25.12.13

Merry Christmas and A VERY VERY x ∞ Happy New Year!

Happy Christmas!


今年のロンドンは、嵐だの大雨だの荒れている割には、寒くならず、現在も8度という暖かさです。

そのせいか、まったくクリスマスという気分にはなりませんが、年の瀬であることには間違いありません。

今年も、いろいろありました。残念ながら主に悪いことでしたが……でも、振り返るとそのなかにも、幸せに思い出せる出来事も、少しだけど確実にありました。

来年は、もう少し、運が巡ってきてくれるといいなぁと願うばかりですが……皆様の2013年はいかがでしたでしょうか。

なにはともあれ、今年もこのときを無事に迎えられたこと、それだけでも十分にラッキーなのですよね。

Peace on Earth.
皆様のもとにも、すてきなクリスマスと2014年が訪れますように☆

来年もよろしくお願いいたします。


20.12.13

財布はダメ

愛用の………。

どのブログのプロバイダーも多少なりとも、アクセス数とか、どの記事がどのくらい読まれているかといった、データがわかる便利な機能がついていると思います。

私が使っているBloggerにも、そういう統計がわかる画面があって、ふだんあんまり気にしていないのですが、ときどき見ると、意外にも「えっ、いまごろこの記事が?」と思うような過去のポストを読んでいただいているようで、びっくりします。

ここ1ヵ月くらい、「二つ折りのお財布はダメ」というタイトルの2007年に書いたポストがなぜか多くの方に読まれているようです。

風水的にはお札を持ち歩くのには、お札がのびのび手足を伸ばして、「ああ、ここにずっといたい」って思うような、長財布を持つのがいいらしいですよ、という内容なんですが、これだけ読むと、いかにも私が長財布を愛用しているように見えて、なんか嘘をついているような気がしてイヤなので、私の最新お財布情報を書くことにしました。

たぶん、皆さん、興味ないとは思いますが……でも、書きます(笑)。

いまの私のお財布(もどき)は、上の写真(↑)の小銭入れひとつです。

今年の前半まで、私が右腕のしびれに悩まされていたことは、前回のポストで書いたとおりで、それを機に、バッグを持つのをやめたところから、このお財布なし状態が始まりました。

以前は長財布に、がっつりと、テスコ、センズベリー、ブーツ、三越、カフェネロなどなどなど、ストアカードやポイントカードをいっぱいに入れて、お金以外のものが相当重い状態だったのですが、それらを一切、持ち歩くのをやめました。

考えてみたら、毎日これらの店すべてに行くわけでもあるまいし、なにが嬉しくて、こんなに無駄なものをごっそり持ち歩いていたのだろう、といまとなってはゾッとします。

持ち物としては、パスケース(首からぶら下げられるタイプ)、鍵、携帯、この小銭入れ、この4つがあれば、私の外出なんぞ、9割方ことたりるのです。

とにかく身軽に。モノを身に着けない。そう決めたら、ものすごく快適になりました。

「二つ折りの財布はダメ」と矛盾していて、大変恐縮ですが、モノなんて持たないに越したことはないです。

もちろん、お札を持ち歩くときは8つ折りでこの小さな小銭入れにムリヤリ入れるか、または裸のまま二つ折りでポケットに。

お札にとっては、不快この上ないこの状況、当然、お金は貯まりません。

が、いいんです。お金が貯まらなくても、快適に軽快に歩ける方が、いまの私にはハッピーなことに思えるのです。

また、長財布を持ち歩くようになったら、ここでご報告します。誰も興味ないと思いますけど、でも、書きます。






17.12.13

セカンド・オピニオンに関する個人的な経験について。

ペンザンスもランズ・エンドも、とにかくよく歩いた旅でした。


11月の中旬に、4泊5日(寝台車一泊も含む)でコーンウォールに行ってきました。私も年をとるごとに、いつもは時の流れるスピードに圧倒されるばかりなのですが、このコーンウォールの旅行は、たった1ヵ月前のことなのに、あれからもう1年くらい経ってしまったような気がします。

この旅の間に、ペンザンスのギャラリーで会して談笑したふたりの人が、この一ヵ月の間に、続いて心筋梗塞を患いました。ひとりはこの世を去り、ひとりは幸いこちら側に留まることができました。

