30.10.12

満月の断捨離。

世間一般に使われている「断捨離」という言葉と、その実態が実は「お片づけ」という、そのネーミングの適切さに関する是非は置いておいて。はからずも、この私も断捨離することになってしまった顛末について書きます。

だから、どこがどう「断捨離」なのか、っていう机の上ですが。


それは、満月前夜の丑三つ時。突然、私のメールサーバーへのアクセスが拒否されました。むむ、おかしい、と思いながらも、ウェブメールを使って、その場をしのいだのですが…その直後に私が契約してるレンタルサーバーの担当の方から以下のようなメールが。


御社サイトがハッキングされているという連絡がデータセンターよりあり、サイト内のウィルスをスキャン調査している最中にpublic_html内のファイルをすべてハッカーに消去されてしまいました(証拠隠滅の為と思われます)。

御社のパソコンからパスワードが盗まれている、またはパソコンがリモートコントロールされている可能性がかなり高いです。

先ずサーバーにアクセスする全てのパソコンがウィルスにやられていないか確認して頂けますか。


……なんと!!!

そこで、ウィルスソフトでスキャンしたところ、ごろごろごろごろと…。


ご参考までにこんなのがごろごろと。

ウェブメールのみで、サーバーにアクセスしていたノートだけが無事で、ほかの2台はしっかり感染していました。さらに1TBのバックアップディスクをすべてスキャンするのは、かなり時間がかかるので(ということで、上の写真は必死にスキャンしつづける2台の罹患した患者たち…)、とりあえず、クリーンなノートで新しく作り直してくれたというアカウントに接続しましたが、当然のことながら、60GBのサーバーは、キレイさっぱりなーんにもない、すっからかん状態になっていました。ははは……(汗)。

まぁ、バックアップはすべてとってありますし、メールサーバーがダウンしていたのは、10時間ほどのことだと思うので、大事というほどのことではないのですが……。やはり、何者かが私の使っているコンピュータに侵入したと思うと、あまり気持ちのよい話ではありません。

以前に友人のメールアカウントがハッキングされたときのこと(☜クリックすると当時の記事に飛びます)を書きましたが……なにが「皆様もお気をつけくださいね」なんだか。そんなことをのんきに書いている自分が聞いて呆れます。

とはいえ、今日は満月。みちみちいっぱいになってしまったものを、さっくり一掃するタイミングだったのでしょうか(おそろしくおめでたい発想)。

葉っぱも落ち葉となって木から去っていく、こんな季節ですし。

いえいえ、今後ウィルスには、十分注意したいと思います。はい。



29.10.12

発祥の地に戻ってきたピンポン・バー。

つい今月のはじめにオープンした欧州初のピンポン・バー「Bounce」を、CREA Webのコラムのために取材させていただきました。

詳細、概要は、ぜひCREA Web(☜クリックしていただくと、リンクが開きます)をご覧いただくとして、こちらではそのこぼれ話とこぼれ写真をご紹介します。

受付の横のカラーガラスを通して、すでにピンポンを楽しむ人々の姿が。

オープンは5時ですが、6時を過ぎると会社帰りの人々がどんどん入ってきて、卓球台は、あっと言う間に満席(満台?)に。

壁にかかっているデコレーションは、本物の卓球台やラケットを使ったもの。
かなり真剣にプレーしている人もたくさんいました。

白球を追うのは、ストレス解消にもよさそうです。

奥のレストランはこんな感じです。

社交がキーワードだけに、長テーブルを採用しているのだそうです。

ナポリ出身のピザシェフが腕をふるったピザ。

こちらのレストランでは、ウッドオーブンで焼き上げたピザが売りです。

「Bounce」をオープンしたアダムさんとドヴさんは、とってもさわやかな若きビジネスマン。ドヴさんはピンポンの腕前もプロはだしのようです。

創設者のアダムさん(左)とドヴさん(右)。

「はい、写真撮りますよ〜」と声をかけて、↑このようにポーズを撮ってもらいましたが、数分前まで、じゃれあってふざけあっていました。なんだかとっても楽しそうで、こちらまで、パワーをいただきました。アダムさん、ドヴさん、ご協力ありがとうございました。


