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24.3.20

最近の生活。

なんとも、まぁ、1年ぶりの更新です。

世間は、例の「C」の話題で持ちきりで「ロンドンもなにやら大変そうだ」ということで、ご心配の声をいただいたりするので、「元気にしてますよー」というアピールも兼ねて、最近の生活についてアップします。

1週間ほど前からロンドンも怒濤のような変化がありました。
まずは、テレワークが推奨され、ミュージアムや劇場など人が集まる場所がクローズ、不要不急の外出を控えるようにアドバイスされ、その後レストラン、ジム、デパートも扉を閉め、外に出ても他人との距離を2メートル保つように言われ、今現在は食料品の調達と医療、どうしてもの通勤、一日一度のエクササイズ以外の外出は禁止……となりました。

というわけで、私の一日一度のエクササイズは、畑をぐるりと走ること……。
歩いて3分の距離ですが、畑が広いのでぐるりと回って帰るだけで約2キロのランです。

「すわ、外出禁止になるのでは!?」と、みんなが焦ってトイレットペーパーなどの日常消耗品と、とりあえずの食料を買い漁ったのでしょうか。多くの方がSNSで写真をアップしているので、ご覧になった方も多いと思いますが、ロンドンのスーパーの棚が空っぽになるという、衝撃の絵柄を私も目の当たりにしました。

先週のことですが、昨年収穫したカボチャのなかで、とうとう傷みだしたものがあって(でもまだまだ甘くて美味しいのですが)、パンプキン・ケーキを作るために、呑気にも卵を3個も使ってしまったので、卵を買い足そうと近所のスーパーに行くと、いつもある場所にない。そこらへんにいたスタッフの方に聞いたら、いつもある場所にないどころか「どこにもないのよ」とのことでビックリ。その後、近所の小さな商店も含め5軒ほどまわりましたが、本当にどこにもなし、で、己の呑気さを呪いながら、パンプキンケーキを食べました(笑)。

その後2〜3日のうちに、卵は棚に戻ってきて、ほっ。いま品薄なのは、小麦粉です。近所の天然酵母のパンが美味しいベーカリーも、とうとう3日前に予約した人のみ、ひとり1ローフ限定で購入可能、となってしまったので、自分でもパンを焼きたいのですが、みんな同じことを考えているのでしょうね。

ありがたいことに今朝のニュースによると、公共交通機関を使わない限り、畑に行くのは問題ないとのことで、まぁ、食料の調達でもありますし、いつもよりがんばって畑仕事をしています。

この季節のスターは、紫のブロッコリー。ほぼ毎日食卓に上がります。

畑に行くと、人間の世界でのドタバタをよそに、自然の世界はちゃんと春に向かって姿を変えようとしていて、ほっこりします。

ブロンズ色のフェネルも古い茎の足下に芽吹いていました。

ラズベリーも元気に顔を出してきたので、馬糞をどっさりと。

週末は、顔なじみの畑のご近所さんも何人か出てきて、畑仕事をしていたので、収穫物を交換したり。でも、昨夜の政府からの勧告を受けて、畑の管理人グループから連絡があり、畑のなかでも2メートルの距離を保ち、ほかの人の畑に遊びに行ったり、招き入れたりするのはNGとのこと。ひとりもくもくと畑仕事にいそしむしかなさそうです。まったくもって「C」ときたら、人と人との距離を離そうとするイヤなやつです。

食糧難(笑)につき、一旦コンポストにしようと捨てた野菜を拾い戻しました。
まんなかの小さい野菜はキプロス島の葉野菜だそうで、
ギリシャ人のご近所さんにいただいたもの。オムレツに入れると美味♡

この季節、うちの窓際も小さな苗でいっぱいになります。ここを卒業すると畑の温室に行き、畑の温室を卒業すると、外の棚に移され、最終的に土に入るのは、まだまだ1か月以上先なのです。

窓際のシシトウとトマトの小さな芽。

と、「C」がどんだけお騒がせでも、春の畑仕事には終わりがありません。

戦争中のプロパガンダ・ポスターですが……いまも通じるメッセージ。

お仕事もこのご時世につき延期が決まったものもあり、空いた時間を利用して勉強しています。ちょうど、昨年の秋から、日本の通信制の大学に編入したので……周期表ってこんなにおもしろかったっけ?と、「水兵リーベ、僕の船……」と、ただ意味も理解せず、うわごとのように記憶していた高校時代の自分のバカさ加減を恥じながら(笑)。

毎日、朝いちばんの1時間を勉強時間にあてていましたが、
もう少し時間を費やせるのはありがたいこと、でもあります。

……と、こんな感じで、私は元気に生活しております。
こうしている間にも、「C」のせいで苦しんでいる方や、その治療に従事している医療関係の方々がたくさんいることも忘れずに……。自分が元気でいることが、この国の保険システムを助けるに違いない、と体力と知力が衰えないよう、努力したいと思います。

9.2.16

チャリティ・ショップ



英国には、チャリティ団体が一般家庭から引き取った不要品を販売する、チャリティ・ショップがたくさんあります。

うちの近所の商店街にも、わずか800メートルくらいの間に、動物愛護団体やユダヤ人の福祉団体など、4、5軒が軒を連ねています。

ただうちから一番近い、という理由だけで、我が家で不要品が出るたびに、私がせっせと足を運んでいるのが、「ノース・ロンドン・ホスピス」というターミナルの患者さんのためのホスピスを運営している慈善団体のチャリティ・ショップ。