たった10日前にあんなに元気に、幸せそうにしていた人が、ある朝ベッドのなかで冷たくなっていたという話を聞いて、本当に人生はなにが起こるかわからないし、一日一日が、実は、終わりに向かうカウント・ダウンなんだなぁと、考えずにいられませんでした。

スティーブ・ジョブスが語った「今日が自分にとって最後の日だったら、自分はこれからしようとしていることをするだろうか、と、毎朝鏡のなかの自分に自問する。いつかその日は本当に来るのだ」という言葉が、いままでよりも重みを増したのも、この1ヵ月のことです。

これから私が書こうとしていることは、この1ヵ月に私が考えた生と死の境界線のこととは、直接的には関係ありません。直接的には、と但し書きをつけたのは、間接的には大いに関係していると思うからです。

私自身の話になりますが、去年の暮れから、今年の前半にかけて、原因不明の右腕のしびれに悩まされていました。

最初は、軽いピリピリというしびれだったのが、だんだんひどくなり、腕が重くだるくなり、鞄を持つのが辛くなって、鍼治療に通ったりもしました。鍼は、治療してもらったときは、一瞬少しよくなったような気がするのですが、数日後にはまたもとにもどってしまいます。

病院にも行きましたが、特に異常はないので、筋肉を弛緩させて痛みを和らげる薬を処方してあげるから、それを飲みながら、理学療法に行ってみたら、というアドバイスを受けたのみ。原因もわからないのに、間に合わせ的に薬で筋肉を弛緩させることには抵抗があったので、結局薬は飲まず、ヨガに通って、症状を和らげるだけでごまかしていました。

このしびれがきれいに消えたのは、6月に右側奥歯の根幹治療が完了したときのことです。治療の最中に、右腕がビンビンとしびれて、驚いたのですが、歯が治ると同時にしびれもとれたので、おそらくなんらかの関係があったのだろうと思います。

私はもともと歯が弱く、日本でも歯医者ジプシーを繰り返して、二桁の歯医者さんにかかりましたが、ロンドンでは3人目の歯医者さんが大当たりで、10年以上にわたって同じ先生に治療していただいていました。この先生が一昨年、引退されて、次の先生に引き継がれてから、ちょっと疑問に思うところがいくつかあり、最終的にこの歯医者さんでこの奥歯の根幹治療に失敗し、抜歯してインプラントしかない、と宣告されてしまったのです。歯が欠けてしまったので、以来、左側だけで噛むようになりました。それが、ちょうどしびれの始まる数ヵ月前のことです。

根幹治療が失敗したとはいえ、まだ半分くらいは残っている歯を抜いてしまってよいのか、すごく迷った結果、知人が何十年もかかっているという歯医者さんを紹介してもらい、門を叩きました。新しい先生には、ダメかもしれないけれど、もう一度、彼らと提携のある根幹治療の専門医に診せたほうがいいのでは、とアドバイスされ、専門医の先生にかかること4回ほどで、今年の6月、一度は諦めた歯の根幹治療が完了したのです。腕のしびれがなくなったのは、この頃のことです。

その後、様子見期間とアフターフォローのチェックアップがあって、今日、無事に差し歯が入り、両側で噛める喜びを、「文字通り」噛みしめました。

一方で、私の父は10年ほど前に癌で亡くなったのですが、戦争経験のある私の親世代にありがちな、ひとりのお医者さまにかかったら、別の医者に「浮気」するなんて、とんでもない、と考えるタイプでした。

ほかでセカンド・オピニオンをもらっていたら、結果が変わっていたかのかどうかは、いまとなっては知る由もありません。心のなかでは、どこかでセカンド・オピニオンをもらってほしい、と、娘としての私は、もちろんそう思っていましたが、親であってもひとりの大人として、彼が自分で判断して決めたことを尊重したいという気持ちがあり、私の気持ちをひとりよがりに押しつけることはできませんでした。一部の人にとっては、そういう私の態度は「冷たいもの」に映るかもしれませんし、それを否定する気持ちもありません。

ただ、なにが正しいとか、正しくないとか、答えのないものに対してジャッジメンタルになるのは、私には不毛なことに思えますし、ときに正しいか正しくないかは別として、まるごと受け入れなければならないこともあるんじゃないかなぁと思うのです。

私の場合は、本当にあのときに諦めて抜歯してインプラントにしなくてよかった、と思える結果でしたが、それもとりあえずいま思っていることで、もしかしたら、来年はインプラントのために別の歯医者さんに通っていることが、ない、とも言い切れません。