Baunce
住所 121 Holborn, London EC1N 2TD
電話番号 020-3657-6525
URL www.bouncelondon.co.uk



27.10.12

霧のロンドン、マキノとハラが見た100年前の小径。

月曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

今週は、月曜日から水曜日まで、3日連続で霧の朝でした。月曜日の霧が一番深く、朝一番は、自分の指先も見えないんじゃないかと思うくらい。うれしくなって、森に写真を撮りに行きました。

こちらも月曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

火曜日は、前日ほどではないものの、やはり霧の朝。前日よりも早い時間に、再び森へ。

火曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

水曜日は、ずいぶんとやわらいで、浅い霧の朝。その前の2日間に比べると、ちょっと物足りない感じです。でも3日間連続での霧に、急に、というか、かなり必然的に「霧のマキノ」を思い出したのです。

「霧のマキノ」、明治から戦前の昭和にかけてロンドンで活躍した日本人画家、牧野義雄(1870〜1956)をご存知でしょうか。23歳で単身渡米、その後、牧野はロンドンにやってきます。最初の10年間はなかなか彼の才能が世間に認められなかったものの、1907年に挿絵を手がけた「Colour of London」という本がベストセラーとなり、牧野の描く「霧に煙るロンドンの風景」は、みごとに当時の英国人の心をつかみました。

いまでも「霧のロンドン」という言葉は定着していますが、ヴィクトリア時代のロンドンは公害によるスモッグのために、靄がかかることが多かったようです。現在でも、もしかしたら東京よりも霧の発生する頻度は高いかもしれませんが、牧野の時代は、おそらくもっともっと、ロンドンは霞のなかにいたのだろうと思われます。

もうずいぶん前ですが、「牧野について興味がある」と知人に話したら、2冊の本を貸してくれました。読まずに積みっぱなしにしていたその本を改めて引っ張り出して、霧がずいぶん浅くなった水曜日の午前中、そのうちの一冊を夢中になって読みました。牧野義雄が1913年に英語で書いた「述懐日誌(原題:My Recollections and Reflections)」という本です。この本、後半部分はさすがに時代が違いすぎるせいか、牧野の展開する日英の違いなどに、あまり素直にうなずけず、とばし読みしてしまったのですが、前半部分の彼の生活や友人関係は、本当におもしろく一気に半分まで読みました。

夢中になって読んだこの前半部分、渡英9年目の牧野と、やはり絵を学ぶために日本からやってきた肖像画家の「原」との関係に多くのページが割かれています。原がどれだけ真摯で優れた画家だったか、どれだけ苦労した人だったか…。妻と年老いた母を日本に残していたために、原はたった3年でロンドンを後にしますが、帰国後の原は牧野の絵を日本で売ることに協力し、牧野の甥っ子の大学生活を助け、そしてふたりは文通で気の置けない芸術論を戦わせます。そんな関係は、原が数年後に病で亡くなるまで続きました。

この本の前半にある、牧野と原がロンドンにいるときのやりとりのひとつが、あまりに印象的で、私の心をがしっとつかんで振り落とそうにも振り払えなくなりました。それは、こんなエピソードです。

ある日、ふたりが下宿に戻る途中で「スィスル・グローブ」という道を見て、ふたりは同時にこの光景を絵に描きたい、と思います。自分に描かせてくれないか、と言う原に、牧野は「ふたりの男がひとりの女を同時に愛するわけにはいかない。彼女は君にやる」と譲り、原にスケッチをさせるのです。けれど、原は結局死ぬまで、その絵を仕上げることをしなかった。牧野は牧野で、律儀にその風景は原のもの、と、自分で描くことはせずにいたのですが、原の死後、ふたりの友情の思い出にと、スィスル・グローブにおもむき、自身のスケッチを描き上げます。