昨日、その「ノース・ロンドン・ホスピス」からはじめて、ニュースレターなるものが届きました。表紙は、テレビドラマの「シャーロック」や「オフィス」、映画「ホビット」などで活躍するマーティン・フリーマン。どうも、「ノース・ロンドン・ホスピス」のパトロンのひとりに加わり、ガラ・ディナーに参加した、ということのよう。英国の役者さんたちは、社会活動に関わっている人が本当に多いですよね。

ちょうど、昨日は以前に忘れな草プロジェクトでインタビューさせていただいた方のひとりが、このホスピスで亡くなったという訃報を受けました。お見舞いに行った方のお話によると、とても快適そうなきちんとしたホスピスだったそうです。

自分にとっては処分のために持ち込ませてもらっている不要品ですが、多くの人の手を介して、少しでもホスピス運営に役立たせてもらえるのは、ありがたいなーと思います。ちなみに「ノース・ロンドン・ホスピス」のチャリティ・ショップは、日本語の本も引き取ってくれるとのことでしたので、近隣の方でやり場に困っている日本語の本がある方は、持ち込まれてはいかがでしょうか。

North London Hospice
http://www.northlondonhospice.org/shops/


2.6.15

「忘れな草プロジェクト」のお話。

縁あって、2013年の秋からお手伝いしている、英国日本人会(Japan Association)主催の「忘れな草プロジェクト」のウェブサイトがアップされたので、ぜひご紹介したいと思います。

このプロジェクトは、戦後1950年代後半から1985年くらいまでの間に、日本から英国に移住した在英邦人にビデオインタビューを行い、アーカイブしていく、というものです。

「忘れな草プロジェクト」のウェブサイトより。サイトからビデオ・インタビューも見られます。

もともと、発起人のウィリアムズ モモコさんが、2001年の英国ジャパン・イヤーの一環で、戦前英国に住んでいた日本人、というテーマで写真展を企画した際に、当時どんな日本人がいたのか、まとまった資料がまったくない、ということに気づき、今記録をとっておけば、50年先100年先に記録として役にたつこともあるのでは、という発想から始まったプロジェクトです。20世紀の後半から21世紀の英国に、こんな日本人がいたんですよ、私を忘れないで、という気持ちを込めて、「忘れな草プロジェクト」と名づけられました。

これまでに三十数人の方にインタビューを行い、編集作業、字幕制作が完成したものから順番に、5分程度のショートバージョンのインタビュー動画をウェブサイトにアップしています。

1950年代に船で英国にやって来て、50年以上英国に暮らしている90代の女性や、60年代にシベリア鉄道でやってきて起業した人々など、実にさまざまな在英生活の先人たちが、貴重なお話をしてくれています。

海外に住んでいると、自分の将来像が見えづらくなったりするものですが、これだけ多くの人たちが、後姿を見せてくれているのだなぁと、インタビューに同行するたびに勉強になることばかりです。

学校でも、本を読んでも教えてもらえないことが、いっぱいつまったプロジェクトですので、ぜひウェブサイトにてインタビュー動画をご覧いただければと思います。

また、プロジェクトでは常時、編集作業をはじめとする制作作業にご協力いただけるボランティアを募集しています。ご興味のある方は、ぜひ、ウェブサイトのお問い合わせページから、ご連絡ください。

忘れな草プロジェクト
http://wasurenagusa.org.uk/

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※Facebookのページを開設しました。お仕事の情報とロンドンの小さなネタを地味にアップしています。よろしかったらのぞいてみてください。

21.5.15

4月の出来事。


フォレスト・ディーンのシモンズ・ヤット

さて、薄れつつある記憶をひもときつつ、4月の出来事。
4月の第3週末は、フォレスト・ディーンからウェールズに行ってきました。
ホビットっぽい雰囲気の田舎の村で、のんびりとした数日間です。

えらくあやうげな橋。

一度に6人までしか渡れないので、人数を数えてたもとで待ちます。

ウェールズのナッシュ・ポイントと呼ばれるあたりです。

ナッシュ・ポイント・ライトハウス。

周囲には牛が草を食むのどかな風景。

と、この週末旅行はなかなか楽しい時間ではありましたが、それよりなにより記憶に残っている4月の出来事といえば、やはり何年かぶりでパスケースをなくしたことです。

キャッシュと、カードや定期券は一緒に持つべからず(カードや定期券だけのほうが戻ってくる可能性が高い、という親の考えがあったようで)、という我が家の家訓を誠実に守り続けている私。イースターマンデーの休日にハムステッドヒースの近くを散歩していたところ、現金以外のカード類が入っているパスケースをごっそりすぱっと気前よく落としてしまったのです。

入っていたのは、オイスターカード、クレジットカード数枚、銀行のカード、ジャーナリスト組合のプレスパス、クライアントさんのオフィスのエントリーパス。

落として2時間ほどで気づき、すぐにカード類を止めると同時に、歩いた道をずーっと引き返して、落とした場所もなんとなく検討がついたので、探してはみたものの、やはり見つからず。

カード類は再発行をすべて依頼して、パスケースも前回と同じものを……と思いきや、製造中止になったのか、見つからず。似たようなものも見つけることができず、紛失2日後の水曜日、結局ウェブサイトを介して、台湾のデザイナーさんにオーダーメイドで希望のサイズでつくってもらえることになりました。ほっと一安心。

と、そこで。
パスケースをオーダーして、Paypalでお支払いをした約2時間後に一通のメール。

あなたのパスケースを拾いました。間違いないようでしたら、送るので住所を教えてください、とのこと。

なんと!