どういう選択をするにしても、できるだけ後から後悔しないように、今日という日がカウント・ダウンされて、もう戻ってこない一日だということを心に刻んで、まだこちら側にいる人間は、一日いちにち、生きていかないといけないなぁ、と、心から思う今日この頃です。来年の夏のプランをいきいきと語っていた、その人に、その夏が訪れないこともある、という単純な事実に、正直なところ打ちのめされました。


コーンウォールで、自分のおみやげ用に買ったカード。
上が陶芸家のバーナード・リーチ。下がミナック・シアターをつくったロウェナ・ケイドです。
ロウェナ・ケイドは、今後の私の人生において、心のメンターになりそうな予感……。


※歯医者さんについては、お友だちのまぁちゃんも、興味深い記事をブログにアップしていました。こちらもぜひ




















10.12.13

新しくなったケンウッド・ハウス

広大なハムステッド・ヒースの北側に立つケンウッド・ハウス
(写真をクリックすると少し大きい画像がご覧いただけます)


現在、体調を崩して、年内は自宅療養が決定してしまった夫。お医者さんから、毎日歩くように推奨されているため、私も散歩につきあうようにしています。

今日は、ちょっとがんばって、ハムステッド・ヒースのケンウッド・ハウスまで、足を伸ばしてみました。

ケンウッド・ハウスは、18世紀の貴族の邸宅で、このほど600万ポンドもの費用と1年半の期間を費やした改装工事を終えて、11月末に新装オープンしたばかり。

美術館と呼ぶには、ちょっと地味な存在かもしれませんが、ゲインズバラ、レノルズ、フェルメール、レンブラント、ターナー、ヴァン・ダイクと、すばらしい絵画のコレクションを擁している穴場的な存在で、しかも、イングリッシュ・ヘリテージの管轄でありながら、入場料無料なのです。

資料を見ていると、1925年にケンウッド・ハウスを買い取ったのは、一代目アイヴァ伯爵、エドワード・ギネス……とあります。そうなんです、ギネスといえば、あのギネス。アイヴァ伯はアイルランドのビール会社を営む一族のひとりで、ギネスの社長、会長も務めてた人物です。このアイヴァ伯が持っていたコレクションに、18世紀後半の英国の肖像画や、17世紀のオランダ、フランドルの絵画も数多く含まれていたということのようです。



ライブラリー。ここの天井がまたみごとなのです。


アイヴァ伯は、ケンウッド・ハウスを購入したわずか2年後の1927年に亡くなり、本人がここに住むことは叶わないままだったようです。彼自身の遺言により、ケンウッド・ハウスとコレクションのほとんどが国に遺贈されたとのことで、レンブラントの自画像、フェルメールの「ギターを弾く女」や、英国人画家ターナー、レノルズ、ゲインズバラなどの作品は、アイヴァ伯のコレクションからのものだそうです。


ライブラリーをタテのパノラマで撮るとこんな感じです。タテのパノラマって難しい(汗)。

アイヴァ伯のコレクションのほかに、サフォーク伯によって収集されたサフォーク・コレクションも、後年になってケンウッド・ハウスに納められ、これによってヴァン・ダイク、ウィリアム・ラーキンの作品もケンウッド・ハウスに加わりました。また、ケンウッド・ハウスのかつての持ち主であるマンズフィールド伯爵家の家具をはじめとするコレクションも、ケンウッド・ハウスに戻ってきて、展示品はますます充実しています。


オランジュリーは、子どもたちのプレイルームの役割。
おもちゃや教材がいろいろある。


世界の巨匠たちの絵画に囲まれて過ごす午後のひととき。あまりに贅沢。お天気のよい日に、ヒースのお散歩とセットで訪れられることをおすすめします。


ケンウッド・ハウスの脇にはベンチが並んでいます。

Kenwood House
Hampstead Lane, London NW3 7JR
開館時間:10:00〜17:00





9.12.13

「加藤節雄写真クラブ」会員写真展 2013

カーナビー・ストリートのクリスマス・イルミネーション。
今年のテーマは「ロビン」のようです。

時は恐ろしいほどのスピードで流れ、早くも12月です。

この期に及んで、ドタバタすることばかりで、なんだか「なぁなぁ」に年が暮れていく感があるなか、遅ればせながら、ではありますが、ひとつだけ告知です。

昨年もお知らせしました、「加藤節雄写真クラブ」会員写真展が今年も、12月いっぱい、日本食レストランSOHO Japanさんで開催されています。

SOHO Japanさんは、ベイカー・ストリートの駅の目の前に引っ越しされて、ますます便利になりました。

今年は、レストランのフロアの壁の一面をお借りして、会員の写真十数点が展示されています。

展示準備風景。クリックするとちょっと大きくなります。

12月中に、SOHO Japanさんでお食事される機会がありましたら、南側の壁にもぜひご注目いただけたら幸いです。


「加藤節雄写真クラブ」会員写真展
Soho Japan Restaurant
195 Baker Street, London NW1 6UY
http://www.sohojapan.co.uk/