牧野のスケッチが載っているページ。これをiPhoneのカメラで撮って、
それを頼りにロケーションを探してみました。

このスケッチが、あまりにも美しくて、心を打たれた私は、スィスル・グローブをぜひ自分の目でも見てみよう、とかなり衝動的に思い立ちました。そこで、ちょうど同じ日の遅い午後、取材の前のちょっと空いた時間を利用して、ケンジントンに向かったのです。

果たして、牧野が当時下宿していたシドニー・ストリートにほど近い場所に、スィスル・グローブはすぐに見つかりました。オールド・ブランプトン・ロードとフラム・ロードをつなぐ、車両進入禁止の500メートルほどの小径。本に載っていたスケッチを写したiPhoneの写真と見比べながら、この道を北から南に向かって、どのあたりなんだろう、としみじみ眺めながら歩きました。

北側は、すでに新しい建物が並んでいるので、当時の面影とはずいぶん違うように感じます。ただひとつ、スケッチのなかにあるのと同じかたちの外灯が並んでいることだけが、この道が「やはりそこなのだ」という証拠のように思えました。フラム・ロードにたどりついて振り返ると、おそらくこれじゃないかな、という風景に私の目にはうつりましたが、いかがでしょうか。

牧野のスケッチと同じかたちの外灯が並んでいます。

暗くなるまで、あと30分か、1時間。牧野の絵にある灯りのともった外灯が見たい、と欲を出した私は、近くのカフェで時間をつぶし、再度ここに戻ってくることにしました。

牧野と原が眺めた風景も、おそらく秋冬のことだったかと思います。

さすがに、霧はありませんでしたが、ふたりが絵に描きたい、と思ったのもわかるような気がします。落ち葉がはらはらと舞う薄暮の小径の風景は、その現実がすでに絵のようでした。いつか、早朝の霧のなかでこの風景を写真に撮れたなら、少しは牧野と原の世界に近づくでしょうか。チャンスがあったら、ぜひ戻ってきたいと思います。

さて、この本のなかでは「原」としか、記述されていない、牧野の親友だったこの肖像画家がどんな人物だったのかが気になって、家に帰ってきてから、ネットで調べてみました。

原撫松(はら・ぶしょう)、1866年1月27日岡山県生まれ。39歳で渡英、3年後に帰国し、その直後から体調が優れることはなく、1912年に逝去。いつか再びロンドンで会おう、と約束したものの、再度ロンドンの地を踏むことも、牧野との再会を果たすことも叶いませんでした。

死の直前まで、病床で弱々しく「絵が描きたい」とつぶやいていたという、この明治の洋画家が亡くなったのは、ちょうど100年前の今日、1912年10月27日。そして私とひとつしか違わない46歳だったことに、なんだか奇妙な縁を感じてしまうのは、ばかげているでしょうか。

牧野よりもずっと知名度が低くて、wikipediaにも名前の載っていない原撫松。あともう少し長く生きられたなら、事情は違っていたのかもしれませんが…。この早逝の画家の没後100周年を、彼の愛したここロンドンで、今日はひとりちいさくお祝いしたいと思います。

原撫松の絵画は、彼の出身地である岡山県の県立美術館に多く所蔵されているようです。ご興味のある方は、こちらのリンクもどうぞ。



26.10.12

セルフリッジズの「いつもと違うギフトショップ」。

アートを使ったセラピーを展開する、知的障害を持つ子どものための
チャリティ団体「The Art Room」が制作したミニチュアチェアの数々。

ロンドンのマンモスデパート、セルフリッジズで、クリスマスに向けたコンセプトストアのお披露目があり、出かけてきました。

「Not Your Usual Gift Shop(いつもと違うギフトショップ)」と名付けられたコンセプトストアには、セルフリッジのみで手に入るクリスマス・ギフトでいっぱいです。

アニヤ・ハイントマーチのキャンディをかたどったコインパース。

お菓子製造工場のようなディスプレーもかわいいのです。

まず、セルフリッジ限定商品のアニヤ・ハイントマーチの「All I ever wanted」コレクション。キラキラ光る素材を使った大小さまざまなパースやクラッチバッグが。外のウィンドウは、パースやバッグをお菓子に見立て、それらが作られてベルトコンベアで流れていくかのような、さながらカラフルな工場のよう。店内にも、クラッチバッグを運ぶ汽車が走っていました。