見つけた場所というのは、まさに私が検討をつけていた小路。連絡してくださったのは、某出版社にお勤めの編集者で、同業者でした。

右が戻ってきたパスケース。左が台湾から送られてきたもの。

私がカード類の入ったパスケースをごっそり落としたのは、これで2度目。前回は、アーチウェイ駅の公衆電話(懐かしい)の上に置き忘れ、なぜかその日のうちにホルボーンの駅に届け入れられていたのです。今回と同様、まったく触られた形跡がなく、クレジットカード類の並び順までそのままでした。

ということで、いまのところ、なくしたパスケースが戻ってくる率は2勝0敗。
とりあえず、我が家の家訓は守っていこうと思っています。

<オマケ>

シモンズ・ヤットにて。これはゼンマイ? もしかして食べられる? わかる方、ぜひ教えてください。

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22.5.14

時計が戻ってきた。(その2)


無事帰宅。

一般的な価値とは無関係に、なんらかの思い出のある品物など、自分だけにとっての価値を英語では「センチメンタル・バリュー」ということがあります。

以前にも書いたことがありましたが、ここ20年以上身に着けている腕時計は、私にとっては、まさにセンチメンタル・バリューのある愛用品。

この時計が手首から消えていることに気づいたのは、1週間のスコットランド出張の帰り道、飛行機がエディンバラから離陸しようとしている、そのときでした。

いったい、どこにいってしまったのだろう、とグルグル頭のなかで考えて、それほど時間もかからずすぐに、空港のセキュリティゾーンで時計を外してトレーにいれた記憶がピコーンと頭によみがえってきました。そしてそれを手首に戻した記憶がないことも。

あああ、どうしよう、と気づいたときには、すでに飛行機は滑走路を滑り出していました。時計を空港に置き去りにして、自分だけロンドンに帰るという状況は、なんともいえずいやーなもので、たぶんもう、あの時計は戻ってこないだろうなぁと、えらく感傷的になって落ち込んだ帰路でした。

さて、ロンドンに戻ってきてすぐに、とりあえず、エディンバラ空港の遺失物担当の窓口に、メールを送りました。前回ブログに載せたときに撮った写真があったので、それも添付して、セキュリティゾーンに置き忘れたことを書いたら、わずか数時間のうちに、「見つかりました」のお知らせとリファレンス番号が。

その後、遺失物担当の方が、私のメールアドレスを間違えたりというハプニングもあり、思ったよりもちょっと時間がかかりましたが、今朝、10日ぶりに私の手元に時計が戻ってきました。

この10日間のあいだに、日本で仕事をしていたときに大変お世話になった方の訃報を聞き、たまたまなのですが、その方がこれと同じ時計をしていたことをぼんやりと思い出しました(その方がされていたのは紳士用でしたが)。

センチメンタルバリューというのは、こうやって静かに雪が積もるみたいに重なって、いつか自分だけにわかる(自分だけにしかわからない)特別な意味をこしらえてしまうものなのかもしれません。


ホテルの窓からは、エディンバラ城が見えました。

羊の出産シーズンだけに、シェットランドでは飛び回る子羊と母さん羊の姿がいっぱいでした。







17.1.14

長兵衛さんのいない東西線と吾妻橋。

浅草の街角。


久しぶりに浅草に行ってきた。
この界隈を舞台とした古典落語に「文七元結」という江戸っ子の人情噺がある。

博打に溺れてしまった左官屋の長兵衛は、ろくに仕事もせず、今日もすっからかんにすって、身ぐるみ剥がされ、賭場の半纏一枚で家に帰ってくる。するとうちでは、17歳になる娘のお久がどこかに行ってしまった、と、女房が泣いていた。そこに吉原の「佐野槌」という大見世から使いの者がやってきて、お久が佐野槌に来ているので、いますぐ長兵衛に来てほしいと言う。着ていくもののない長兵衛は、女房の着物を無理やり引き剥がし、女物の着物で吉原へと出向く。

お久は、仕事もせずに博打に負けては家で暴れる父と困り果てる母を見兼ねて、自分が身売りをすることで、父の借金を助け、それで父が改心してくれるなら、と佐野槌を訪れたのだった。お久の頼みに、佐野槌の女将は、長兵衛に50両を貸し与え、借金のかたにお久を預かると長兵衛に告げる。来年の大晦日まではお久を見世には出さず、自分の身の回りの世話をさせながら、面倒をみるが、来年の大晦日までに長兵衛が全額返却をできない場合は、お久を女郎として見世に出す、と、女将は言う。