火〜土 12:30〜14:30 / 17:45〜22:30
日 12:30〜14:30 / 17:45〜22:00

24.11.13

一保堂茶舗の日本茶マスタークラス


会場となったソザイ料理教室。

京都のお茶屋さん一保堂茶舗による、「日本茶マスタークラス」に参加してきました。

私が参加したのは、「プレミアム・フレキシブル・クラス」で、さまざまな種類の日本茶について、総合的に教えてくれる、というクラスでした。

いままで、紅茶の雑誌の企画などに関わった経験から、紅茶のマスタークラスには参加したことがありましたが、日本茶についてちゃんと教えてもらうのは初めてのこと。わくわくしながら、会場であるソザイ料理教室に向かいました。

受講者ひとりひとりの前にお茶のセットと資料が並べられています。

クラスでは、スライドを使いながら、茶葉の栽培法の違いがお茶の味にどのような影響を与えるか、抹茶、玉露、煎茶、番茶の違いなどの説明があり、また、一保堂茶舗さんが扱っているお茶を使って、種類別のおいしいお茶のいれ方の実演がありました。

茶畑には、屋根のある「覆下園」と屋根のない「露天園」があるという解説スライド。

生まれて初めて、お抹茶をたてることにも挑戦しました。

まずはカリカリと茶こしを使って、抹茶をふんわりサラサラのパウダー状に。

長くかき混ぜすぎると渋みが出たり、フォーム状にしない「泡なし抹茶」など、たて方によって、味が変わるのも驚きでした。

Wの字を書くように勢いよくバシャバシャ10秒、
表面をサラサラなでること5秒が基本だそうです。

一保堂茶舗さんで扱っている最高級の玉露の第一煎は、お茶というよりは、まるでお出汁! うまみをそのままいただいている感じです。茶かすと呼ぶには申し訳ないような、急須に残った茶葉も、そのまま食べられるくらいおいしかったです。まるで野菜のようでした。

この日のためにSoレストランのパティシエの方が、特別にこしらえたというお菓子の数々も美味でした♡

玉露、煎茶、番茶とそれぞれ、適切なお湯の温度と抽出時間が異なることとか、お茶を湯飲みにいれる際に、急須を揺すってはいけないこととか、知らないことばかりで、とても勉強になりました。

お馴染みの包装紙に包まれたお茶や道具の販売もありました。

一保堂茶舗さんのお茶は、基本的にどの種類も三煎まではおいしくいただけるとのこと。私もほうじ茶と煎茶を購入して、教えていただいた「正しいいれ方」を遵守して、ここ数日はおいしい日本茶ライフを満喫しています。


講師の方が身に着けた、お茶の色のエプロン。もう一種類グリーンのエプロンもあるそうです。

<ソザイ料理教室>
https://www.sozai.co.uk

<一保堂茶舗>
http://www.ippodo-tea.co.jp
※一保堂茶舗さんのウェブサイトには、かわいらしいイラスト付きで、お茶の淹れ方も解説されています。ご興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。



10.11.13

白いポピー

こんな白いポピーがあるのをご存知でしょうか。

11月11日の英霊記念日に向けて、ロンドンの街にポピーの花が溢れるこの時期は、毎年自然と戦争について考えてしまう、英国にとって、日本の8月初旬のような季節です。
(ポピーの花と英霊記念日との関連については、一昨年のこちらのポストをご参考までに)

振り返ってみると、去年一昨年も戦争に関することをブログに書いていました。

先日、スタンステッド空港で小銭をポピーアピールの募金箱に寄付したら、「ぜひポピーを持っていってください」と言われました。「いえいえ、けっこうです」と言ったのですが、典型的な英国人紳士(に見えるこの男性)、「I insist...(まぁ、そうは言わずに…みたいなニュアンス)」とこれまた典型的な英国的受け答え。ありがたくひとつ受け取って、胸につけました。