バッグを運ぶ汽車がぽっぽっと。

オープニングとあって、アニヤさんご自身もいらして挨拶をされました。

女性に大人気のアニヤさん。

そのほかの見どころとしては、BBCの子どものためのチャリティ「Children in Needs」のキャラクター、くまのパッジーをヴィトンやバーバリーなどの一流ブランドがデザイン。こちら、オークションハウスのクリスティーズでオークションが行われ、収益は寄付されるのですが、オークションまでの期間、こちらのコンセプトストアにて、これらのパッジーたちが展示されています。

こちらはバーバリーがデザインしたパッジーです。

下がマルベリー、上がハウス・オブ・ホランドのパッジー。

こんな、クラシカルなクリスマスらしい子ども向けのおもちゃもありました。かわいいですよね。

くまを押し込んでふたをしめて

脇にあるハンドルをまわすと「ABCの歌」が。

ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

むむ、でてきた。

ただーっ!

知的障害を持つ子どものためのチャリティ団体が制作した、ミニチュア・チェアもよいギフトになりそうです。

とっても繊細にできています。

楽しいグッズと、クリスマスの雰囲気にあふれたこちらのギフトショップ、期間中、何回でも訪れたくなります。

ちょっとひねったクリスマスプレゼントを探すにはおすすめです。


Selfridges
400 Oxford Street, London W1A 1AB
電話 0113 369 8040
http://www.selfridges.com

24.10.12

「風船禁止」と、マルメの近代美術館。

さて、前回に引き続き、週末旅行のお話を。今回はマルメ編です。

マルメの駅、広々きれいで、壁に世界の車窓が映像で映されたりして、SFチックな印象すら与えます。

なんか、こう、近未来的ではないですか?

しかし、その舌の根も乾かぬうちに、駅構内で近未来的とはほど遠い、メルヘンなサインを発見。

「No Balloons」と書いてあります。

手のひらくらいの小さな「禁煙」サインに比較して、その6倍はあろうかと思われる「風船禁止」のサイン。しかもグラフィックがかわいくて、ちょっとおちゃめな冗談かと思うような標識です。しかもこれ、駅構内にいくつもあるのです。

禁煙よりも重要な禁風船。そのこころは? ということで、Trafikverket(英語名のSwedish Transport Administrationを直訳すると「スウェーデン交通管理局」といったところだと思いますが、Wikipediaによると「産業省交通局」と訳されるようです)にメール取材してみました。すると。

「風船禁止」のサインに関しては、多くの方から関心の声を寄せられています。おっしゃるとおり、一風変わったサインではありますよね。

このサインの背景にあるのは、以前に子どもが持ち込んだヘリウム入りの風船で、2度アクシデントがあったからです。なにが起こったかというと、風船がトンネルのパイプに入り込んだために、電車のための電線が天井直下でショートしてしまい、その結果、コンクリートの破片が線路上に落下するという結果につながったのです。

「なるほど」ですね。こんなに丁寧なお返事をくださったTrafikverketのご担当の方に、心から感謝するとともに、私からも皆さまに「駅には風船を持ち込まないでください」とお願いしたいと思います。

さて、マルメ。大変美しい教会があったり、街中がため息が出るほどきれいだったりしたのですが、この感動をお伝えできる写真と知識に乏しいので、雨がそぼふるなか、ひとり、文字通り駆け足で見学したマルメの近代美術館をご紹介します。

1901年に発電所として立てられた建物が、2009年の末に
美術館として生まれ変わったのだそうです。
Moderna Museet Malmö © Photo: Åsa Lundén / Moderna Museet