心を入れ替え、働く決意を胸に佐野槌をあとにした長兵衛だったが、吾妻橋で川に飛び込もうとしている、べっ甲問屋「近江屋」の文七に出くわしてしまう。力づくで止める長兵衛。だが、文七は集金先で受け取った50両をすられてしまい、金がないと店に帰れない、死ぬしかない、と泣きながら訴える。死ぬよりも生きるほうがつらい、でも人は生きなければいけない、と何度も諭す長兵衛だったが、「金がなければ死ぬしかない」と言い張る文七に、やむを得ず50両を渡してしまう。

不信な表情の文七に、その50両は自分の娘が身売りをしてこしらえたものであることを話す長兵衛。娘は女郎になっても死ぬわけではない、自分も女房もその50両がなくても死ぬわけではない。だが50両がないことで文七が死ぬと言うのなら、それを持っていけと言う。そんなお金はもらえない、という文七に無理やり50両を投げつけて、逃げるように長兵衛はその場を去る。

文七が長兵衛からもらった50両を手に店に戻ると、すられたはずの50両は主人のもとに届いていた。実はこの金はすられたのではなく、文七が集金先に置き忘れたもので、文七よりも先に近江屋に届けられていたのだ。新たな50両の出どころを問いただされ、文七は長兵衛とお久のことを主人に話す。

翌日、文七を引き連れ、主人は長兵衛のもとを訪れる。50両を返し、これを縁に文七を養子にしてほしいと、また自分たちとも親戚づきあいをしてほしい、と申し入れ、祝いの盃を交わす。酒の肴にと、主人が外から招き入れたのが、美しく着飾ったお久。近江屋の主人がお久の身請けをし、連れ戻したのだ。長兵衛夫婦とお久は抱き合って喜ぶ。

その後、文七とお久は夫婦になり、近江屋から暖簾分けしてもらって、元結(まげの根本を結ぶ紐)の店を出して、たいそう繁盛したという。(完)

    ☆ ☆ ☆

……というのが、この噺のあらすじである。

さて、江戸の人々のお話は、一旦脇に置き、ここからは、浅草に行く道すがらに起きた現代のお話。

ここのところ、帰国するたびに日本ってなんてシュールな場所なんだろう、と思うことがあるのだけれど、これもそんな一例だった。

平日の午前11時頃のこと。中野から東西線に乗った。
中野始発だったので、私がホームに向かって階段を駆け上がったときには、すでに電車は数分停まっていたのだと思う。

電車に乗ると、人もまばらで(というか、その車両に乗る人乗る人、別の車両へと移動するからだったのだが)、床に人が倒れていた。

20代と思われるその男性は、長椅子と長椅子の間の通路に、腰を捻るヨガのポーズのような姿勢で横たわっていた。目は閉じていて、明らかに変である。傍らの長椅子の端っこに、たったひとり若い女性が座って、鼻をすすりあげながら泣いている。

私が驚いてその場に立ち尽くしている間に、その車両には何人もの人が乗ってきたが(平日の昼間だけに移動中の会社員風の人や学生風の人が多かったけど)、全員足早にそのあたりから立ち去り、同じ車両の端っこのほうか、別の車両へと移っていった。

我に返って、その倒れている人の腕を揺さぶって、「大丈夫ですか、具合が悪いんですか」と声をかけると、なにやら寝息ともいびきともつかぬ音が聞こえてくるが、反応はなし。それでもなお、「大丈夫ですか」と腕を揺さぶっているうちに、電車はドアが閉まって、中野駅を出発してしまった。

これは次の駅で駅員さんを呼ぶしかないか、と傍らのシートに座っていたら、ほかの車両から移動してきた20歳くらいの青年がひとりだけ、しゃがんで床に横たわっている人に声をかけようとしたので(その間にも車両を移動しようとして、何人かがこの車両に入ってきたが、彼以外は全員その場を立ち去った)、「声をかけて揺さぶってみたんですけど、反応がないので、次の駅で駅員さんを呼ぼうと思うんです。ただ寝てるだけかもしれないけど、明らかに様子が変ですよね」と話しかけてみた。彼も「そうですね。次で呼んだほうがいいですね」と、即席同志となった。

次の落合駅で、ホームを走って、駅員さんを呼びに行く。ドアが閉まる前に急がなければ、と、進行方向と反対側のちょっと離れた位置で安全確認をしている駅員さんに手を振りながら走って行くと、駅員さんも気づいてくれて、私の方に向かって猛ダッシュしてきた。

私も焦っていたけれど、この駅員さんの焦りぶりが半端ではなく、並んで走りながら「どうしましたっ??」「あっ、あの、あっちの車両で男の人が」「どうしましたっ??」「倒れてて、あの」「どうしましたっ??」とこちらが答え終わる前に同じ質問をかぶせてくる。

私が、この駅員さんを連れてくる間に、先ほどの同志も、どうやら進行方向側から、ほかの駅員さんを呼んでくれたようで、2人の駅員さんがほぼ同時に車両に乗り込んだ。

私が呼んできた駅員さんは、若くて線の細い男性だったのだが、立場的に上なのか、車内では彼がイニシアチブをとった。

倒れている人の頭を揺すったり動かしたりしては大事に至るケースもある、と聞いたことがあったので、私はかなり遠慮がちに腕を揺すったのだけれど、この駅員さんは容赦なく、肩を揺さぶって、こう言った。