私は戦争で傷ついたり亡くなったりした、すべての方に対して心から同情はしますし、痛ましい気持ちにはなりますが、第二次大戦では敵国であった日本から来た私が、英霊記念日に向けて赤いポピーの花を胸につけるのは、どうなんだろう、という複雑このうえない思いがあり、いままで募金はしても胸にポピーをつけたことはありませんでした。

そんな話を、11月第2日曜日、英霊記念の式典が行われる日曜日の今朝、夫にしたところ、「英国人のなかにも、そういう人はけっこういて、白いポピーを胸につけている人がいるよ」と言うのです。

そこで、さっそくネットで調べてみたところ、白いポピー・キャンペーンは、戦争で命を落とした英国兵、さらに自国、敵国をわけず、戦争で命を奪われたすべての市民に対する哀悼の思いと、明確な「反戦支持」を意味し、1933年に始まったものだそうです。英国の非政府組織の反戦団体である「Peace Pledge Union」が運営しています。

Peace Pledge Unionのウェブサイトを見ていたら、白いポピーのリースを記念碑に手向ける式典が正午からタビストック・スクエアで行われたとのことだったので、ちょっと見に行ってきました。

ラッセル・スクエアの北側にある公園です。

私が到着したときには、すっかり式典も終わって、人もまばらな静かな公園でしたが、式典の名残はちゃんと残っていました。

戦争で戦った人、ではなく、戦わないことを選んだ人々を讃える石碑の下に、白いポピーのリースが置かれています。

石碑には、「TO ALL THOSE WHO HAVE ESTABLISHED AND ARE MAINTAINING THE RIGHT TO REFUSE TO KILL」とあり、「Conscientious Objectors」を讃えるもののようです。「Conscientious Objectors」は、日本語にすると「良心的兵役拒否者」と、あまり聞き慣れない言葉ですが、Wikipediaによると「良心的兵役拒否」の項で、以下のような説明がなされています。

「国家組織の暴力、とりわけあらゆる形態ないしは特定の状況下の戦争に参加することや義務兵役されることを望まないこと。当人の良心に基づく信念であり、拒否した者を良心的兵役拒否者 (conscientious objectors, CO's) という」

もちろん、英国でも大戦中に召集を受けたら拒否することは許されなかったわけで、徴兵されることよりも投獄されることを選んだ人々、ということになります。

反戦をうたう、メッセージがリースの中央に。

余談ではありますが、同じタビストック・スクエアには、こんな記念樹もありました。

広島の原爆で犠牲になった人々に捧げる記念樹だそうです。

多分に理想論が入っていることは承知の上で、白いポピー、気になる存在です。


一方、こちらは、通常の赤いポピー。こちらも今日はいろんなところで、記念碑にリースが手向けられる式典が行われたようです。

ユーストンの駅前。

よーく見ると、前列右側は、元国会議員でジャーナリスト、鉄道番組に出演している
マイケル・ポーチェロさんが、戦死を遂げた鉄道員たちに捧げたものでした。

赤いポピーのリースを抱えて、式典の準備を急ぐ、ハイゲイトの牧師さん。

白も赤も、ポピーにあふれた11月第2日曜日のロンドンでした。

2.11.13

おすすめしたい私の好きなふたつのこと(もの)②


読書中はついついカバーを脱がしてしまう私です(同じ写真でスミマセン)。

さて、急にふたつに分けることに決めた、「おすすめしたい私の好きなふたつのこと(もの)」②は、ミュージシャンであり詩人のパティ・スミスさんの「ジャスト・キッズ」という本です。

この本がうちのポストに届いたのは、今年のはじめのことでした。以前にお仕事で、何度かご一緒した、お友だちのライター兼翻訳者の小林薫さんが、ご自身の訳書が出版されたから、ということで、わざわざ日本から送ってくださったのです。

今年前半は、私も仕事が忙しく、落ち着いて本を読む間もなく、時が過ぎてしまったのですが、秋になってようやくまとまった時間ができて、読み始めたが最後、もう夢中で最後まで読んでしまいました。

この本は、パティ・スミスが、1989年に41歳の若さで亡くなった写真家ロバート・メイプルソープと過ごした20年間を綴ったものです。1967年、まだなにものでもなかった20歳のパティ・スミスが、スーツケースひとつでNYに出てきて、ホームレス生活を送っているところに出会ったのが、こちらもまだ、なにものでもなかったロバート・メイプルソープだったのです。