こちらでは、現在「The Supersurrealism(スーパーシュルレアリスム)」というテーマで、16世紀に実にシュールな肖像画を描いたイタリア人画家ジュゼッペ・アチンボルドから、現在活躍中の「きのこアート」で知られるカールステン・ヘラーや、スウェーデンの映像アーティスト、マグナス・ウォーリンまで、シュルレアリスムを象徴する作品を幅広く集めたエキシビションを開催中です。もちろん「正統派」のシュルレアリスト、サルバドール・ダリやマックス・エルンストなどの作品もたっぷり。

入口に入ると、まず、巨大キノコがお出迎えしてくれます。

© Photo: Terje Östling. Works (in the forefront): Carsten Höller,
Giant Triple Mushroom, 2012 © Carsten Höller/BUS 2012.
(In the background, from the left): Karl Axel Pehrson, Octett, 1976
© Karl Axel Pehrson/BUS 2012. Nathalie Djurberg, Florentin, 2004
© Nathalie Djurberg, courtesy of Zach Feuer Gallery, New York and Giò Marconi, Milan.
Jens Fänge, Rosa målning, 2002 © Jens Fänge/BUS 2012

1階奥の部屋では、ダリ好きの方には、絶対に見逃せない映画を上映しています。ダリが出演しているチョコレート会社ランヴァンのCM映像(Youtubeで動画を見つけましたので、ご興味のある方はこちらもどうぞ)、作家レーモン・ルーセルへのオマージュとして制作された、ダリの歌声(!)入りの5分間ショートフィルム、ダリが友人ウォルト・ディズニーのために描いたドローイングを用いたショートフィルムなど、興味深い短編作品を集めて、合計約1時間の映像を楽しめます。私はあいにく時間が足りなくて、半分しか見られなかったのですが、ダリが好きな方は、ぜひたっぷり時間をとって、こちらの映像もすべてご覧になることをおすすめします。

ルネ・マグリットや、写真家ブラッシャイの作品もありました。

René Magritte
Le Modèle rouge, 1935
© René Magritte/BUS 2012

Brassaï
Couple d´amoureux dans un petit café parisien Quartier Italie,
Paris, Ca 1930 © Estate Brassaï/RMN-Grand Palais

もっと時間をかけて、ゆっくり見たかったなぁというのが、正直な感想です。こちらのエキシビション、来年の1月20日まで開催中なので、期間中お近くに行かれる方は、たっぷり半日とって行かれることをおすすめします。


マルメ近代美術館
Moderna Museet Malmö
Gasverksgatan 22
211 29 Malmö
火〜日 11am〜6pm(月曜休館)
http://www.modernamuseet.se/en/Malmo/


おまけとして、名もなきiPhone写真家(私)が、マルメで撮ったシュルレアリスムの傑作(?)を。

ビルのてっぺんに目がついてます(しかもよく見るといっぱいついてる)。

マルメの本当に本当に美しい風景は、ぜひまぁちゃんのFlickrからご覧ください。この風景をこの目で見たこともあったのに、と思うと、ちょっと切ない、あまりに愛おしい風景です。









19.10.12

コペンハーゲンと、幸せを呼ぶ、かもしれないコイン。

スウェーデンはマルメに住む、お友だちのまぁちゃんをたずねて、週末旅行してきました。

初日こそ、快晴だったものの、翌日からの予報は雨。ところが、なんかの拍子にちょっと晴れ間も見えてきたので、電車で国境を越えて、デンマークの首都、コペンハーゲンに行ってきました。わずか数時間のコペンハーゲンは、まぁちゃんに教えていただいた見どころをすべて回ることもできず、ただざーっと雨の切れ目に移動しての駆け足観光。

ウォーターフロントの「ニューハウン」。新しい港、という意味だそうです。

そんなわけで、コペンハーゲンについてなにかを語れるほどのことはなにもない、ただの観光客だったのですが、心に残った場所をひとつだけ。アメリエンボー宮殿のそばにある、丸いドーム型の屋根のついたフレデリクス教会です。この教会、なかもすてきなんですが、一見、私にとってはどこといってとらえどころのない…でも屋根のついている場所というだけでありがたい…と思ったのは、雨がしとしと降っている間だけで、お日さまが雲から顔を出すと、壁にぼぉーっと浮かび上がるものが。

