモーションしているのか、多くの日本語ガイドブックが刊行されていることを、まったく知らなかったのです、私。

だから、市内バスの前の座席に、たまたま20代の今風のふたりの日本人女子が座って、手にしていた「カワイイものいっぱい♡」な感じのガイドブックシリーズの「クロアチア」と書かれた表紙が、座席と座席の隙間から見えたときには、度肝を抜かれました。

私にとってのクロアチアのイメージは、まずは記憶にまだ生々しい紛争の舞台となった国であること、アドリア海の美しい風景、世界遺産がたくさんあること、という感じだったので、「カワイイものみーっっけ♡」なガイドブックと旅行者にちょっと違和感を感じたのですね。それと、パリや北欧ならまだしも、どこもかしこも「カワイイもの♡」でぶった切る文化に、軽い嫌悪感を覚えたのも本当のところです。

そんなわけで、前置きが長くなりましたが、4月の頭に休暇をいただいてクロアチアに行ってきました。拙ブログでは「カワイイ」クロアチアに対抗して、全編モノクロ写真でお送りしたいと思います(笑)。

まずは、ロンドンから「アドリア海の真珠」と呼ばれる、壁に囲まれた街ドゥブロヴニクに飛びました。

ケーブルカーで山の上まで行って、そこから撮った風景。
この日はけぶってましたが、壁に囲まれているのがわかるでしょうか。

モノクロの写真からはまったくわからないと思いますが(笑)、オレンジ色の屋根がぎゅうぎゅうと詰め込まれた感じの、かわいらしい街です。現在ではすっかり再建されていますが、91年のユーゴスラビア崩壊にともなう紛争の際には、街は半壊し、いまでも、東側の入口にあたるプロチェ門の脇には、どの部分が破壊されたのかがわかる地図が掲げられています。街を取り囲む城壁は、約2キロ。壁の上をぐるりと一周歩くことができます。

ドゥブロヴニクはトリエステポルト同様、私好みの洗濯物のはためく階段だらけの街で、どこを歩いても心躍る風景に出会うことができます。

こういう坂道がいっぱいなのです。

いろんなところから、こんにちは。

あっちこっちで、リラックスした様子のネコたち。

ドゥブロヴニクは美しい街ですが、クロアチア一物価が高いことでも知られているそうです。なんと、クロアチアのほかの街に比べると、その物価は、1.5倍とも2倍とも言われているとのこと。レストランでの食事も、相場はロンドンと同じくらいか、またはちょっと高いかくらいの印象でした。

さて、そんな美しくも高いドゥブロヴニクで3泊したあと、南西に向かう長距離バスに乗り込み、クロアチア第2の都市スプリットを目指しました。

ドゥブロヴニクからスプリットまでは、バスで4時間半。ドゥブロヴニクやスプリットのあるアドリア海に添って南側に延びるダルマチア地方は、一ヵ所ボスニアに分断されていて、たった8キロのボスニア領をはさんで、バスは2度、国境越えをしなければいけません。道路上に青い小屋の並ぶ、まるで高速道路の入口のような関所があり、ここで、バスのなかにボスニアの警察官が入ってきて、乗客全員のパスポートをチェックします。そして、8キロ先の国境で、再度、同様にパスポート・チェックが行われるのです。

スプリットから、フェリーに乗って40分、アドリア海に浮かぶブラチという島に向かいました。ロンドンで近所に住んでいて仲良くしていた友人夫婦が、5年ほど前に、このブラチに移住したのです。フェリーを下りると、彼らがすでに待っていてくれて、かつて北ロンドンでしたのと同じように、お料理上手な彼女の食事を囲んで、夜遅くまで喋ったり歌を歌ったり(笑)、昼間は海沿いをいつまでもだらだらと散歩したり、のんびり楽しい3日間を過ごしました。

この写真からはまったくわからないと思いますが(笑)、アドリア海の海の色は深い深い青でした。

シーズンオフということもあり、ドゥブロヴニクとはまったく違って、観光客はまだ皆無。村の人々は全員、互いに知っているという空気があり、久しぶりに自分が外国人であることを意識しました。なんというか、本当に久しぶりに、人から見られている、という感じがするのです。同じ外国人として生活していても、ロンドンでは感じたことのない感覚です。

これが、田舎の島だからなのか、はたまた旧社会主義国のもつなにか、なのか、それは私にはよくわかりません。でも、友人カップルがこの島に家を買って改装しているときにあった、こんなエピソードを話してくれました。

彼らが家を買ったのは、まだクロアチアがEUに加盟する前の5年ほど前のこと。いまよりもずっと購入の手続きは複雑だったそうなのですが、ようやく所有者としての手続きを終え、地元のビルダーさんにお願いして、家の改装を始めたそうです。改装というと聞こえはよいですが、はっきり言って、これは遺跡と言った方がよいのでは、というような状態の「家」で、壁も天井も屋根もやり直さないといけないような大がかりなものです。所有権を得てから、ほぼ2年間、彼らはロンドンから時々やって来ては、進捗状況を確認する日々だったとのこと。

さて、この大がかりな改装工事、前述のように村では誰もが知っている地元のビルダーさんが仕切って、必要に応じて彼が人を雇って、作業を進めました。あるとき、友人夫婦がたまたまロンドンから様子を見に来ているときに、ふたり組の警察官が家にやって来て、「この家の所有者はあなたたちか?」と言う。ふたりが「そうだ」と答えると、「この紙に、あなたたちの名前と住所と、あなたたちの父親の名前と住所を書きなさい」と書類を突き出されたそうです。

改装作業をしていたビルダーのひとりが裏の窓から逃げてしまったのは、友人夫婦が意味もわからず、自分とそれぞれのお父さん(!)の名前と住所を書いている間のことでした。逃げ去ったのは、ボスニア人の不法労働者です。

これがどういうことか、というと、どうも近所の誰かが、この家の改装工事を観察しているうちに、ここでボスニア人が働いているらしい、と警察に通報した、という顛末のようなのです。「誰もが互いを知っている」この村の、しかも目の届く範囲の隣人が、です。人の心にすり込まれた、社会主義のメンタリティは、早々簡単に変わるものではない、ということなのでしょうか。

閑話休題。

ブラチ島には、美しいビーチと港がたくさんあり、3日間ではとてもとてもすべてを見て回ることはできず、再訪を誓いました。

ブラチ島のミルナという港の村で。
ここに来るまでのバスの旅は、めまいがするほど美しい風景の連続でした。

海の底にウニがゴロゴロと…!

最終日は、スプリットの空港にほど近い、やはり壁に囲まれた小さな島、トロギールに1泊しました。ガイドブックを見て、トロギールにはぜひ行ってみたかったので、「よしっ、観光するぞ!」と腕まくりしたのも束の間、あっちもこっちも観光名所の扉は固く閉ざされています。なんと、このシーズンは、大聖堂以外のすべての観光名所は、朝の3時間しかオープンしていないそうです(ショック)。またしても再訪決定です。

大聖堂の鐘楼から見たトロギール。

カトリックとセルビア正教会とイスラム教と、複雑な歴史のなかで奪ったり奪われたりの繰り返しをくぐり抜けてきたクロアチア。難解でありながら、美しいカリグラフィを読み解くような深遠なおもしろさのあるところ。時間をかけて、何度も訪れて、少しずつ仲良くなっていきたい、そんな場所です。

トロギールの大聖堂で。