ふたりは恋人であり、兄弟のようであり、同士であり、そしてロバート最期の日まで絶対的な親友だったことが、この本からうかがえます。アートに悩み、自分のアイデンティティやセクシャリティに悩み、壁に爪を立てるようにもがく彼らの周りには、ウォーホールや先日亡くなったルー・リード率いるヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジャップリン、ウィリアム・バロウズ、ジム・キャロルといったそうそうたるビートニクの主要メンバーがいました。

当時まだなにものでもなかった人々と、すでに世に名前を馳せていた人々、道半ばで命を落とした人、いまもそれぞれの業界を牽引している人、そんな数々の名前が交差して、人間関係をかたちづくり、離れ、戻り、必死に自己表現の道を探す様子が、とても興味深く描かれています。

そしてなんといっても、パティ・スミスのポエティックな表現が、ただでさえ興味がつきない当時の人間関係を、さらにリリカルにひもといていくのです。

そんな文章の魅力をあますことなく訳文で表現した、小林薫さんと共訳者である、にむらじゅんこさんには、心からの敬意を表したい気持ちです。

秋の夜長、ちょうど読書のシーズンです。
よろしかったら、ぜひお手にとってみてください。

「ジャスト・キッズ」(河出書房新社刊)2380円(税別)
パティ・スミス著 にむらじゅんこ/小林薫 訳

秋の夜長にぜひ。


おすすめしたい私の好きなふたつのこと(もの)①

左が、私がはじめて行ったバーミンガム市響のコンサートのプログラムです。

今回は、ちょっとおすすめしたいふたつのこと(もの)について、書きます。

まずひとつめ。
クラシック音楽ファンの方でなくとも、おそらく英国人指揮者、サイモン・ラトルの名前は聞いたことがあると思います。そうです、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者兼芸術監督のサイモン・ラトルです。

それでは、サイモン・ラトルがベルリンに行く前に18年間(!)にわたって率いてきた「バーミンガム市交響楽団」(CBSO)の名前は、聞いたことがあるでしょうか。

バーミンガムは英国第二の都市でありながら、なんとなくパッとしないというか、ちょっとイメージの暗い工業地域、という印象が英国人の間にはあると思います。バーミンガム出身のうちの夫は、「バーミンガム出身と言うだけで、人々のなかで自分の推定知能指数が10下がる」と、英国人的な自虐ネタを放ったりしていますが、その実、バーミンガムというのはロイヤルバレエがあったり、立派なアートギャラリーがあったり、9月には1億8900万ポンドを費やした美しい図書館が完成したり、特に最近は文化的な一面も注目に値する場所なのです。

そのなかで、私が心からサポートしているのが、前述のバーミンガム市響です。初めて彼らの音楽を聴いたのは、2009年12月のこと。ロシア人ピアニスト、ニコライ・ルガンスキーをソリストに迎えてのラフマニノフのピアノ協奏曲3番をはじめとする演目でした。たまたま一列目の席しかとれなくて、舞台かぶりつき、みたいな位置だったので、指揮者や演奏者の息づかいまで聞こえてくる、またその躍動感がものすごく気持ちがよくて、ちょっと夢のような時間を過ごしてしまい、たちまちファンになってしまったのでした。

バーミンガム市響が拠点としている、シンフォニー・ホール。

バーミンガム市響の芸術監督、アンドリス・ネルソンスさんの指揮は、オケとの対話が客席にも感じられて、コンサートは聴衆も含めて完成されるものなんだなぁと、改めて思わせるものがあります。専門的なことはよくわかりませんが、私にとっては、とにかく心地のよい音楽時間を過ごせるのが、バーミンガム市響なのです。

バーミンガム市響の芸術監督アンドリス・ネルソンスさん(©Marco Borggreve)。

そんな彼ら、実は今月、来日予定で、東京(オペラシティ)4公演、西宮と北九州で1公演ずつ、合計6公演を行うそうです。

11月18日と19日の東京での公演は、こちらのリンクから。
お友だちの音楽ライター、後藤菜穂子さんがネルソンスさんにインタビューされた記事はこちらのリンクからご覧になれます。