青い十字架が浮かび上がります。

このステンドグラスが実にクレバーにつくられていて、窓から差し込む光で、壁に十字架を描き出すのです。この日は雲がいっぱいで、太陽が出たり隠れたりだったので、思わず、長いこと椅子に座って、光のイルージョンを楽しませてもらいました。

入り口付近の窓もすてきでした。

そんなわけで、コペンハーゲンについては、まぁちゃんのブログ「まぁちゃんとの秘め事」でお楽しみください。コペンハーゲンの記事にたどりつくまでに、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、寄り道も旅の醍醐味。すてきな写真と楽しい文章に溢れた大好きなブログです。ゆっくりひとつひとつ読まれることをおすすめします。

さて、コペンハーゲン在住の日本人の方にこんなことを聞きました。

「デンマークの1クローネ・コインは、『幸せを呼ぶコイン』ということで、日本のオンラインショップでも売られているのよ」と。

確かにとってもかわいいデザインです。

うちに帰ってきてから、オンラインショップで検索したら、なんと、本当に1クローネ(日本円で14円くらい?)が300円ほどで売られています。1円玉くらいの大きさですが、真ん中に穴があいていて、ハートのモチーフとマルグレーテ2世女王自らがデザインされたというモノグラムが。外務省のウェブサイトを見ると「フレデリック皇太子とメアリー嬢の御結婚に際してデザインされた、FふたつとMを組み合わせ、その上部に王冠をあしらったモノグラム」とあるので、きっとFも隠されているのだと思いますが、私には「M」と「II」しかわかりませんでした。「M」の縦のストロークを「F」に見立てているのかもしれません。

これ前述のように「日本では」、幸せを呼ぶコイン、ということになっているらしいのですが、実際デンマーク人の間では、どうなんだろう〜と思って、知人のなかで唯一のデンマーク人女性に聞いてみました。

そうしたら。

「えー、そんなこと聞いたことないわよー。But why don't we just decide it is so(でも、そういうことにしてもいいんじゃない?) 笑」

……だそうです。確かにそういうことにしておいても、まぁいいですかね。かわいいし。




18.10.12

写真は語る。

本当は自分の胸にこそっと秘めて、誰にも言わない方がかっこいいのだとわかっているけれど、やはり誰かに言わずにいるには、つらいことってある。

でもかといって、これを特定の人にぶつけてしまうには、ちょっと重すぎるかも、という懸念と、「なにをセンチメンタルになっているのか」と笑われるかもしれない、という不安で、井戸があったら叫びたい、そんなこと。

だから、今日は、このブログに書きます。ロンドンの情報を期待して、遊びに来てくださった方、ごめんなさい。

今日、夕方の取材の前にちょっと時間が空いてしまったので、カフェに入った。ロンドンには、中古のカメラの修理・販売とカフェが一緒になったカメラ・カフェがいくつかあって、今日入ったのは、そんなお店のひとつだった。

取材前にちょっと腹ごしらえでもしようと、サンドイッチとお茶を頼んで、なにげなく店内を見回すと、階下に向かう階段の手前にハッセルブラッドの「カメラの歴史」という名前のついた、古びた白黒のポスターがかかっている。そのポスターがとてもすてきだったので、立ち上がってみようとしたときに、ふと、客席からは死角の位置にあたる壁に、一枚の写真が飾られているのが目にとまった。

正確に言うと、写真よりも、そのフレームに目がとまったのだ。

そのフレームは、両手を広げたくらいの大きさで、さほど大きくない。フレーム全体が壁と同じ緑色に塗られていて、とても控えめに、こそっとかけられている。フレームの右上に「CAFE」と彫られ、左下には小さな椅子とテーブルがしつらえられていて、粘土でつくられた人がコーヒーを前にノートを広げ、足を組んでペンとおぼしきものを手に持っている。フレームのなかの写真には、さきほどお茶をいれてくれた店員の男性がはにかんだような笑顔を見せながら、このカフェの窓際の席に座ってやはり目の前に本を広げているセピア色の写真。まるで、この粘土の小さな人と、テーブルを挟んでなにかを話しているかのような、そんな写真だ。