「お客さんっ! お客さんっ! 起きてください!!」

さらに。

「お客さんっ! お客さんっ! こんなところで寝てたら、風邪ひきますよっ!!」

駅員さんには申し訳ないけど、あまりのシュールさに、私は爆笑しそうだった。
もしかしたら、東京メトロでは、寝ている乗客を起こすときには、「いかなる状況においても」このフレーズを使う、という規定があるのかもしれない。

焦る駅員さんにも、笑いをこらえる私にも、まったく無関係に、横たわる男性は反応なしのまま。

「よしっ、降ろすぞ」と、線の細い駅員さんは、もうひとりのやや体格のいい駅員さんに声をかけ、それぞれ足の方と肩の方に手をかけて、ホームに引きずり降ろそうとした。

……のだが、横たわっていた男性も決して細いほうではなく、意識がないぶん(または眠っているのか)、ずっしりと重いのだろう。細い駅員さんは、まるで「痩せガエル」が相撲をとるように、どうにかこうにかよろけながら、ホームに出て、しまいには男性を無理やりベンチに座らせようとして、抱き合いながらふたりで転びそうになり、思わず電車の窓から見ていて悲鳴を上げたが、なんとか体制を持ち直し、痩せガエルひとりがベンチの上に腹ばいになるように転倒した。

その後、その電車が落合駅を離れるまで、無理やり座らされた男性は、座ったままの姿勢をキープしていたので、「大丈夫そうですね」と同志の若者と目を見合わせた。それにかぶせるように、頭上からもアナウンス。

「ただいま落合駅にて、急病のお客様の対応をしておりましたために、予定よりも5分ほど遅れて、落合駅を発車いたしました。お急ぎのお客様にはご迷惑を……」。

……やはり、シュールだと思った。

この一連の出来事で、私が感じたのは、駅員さんの恐ろしいまでの「ダイヤを乱すことなく、運行しなくてはならない」という使命感だ。

それ自体は否定しないし、立派だとも思う。

だけど、「かなり常識的に考えて」それ以上に大切なものもあるんじゃないだろうか、と思ってしまうのだ。例えば、「急病のお客さまに対する適切な対応」とか、「駅員さんが安全に働く権利」とか。

来年で地下鉄サリン事件から20年になるが、地下鉄はなにが変わったのだろう。

まぁ、シュールなのは、日本じゃなくて、日本のなかでは私のほうがシュールな存在なのかもしれないけど。

それにしても。

あれだけの人(少なくとも20人〜30人)が、車内で倒れている人を見ていて、そのなかで反応したのがたったのふたりって、なんて世知辛い世の中なのだろう。この話を母(大阪出身)にしたら、「大阪のおばちゃんには、ありえない」と言う。もう東京には、長兵衛さんはいないのだろうか。

死のうとしていた文七が、長兵衛さんに止められて、50両をもらったという吾妻橋にて、そんなことをぼんやりと考えた。

現在の吾妻橋。アサヒビールのビルのあたりに、
長兵衛さんが通った賭場「細川の屋敷」があったそうです。

雷門の前。

浅草に来た最大の目的は、「かね惣」さんで包丁を買うことでした。
その場で最後の研ぎを入れてくれます。

※「文七元結」、私は談春さんと志ん朝さんのバージョンが大好きです。
ご興味のある方は、こちら(↑)のリンクからどうぞ。

















17.12.13

セカンド・オピニオンに関する個人的な経験について。

ペンザンスもランズ・エンドも、とにかくよく歩いた旅でした。


11月の中旬に、4泊5日(寝台車一泊も含む)でコーンウォールに行ってきました。私も年をとるごとに、いつもは時の流れるスピードに圧倒されるばかりなのですが、このコーンウォールの旅行は、たった1ヵ月前のことなのに、あれからもう1年くらい経ってしまったような気がします。

この旅の間に、ペンザンスのギャラリーで会して談笑したふたりの人が、この一ヵ月の間に、続いて心筋梗塞を患いました。ひとりはこの世を去り、ひとりは幸いこちら側に留まることができました。

たった10日前にあんなに元気に、幸せそうにしていた人が、ある朝ベッドのなかで冷たくなっていたという話を聞いて、本当に人生はなにが起こるかわからないし、一日一日が、実は、終わりに向かうカウント・ダウンなんだなぁと、考えずにいられませんでした。

スティーブ・ジョブスが語った「今日が自分にとって最後の日だったら、自分はこれからしようとしていることをするだろうか、と、毎朝鏡のなかの自分に自問する。いつかその日は本当に来るのだ」という言葉が、いままでよりも重みを増したのも、この1ヵ月のことです。

これから私が書こうとしていることは、この1ヵ月に私が考えた生と死の境界線のこととは、直接的には関係ありません。直接的には、と但し書きをつけたのは、間接的には大いに関係していると思うからです。

私自身の話になりますが、去年の暮れから、今年の前半にかけて、原因不明の右腕のしびれに悩まされていました。

最初は、軽いピリピリというしびれだったのが、だんだんひどくなり、腕が重くだるくなり、鞄を持つのが辛くなって、鍼治療に通ったりもしました。鍼は、治療してもらったときは、一瞬少しよくなったような気がするのですが、数日後にはまたもとにもどってしまいます。