よろしかったら、ぜひ会場に足を運んでみてください。

本当は、好きなもの、ふたつまとめて書こうと思いましたが、別々の記事にすることに、いま(!)決めました。




12.10.13

ポルトガルに一目惚れ(2)

「アートとは遊びごころである」……とは、私がいま思いついた言葉なんですけど、これ、まんざら嘘じゃないような気がします。が、どう思われるでしょうか。

ひとつ前のポストでも書きましたが、今回のポルトガル旅行は、ロンドンからリスボンに飛んで、カシュカイシュという海辺の街から始まりました。空港に着いて、地下鉄でリスボンの中心に向かい、その後リスボンのターミナル駅からカシュカイシュまで、各駅停車でも30分ちょっと。ポルトガルという国に足を踏み入れて、カシュカイシュのホテルに到着するまでのわずか1時間ほどの間に、すでに、私はこの国の余裕というか、遊び心にすっかり心を奪われてしまいました。

例えば、空港の地下鉄駅で。

なーんか勇気づけられる言葉じゃあ、ないですか。

生活に必要かと言われると、ぜんぜん必要じゃない、だけどちょっと心を豊かにしてくれるもの。ふっと表情を緩ませてくれるなにか。そういうものが街のそこここで目に飛び込んできて、なんというか、そんなアーティスティックな遊びごころに、一目惚れしてしまったのです。

例えば、電車のドアにも。ちょっとしたデザインに遊びごころがあるのです。

チケットを買いましょう、とかそういう意味?

ほかにも、「不思議の国のアリス」のなかに出てくるウサギが大きくいくつもプラットフォームに描かれている駅もあり、なかなか迫力がありました。

カシュカイシュでも、たぶん一日30人くらいしか通らないんじゃないかなーと思うような場所に、こんな休憩所みたいなところがあり、屋根の格子が無駄に計算されていて、美しい影を地面に落としていたり。

思わず、立ち止まって見入ってしまいます。

たぶん、ほとんどの人が目にとめないだろうなぁと思う、奥の壁には、こんな絵が描かれていたり。

ついでに、このフキダシの(定番すぎる)落書きにも笑ってしまいますが。

海辺のショッピングセンターの壁がこんなふうに……

一見よくわからないと思いますが……。

ちょっとよく見ると……

アジサイの花は、壁に描かれた絵で、ローズマリー(?)のような鉢植えだけが本物です。

こちらはポルトの街中で。

きれいなアズレージョですが、ベランダに飾り窓の女?

ちょっと拡大……。

下の階にもマネキンがいるのです。

当然のことながら、食品のパッケージのデザインも優れたものが多いなぁと思いました。

イカとかタコの煮込みの缶詰が、最高においしいのです(涙)。

国の経済状況が悪く、苦境のなかにいる国、と聞くと、まず、壁に描かれた「FUxK」とか、街に溢れる物乞いとか、どこか荒んだ空気とか、そういったものを連想してしまいがちですが、国の置かれた経済的な苦境と、人々の遊びごころは、実のところそれでも共存できるものなのだとわかって、心からほっとしてしまったというか、そこに救いを見たような気がしました。

肩肘張らない、どこかひとつ力の抜けた遊びごころからくるアートが、こんなにカジュアルにもたらされる背景に、この国の人たちの精神的な余裕のようなものを感じてしまうのです。それは、あの美しいアズレージョを、風雨にさらされることもいとわず、惜しげもなく外壁に使う精神とちょっと通じるのかしら、とも思ったり。

このスカートも、たぶん誰かのいたずら……とは思うのですが、なーんかキュート。

平日は静かなカシュカイシュでしたが、週末の夜にはものすごい数の人たちがやってきて、お祭り騒ぎでした。駅前にはこんな顔が設置され……。

駅前のロータリーの中央に立体的な顔型の巨大スクリーンが設置され、
そこに人々の顔が映し出される仕組みです。すごいリアルでした。

美術館に行かなくても、生活のなかで触れられる小さなアートがいっぱいあるっていいですよね。



10.10.13

ポルトガルに一目惚れ(1)

ポルトの一角。壁には一面に、惜しげもなくアズレージョが。

先月、休暇でポルトガルに10日間ほど行ってきました。

格安航空会社のフライトを使って、まずはリスボンに飛び、リスボンから電車で30分足らずのカシュカイシュという海辺の町に6泊、そしてリスボンから長距離電車に乗って3時間、ワインで有名なポルトに向かい、そこで3泊してきました。