このフレームがあまりによくできていて、すてきだったので、iphoneで写真を撮っていたら、この写真のなかの彼が背後にやってきたので、びっくりしてしまった。

「店内で写真を撮らないでね」って怒られるかと思って、ちょっとびくびくしながら「このフレーム、すてきですね」と声をかけると、「これ、捨てられないんですよ」と言う。

しばし、沈黙。ふたりフレームを見る。

「これ、誰が作った作品なんですか」と私がたずねると、「僕の友人でね、今は病院にいるんですよ。もう脳死状態なんだけど。狂牛病だったんです」と言われて、言葉を失った。

「そうじゃなかったら、ゴミですよ、こんなの」と自嘲気味に言うと、「でも捨てられないんです。彼を覚えておくために」という言葉を残して、彼は奥に行ってしまった。

彼が立ち去ったあと、私はそこに立ち尽くして、しばらくその写真を見ていた。おそらく今は脳死状態のお友達が撮ったであろう、その写真を。いまはもう機能していないその人の脳裏に、一度はうつったであろう、彼の表情を。きっと親しいお友達だったんだろうな、と思った。

写真というのは、その被写体と撮影者の関係を思いがけず露呈してしまうことがある。それがあたたかくもあり、またそれが切ないときもある。それが通りがかりの見ず知らずの人であっても、なにかの拍子に、こんなふうにぱちっと同調してしまうこともある。

そこで撮った写真をここに載せるのは、さすがにはばかられるので、今日取材の帰りに彼らのことを思いながら撮った、罪のない違う写真をふたつばかり載せて、お茶を濁します。

電光の時計がついたリサイクルボックス。初めて見ました。

キングズ・クロスの駅の脇の路上にあるサイン。




3.10.12

遠くて近くてやっぱり遠い、いとしの国と
旅するスーツケース。

新宿の末広亭の前。タイムスリップしてしまったかのような通りです。

9カ月ぶりに、日本に一時帰国してきました。

若いときにはまったく無縁だったのに、年とともにひどくなる時差ぼけと、出発前に家人からもらってしまった風邪をこじらせて、こんなに体調最悪な帰国が、かつてあっただろうか、と遠い目(&風邪のため涙目)をしてしまうくらい、よぼよぼな帰国となりました。

けれども、せっかく帰ってきたのに、「よぼよぼ」なだけで終わってたまるものですか、とばかりに、よぼよぼながらも予定通り会いたい人に会って、いくつかの場所に出かけてきました。風邪をうつされるリスクを冒しながら、ダミ声の私に会ってくださった、心やさしき皆さま、その節はどうもありがとうございました。

テレビでは毎日毎日、領土問題に関するニュースが流れ、激しいデモとか、流血騒ぎとか、そんな映像が映し出されていました。街に出れば、いつもとまるで同じ日常なのに、どこかの国で行われている、自分の国に対する激しい抗議活動は、どこか絵空事のように実感がなく、テレビのなかの知らない人が力説する正当性を盲信することも、なにかに感情移入することもできず、同じような情報を見ているはずなのに、なぜかちゃんと感情移入できる人たちの言葉をただぼうっと聞いて立ち尽くすのみでした。おそらく、ただ私が勉強不足なだけなのでしょうけど…。

すべてのものは変わり続けるし、誰もその変化を止めることはできない。いつもは遠く離れている自分が生まれて育った国、日本。自分の一部でありながら、帰るたびに遠ざかっていくような気がするのは、日本も私も変化し続けている限り、しかたがないことのかもしれません。なかなかピントが合わないカメラのレンズみたいに、ウィーンウィーンと音を立てながら、遠くなったり近くなったり、ピタッと合ったりぼけてみたり、そんなふうに、自分の立ち位置の危うさを感じることもしばしばです。