病院にも行きましたが、特に異常はないので、筋肉を弛緩させて痛みを和らげる薬を処方してあげるから、それを飲みながら、理学療法に行ってみたら、というアドバイスを受けたのみ。原因もわからないのに、間に合わせ的に薬で筋肉を弛緩させることには抵抗があったので、結局薬は飲まず、ヨガに通って、症状を和らげるだけでごまかしていました。

このしびれがきれいに消えたのは、6月に右側奥歯の根幹治療が完了したときのことです。治療の最中に、右腕がビンビンとしびれて、驚いたのですが、歯が治ると同時にしびれもとれたので、おそらくなんらかの関係があったのだろうと思います。

私はもともと歯が弱く、日本でも歯医者ジプシーを繰り返して、二桁の歯医者さんにかかりましたが、ロンドンでは3人目の歯医者さんが大当たりで、10年以上にわたって同じ先生に治療していただいていました。この先生が一昨年、引退されて、次の先生に引き継がれてから、ちょっと疑問に思うところがいくつかあり、最終的にこの歯医者さんでこの奥歯の根幹治療に失敗し、抜歯してインプラントしかない、と宣告されてしまったのです。歯が欠けてしまったので、以来、左側だけで噛むようになりました。それが、ちょうどしびれの始まる数ヵ月前のことです。

根幹治療が失敗したとはいえ、まだ半分くらいは残っている歯を抜いてしまってよいのか、すごく迷った結果、知人が何十年もかかっているという歯医者さんを紹介してもらい、門を叩きました。新しい先生には、ダメかもしれないけれど、もう一度、彼らと提携のある根幹治療の専門医に診せたほうがいいのでは、とアドバイスされ、専門医の先生にかかること4回ほどで、今年の6月、一度は諦めた歯の根幹治療が完了したのです。腕のしびれがなくなったのは、この頃のことです。

その後、様子見期間とアフターフォローのチェックアップがあって、今日、無事に差し歯が入り、両側で噛める喜びを、「文字通り」噛みしめました。

一方で、私の父は10年ほど前に癌で亡くなったのですが、戦争経験のある私の親世代にありがちな、ひとりのお医者さまにかかったら、別の医者に「浮気」するなんて、とんでもない、と考えるタイプでした。

ほかでセカンド・オピニオンをもらっていたら、結果が変わっていたかのかどうかは、いまとなっては知る由もありません。心のなかでは、どこかでセカンド・オピニオンをもらってほしい、と、娘としての私は、もちろんそう思っていましたが、親であってもひとりの大人として、彼が自分で判断して決めたことを尊重したいという気持ちがあり、私の気持ちをひとりよがりに押しつけることはできませんでした。一部の人にとっては、そういう私の態度は「冷たいもの」に映るかもしれませんし、それを否定する気持ちもありません。

ただ、なにが正しいとか、正しくないとか、答えのないものに対してジャッジメンタルになるのは、私には不毛なことに思えますし、ときに正しいか正しくないかは別として、まるごと受け入れなければならないこともあるんじゃないかなぁと思うのです。

私の場合は、本当にあのときに諦めて抜歯してインプラントにしなくてよかった、と思える結果でしたが、それもとりあえずいま思っていることで、もしかしたら、来年はインプラントのために別の歯医者さんに通っていることが、ない、とも言い切れません。

どういう選択をするにしても、できるだけ後から後悔しないように、今日という日がカウント・ダウンされて、もう戻ってこない一日だということを心に刻んで、まだこちら側にいる人間は、一日いちにち、生きていかないといけないなぁ、と、心から思う今日この頃です。来年の夏のプランをいきいきと語っていた、その人に、その夏が訪れないこともある、という単純な事実に、正直なところ打ちのめされました。


コーンウォールで、自分のおみやげ用に買ったカード。
上が陶芸家のバーナード・リーチ。下がミナック・シアターをつくったロウェナ・ケイドです。
ロウェナ・ケイドは、今後の私の人生において、心のメンターになりそうな予感……。


※歯医者さんについては、お友だちのまぁちゃんも、興味深い記事をブログにアップしていました。こちらもぜひ。




















10.12.13

新しくなったケンウッド・ハウス

広大なハムステッド・ヒースの北側に立つケンウッド・ハウス
(写真をクリックすると少し大きい画像がご覧いただけます)


現在、体調を崩して、年内は自宅療養が決定してしまった夫。お医者さんから、毎日歩くように推奨されているため、私も散歩につきあうようにしています。

今日は、ちょっとがんばって、ハムステッド・ヒースのケンウッド・ハウスまで、足を伸ばしてみました。

ケンウッド・ハウスは、18世紀の貴族の邸宅で、このほど600万ポンドもの費用と1年半の期間を費やした改装工事を終えて、11月末に新装オープンしたばかり。

美術館と呼ぶには、ちょっと地味な存在かもしれませんが、ゲインズバラ、レノルズ、フェルメール、レンブラント、ターナー、ヴァン・ダイクと、すばらしい絵画のコレクションを擁している穴場的な存在で、しかも、イングリッシュ・ヘリテージの管轄でありながら、入場料無料なのです。