夫のいとこがポルトガル人女性と結婚して、ここ10年ほど住んでいること、イカやタコなど英国ではあまり一般的じゃない魚介類も豊富で、食べ物がおいしいと聞いていたこと、ちょっと前に雑誌の企画でポルトガルのタイル(アズレージョ)に関する記事に関わったこと、カステラ食べたい〜などと思ったこと、などなど、ひとつひとつはかなり薄い動機づけですが、そういう小さな「行ってみたいかも」が重なって、ここ数年私にとってポルトガルは「ちょっと気になる国」ではありました。そんな折に、以前から愛用しているオンラインの旅のセレクトショップで、カシュカイシュのホテルのスイートルームが安く出ていたので、「はっ、これはっ!」と飛びついた次第です。

今回、ポルトガルに行くにあたって、いくつか関連の本を日本から取り寄せましたが、そのなかで、本当に本当にお世話になったのが、矢野有貴見さんの「レトロな旅時間 ポルトガルへ」というガイドブックです。ふつうのガイドブックとちょっと違って、著者の矢野さんの目線が光る、彼女の好きなものを詰め込んだんだろうなぁと思えるつくりになっています。

こちらの本のタイトルにも「レトロ」という言葉が使われているとおり、実際に行ったポルトガルは、なんとなく「なつかしい」感じのする場所でした。初めて行ったこの場所の、なにが「なつかしい」と感じさせるのか、自分なりに考えてみて、ちょっと語弊があるかもしれませんけど、「貧しさ」なのかなぁと思ったりもしました。貧しさというと、ネガティブな、「負」の印象がつきまといますが、決してそうではなく、古いものがそのまま修復もされずに残っている、そういうビジュアルが「なつかしい」という感情を刺激するんじゃないか、と思ったのです。

金融業界では「PIGS」(ポルトガル、アイルランドまたはイタリア、ギリシャ、スペイン)なんて言葉があるようですが、ポルトガルは自国では経済回復が難しいと言われている、経済的には苦境のなかにいる国として知られています。経済状況が悪いことは、決して喜ばしいことではありませんが、それでも皮肉なことに、好景気の国の都市がおしなべて、資本主義経済にお決まりのチェーン店で埋め尽くされて、その土地のアイデンティティを失っていくのに対して、例えばリスボンもポルトもちょっとボロッとしてるかもしれないけれど、そこには17世紀とか18世紀からあったと思われる美しいアズレージョが残っていて、無性に心を打つものがあります。そしてなによりも、そこで暮らす人々に、すさんだ感じがないことに救われるのです。

そんなこんなで、何回かに渡って、私がポルトガルで心奪われたものについて綴っていきたいと思いますが、まず今回は私の目を惹きつけてやまなかった、美しいアズレージョを一気に写真でご紹介します。

アズレージョというのは、もともとアラビア語の「磨いた石」を意味する言葉がその語源で、確かにトルコやモロッコで見られるようなスタイルのものもたくさん見かけました。しかしトルコなどでは、建物のなかに使われるこういったタイルが、惜しげもなく外壁に、しかも一面に張られているのが圧巻です。

とにかく普通のお家の壁が、こんな感じなのです。

アズレージョと聞くと「青」の印象が強かったですが、さまざまな色があります。

よく見たら色違い。

こんなふうに壁一面に。

何回も張り替えられたのかなぁと思う建物もあります。


アズレージョは、陽光によく似合う。

オランダのタイルのようなものも。

街角の平屋が続く小道もアズレージョ。まさに生活風景なんですね。

ポルトの教会の外壁に張られたアズレージョ。圧巻でした。

こちらはポルトの駅のなかのアズレージョ。

街角のキオスクにもタイルが使われています。

そうそう、アズレージョについていろいろ知りたくて、前述のガイドブックに載っていた、リスボンの国立アズレージョ博物館にも行ったのです。現在も使われている古い修道院の一部に設置された博物館で、チャペルもあり、展示物もさることながら、その建物自体があまりに美しかったです。

こちらはアズレージョ博物館の食堂のなか。

博物館の中庭に面したアズレージョ。

夢のような時間を過ごさせていただきました。

ちょっと行きづらい場所ですが、駅から20分歩く価値は充分にあると思います。機会がありましたら、ぜひ。

Museu Nacional do Azulejo  (National Tile Museum)
Rua da Madre de Deus 4, 1900-312 Lisboa
http://www.museudoazulejo.pt/