とは言いつつ、やはり気心の知れた旧知の友人との時間は、本当に貴重で楽しくて、風邪も時差ぼけもふっとぶ高揚感を与えてくれます。特に今回は、大学時代の同級生ふたりとプチ同窓会ができて、いつにない楽しく幸せな時間を過ごすことができました。このふたり、ひとりは海外駐在中、ひとりは東京以外に住んでいるのに、たまたま同じ時期に東京にいたという…神さま(またはSNS)、どうもありがとう。

揃いも揃って40代半ばになってしまった私たち。でも話題はiPhoneっていう…。

さて、そんなこんなで、最後まで風邪と時差ぼけを克服できなかった私。アムステルダム経由でロンドンに帰ってくる予定だったのですが、なんと、アムステルダムで、まさかの飛行機乗り遅れ、という悲劇に見舞われました。

「悲劇に見舞われました」なんて、ドラマクイーンな言い方をしてしますけど、ただ考え事をしていてぼんやりしてて、もたもたしてて、乗り逃したのです。乗り換え時間は確かに短かったのですが、「同じ乗り継ぎ便だった同乗のふたりは、ふたりともちゃんと乗り換えてロンドンに飛び立ったわよ」と再予約の窓口で、航空会社の人に言われてしまい、ぐうの音も出ませんでした。

それで、おとなしく150ユーロ払って、1時間半後のロンドン便を取ったのですが、「あなたの荷物は、予定通りの便でロンドンに向かってるわよ! ちゃんとヒースローで受け取れるように、電話しておいてあげる」と、航空会社の人が私の目の前で受話器を上げて、電話してくれたので(オランダ語だったので、内容までは聞き取れませんでしたが)、「ありがとうありがとう」とぺこぺこお礼を言って、はー、よかった、一件落着。

なーんて、そんなうまいことが、ここヨーロッパでありましょうか。
否、あるはずがございません。

ヒースローについて、「私の荷物、どこでしょう?」と航空会社の窓口に聞きに行ったら、「あなたの荷物は、スキポール(アムステルダムの空港)にあります」と中学生でもわかる英語ではっきりと言われました。

「えっ、だってだって、あなたの同僚が、荷物は先の便に乗ってヒースローに行ったって。私の目の前で電話してたんですけど」と食い下がってみたものの、「レギュレーションで、荷物だけが持ち主よりも先に、目的地に着く、ということはないのです」とまたしてもキッパリ。

「でもでも、私の荷物は、東京で預け入れて、そのまま自動的にその便に乗ることになっていたはずなんです」と言うと、「乗り遅れた人の荷物は下ろされます」とだめ押しのキッパリ。

がーん。下ろされたんだ…かわいそうな私のスーツケース。雨の降っていたスキポール空港。ぽつんと下ろされた黒のリモワが脳裏をよぎりました。

「気の毒だけど、あなたの荷物は24時間以内に直接ご自宅にお届けすることになります。この用紙に記入して」と事務的に用紙を渡されました。まぁ、こういう人(私みたいなバカ)が、一日に何人もいるんでしょうね、きっと。

はたして。

翌日にヒースロー空港から二度も確認の電話があって、夜9時過ぎに私のスーツケースは、持ち主よりも1日遅れて帰宅しました。角のひとつがへこんで角じゃなくなっていたけど、ひとまず帰ってきてくれてほっとしました。あぁ、よかった。

飛行機に乗り遅れると、自分が世界一のだめ人間のような気持ちになるものですが、実はそんなの長い人生のなかではたいしたことじゃないんです(自己弁護でもあることは、否定しませんけど)。同じように飛行機に乗り遅れたことのある方、たぶん、いっぱいいると思うのですが、まぁ、そういうこともありますよね。

関連で、以前にmixi日記に書いた、私が前回乗り遅れたときのお話も全体公開にしておきましたので、ご興味のある方は以下もどうぞ。
飛行機に乗り遅れそうになったこと、乗り遅れたこと。

新宿駅のなかの「ビックロ」の広告。ちょうど帰国中のオープンでした。
家電や服と同様に、私も進化しているのかしら。