資料を見ていると、1925年にケンウッド・ハウスを買い取ったのは、一代目アイヴァ伯爵、エドワード・ギネス……とあります。そうなんです、ギネスといえば、あのギネス。アイヴァ伯はアイルランドのビール会社を営む一族のひとりで、ギネスの社長、会長も務めてた人物です。このアイヴァ伯が持っていたコレクションに、18世紀後半の英国の肖像画や、17世紀のオランダ、フランドルの絵画も数多く含まれていたということのようです。



ライブラリー。ここの天井がまたみごとなのです。


アイヴァ伯は、ケンウッド・ハウスを購入したわずか2年後の1927年に亡くなり、本人がここに住むことは叶わないままだったようです。彼自身の遺言により、ケンウッド・ハウスとコレクションのほとんどが国に遺贈されたとのことで、レンブラントの自画像、フェルメールの「ギターを弾く女」や、英国人画家ターナー、レノルズ、ゲインズバラなどの作品は、アイヴァ伯のコレクションからのものだそうです。


ライブラリーをタテのパノラマで撮るとこんな感じです。タテのパノラマって難しい(汗)。

アイヴァ伯のコレクションのほかに、サフォーク伯によって収集されたサフォーク・コレクションも、後年になってケンウッド・ハウスに納められ、これによってヴァン・ダイク、ウィリアム・ラーキンの作品もケンウッド・ハウスに加わりました。また、ケンウッド・ハウスのかつての持ち主であるマンズフィールド伯爵家の家具をはじめとするコレクションも、ケンウッド・ハウスに戻ってきて、展示品はますます充実しています。


オランジュリーは、子どもたちのプレイルームの役割。
おもちゃや教材がいろいろある。


世界の巨匠たちの絵画に囲まれて過ごす午後のひととき。あまりに贅沢。お天気のよい日に、ヒースのお散歩とセットで訪れられることをおすすめします。


ケンウッド・ハウスの脇にはベンチが並んでいます。

Kenwood House
Hampstead Lane, London NW3 7JR
開館時間:10:00〜17:00





10.11.13

白いポピー

こんな白いポピーがあるのをご存知でしょうか。

11月11日の英霊記念日に向けて、ロンドンの街にポピーの花が溢れるこの時期は、毎年自然と戦争について考えてしまう、英国にとって、日本の8月初旬のような季節です。
(ポピーの花と英霊記念日との関連については、一昨年のこちらのポストをご参考までに)

振り返ってみると、去年も一昨年も戦争に関することをブログに書いていました。

先日、スタンステッド空港で小銭をポピーアピールの募金箱に寄付したら、「ぜひポピーを持っていってください」と言われました。「いえいえ、けっこうです」と言ったのですが、典型的な英国人紳士(に見えるこの男性)、「I insist...(まぁ、そうは言わずに…みたいなニュアンス)」とこれまた典型的な英国的受け答え。ありがたくひとつ受け取って、胸につけました。

私は戦争で傷ついたり亡くなったりした、すべての方に対して心から同情はしますし、痛ましい気持ちにはなりますが、第二次大戦では敵国であった日本から来た私が、英霊記念日に向けて赤いポピーの花を胸につけるのは、どうなんだろう、という複雑このうえない思いがあり、いままで募金はしても胸にポピーをつけたことはありませんでした。

そんな話を、11月第2日曜日、英霊記念の式典が行われる日曜日の今朝、夫にしたところ、「英国人のなかにも、そういう人はけっこういて、白いポピーを胸につけている人がいるよ」と言うのです。

そこで、さっそくネットで調べてみたところ、白いポピー・キャンペーンは、戦争で命を落とした英国兵、さらに自国、敵国をわけず、戦争で命を奪われたすべての市民に対する哀悼の思いと、明確な「反戦支持」を意味し、1933年に始まったものだそうです。英国の非政府組織の反戦団体である「Peace Pledge Union」が運営しています。

Peace Pledge Unionのウェブサイトを見ていたら、白いポピーのリースを記念碑に手向ける式典が正午からタビストック・スクエアで行われたとのことだったので、ちょっと見に行ってきました。

ラッセル・スクエアの北側にある公園です。

私が到着したときには、すっかり式典も終わって、人もまばらな静かな公園でしたが、式典の名残はちゃんと残っていました。

戦争で戦った人、ではなく、戦わないことを選んだ人々を讃える石碑の下に、白いポピーのリースが置かれています。

石碑には、「TO ALL THOSE WHO HAVE ESTABLISHED AND ARE MAINTAINING THE RIGHT TO REFUSE TO KILL」とあり、「Conscientious Objectors」を讃えるもののようです。「Conscientious Objectors」は、日本語にすると「良心的兵役拒否者」と、あまり聞き慣れない言葉ですが、Wikipediaによると「良心的兵役拒否」の項で、以下のような説明がなされています。

「国家組織の暴力、とりわけあらゆる形態ないしは特定の状況下の戦争に参加することや義務兵役されることを望まないこと。当人の良心に基づく信念であり、拒否した者を良心的兵役拒否者 (conscientious objectors, CO's) という」

もちろん、英国でも大戦中に召集を受けたら拒否することは許されなかったわけで、徴兵されることよりも投獄されることを選んだ人々、ということになります。

反戦をうたう、メッセージがリースの中央に。

余談ではありますが、同じタビストック・スクエアには、こんな記念樹もありました。

広島の原爆で犠牲になった人々に捧げる記念樹だそうです。

多分に理想論が入っていることは承知の上で、白いポピー、気になる存在です。


一方、こちらは、通常の赤いポピー。こちらも今日はいろんなところで、記念碑にリースが手向けられる式典が行われたようです。

ユーストンの駅前。

よーく見ると、前列右側は、元国会議員でジャーナリスト、鉄道番組に出演している
マイケル・ポーチェロさんが、戦死を遂げた鉄道員たちに捧げたものでした。

赤いポピーのリースを抱えて、式典の準備を急ぐ、ハイゲイトの牧師さん。

白も赤も、ポピーにあふれた11月第2日曜日のロンドンでした。

27.6.13

長州五傑とムンクの150年。

昨日今日と2日連続で、ちょっと興味深い映画を観てきましたので、そのお話など…。

今年2013年は、日英学術交流150周年にあたるのだそうです。

その「学術交流」の夜明け、つまり150年前になにがあったのか、というと、伊藤博文、井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、井上勝の5人が、長州から「密航者として」ロンドンにやってきたのです。

西洋の文明を学ぼうと命をかけてやって来た、一般に長州五傑と呼ばれるこの5人組を受け入れたのは、ロンドンのUCL(University College London)でした。当時、ケンブリッジやオックスフォードは、海外からの肌の色の違う学生の受け入れはしておらず、UCLだけが外国の学生に門戸を開いていたのだそうです。

長州五傑、日本の初代総理大臣となった伊藤博文はよく知られていますが、ほかの4人も、井上馨は初代外務大臣を務め、遠藤謹助は造幣の父、山尾庸三は日本工業の父、井上勝は鉄道の父と呼ばれ、それぞれが英国で学んだ技術やノウハウを日本に持ち帰り、日本の近代化に尽力したと言われています。

さて、この5人の活躍を描いた映画「長州ファイブ」を、この5人が150年前に学んだUCLで上映するというので、観に行ってきました。






ちょうどこの日の朝、ふとネット上で見かけた方のプロフィール欄にあった「単身で渡米」という一行に、思わず目が止まってしまい、このご時世、「単身で」渡米ってあえて書くのもどうなんだろう……と思っていたところのこの映画。これを観てしまったら、現在の「単身で渡米」は、「地下鉄で大手町へ」というのとどれだけ違うのか、というくらい、簡単なことに思えて、やはりプロフィール欄に書くにはちょっと恥ずかしいかなぁと思ってしまいました。

この映画、ちょっと長めではありますが、英国に関心のある方にも興味深いお話なので、機会がありましたら、ぜひご覧になってみてください。

さて、続いて今日、会員になっている近所の映画館でムンク展に関する映画を観てきました。


Exhibition: Munch 150 cinema trailer from Seventh Art on Vimeo.

最近、英国では、「Exhibition on Screen」と題して、展覧会を映像で紹介する映画がいくつか上映されています。

今年はムンクの生誕150周年にあたる年とのことで、オスロの国立美術館とムンク美術館の2館共催で合計220点もの作品を展示する一大ムンク展が開催されています。

映画のなかでは、この作品群のなかから、特に重要な数点を取り上げると同時に、担当キュレーターの方のお話や、ムンクの生涯にも光を当て、「叫び」だけではないムンクの世界を紹介しています。

私のようなアートに詳しくない門外漢にもわかりやすく、また、当時のアート界がどのようにムンクの作品を受け入れたか(または受け入れなかったか)など、大変興味深い内容でした。

これを観たら、実際に展覧会にぜひ足を運んでみたくなる、そんな内容です。展覧会に行く前の予習として、この映画をご覧になると、おそらく展示を見て歩くのも2倍楽しくなるように思いました。

昨日から始まったナショナル・ギャラリーでの「フェルメールと音楽」をテーマにした展覧会に関する映画も、もうすぐ上映されるそうなので、これはぜひ映画で予習してから観に行きたいと思います。

たまたまではありますが、長州五傑が英国に来たのも、ノルウェーでムンクが産声を上げたのも、同じ150年前の1863年。150年という歳月が、長いのか短いのか、わかりませんが、長州五傑も、ムンクも、150年後の世界がこんなふうになっていることを想像したのか、しなかったのか。自分の目で見ることはないだろう150年後の世界が、どんなふうになっているのだろうと、私もふと考えてしまいました。

3.6.13

まぁ、それも悪くないのかもしれない、と、頼まれてもいないのに悶々と考えて みる。

日本で走る少年の姿を見ると、なぜか無条件で感動してしまう私。

2ヵ月ぶりくらいに、また東京に帰ってきた。

日本に帰ってくると、とにかくなにを食べてもおいしくて、滞在一週間目にして、ただでさえドッシリしている下半身がさらに一回り大きくなって、ほっそりした人の多い日本で、余計に際立つおのれのデカさにショックを受ける、という……嬉しくもあり、悲しくもあり……。

電車がビシッと時間通りに来るので、あらゆることの時間が読める、がゆえに、ちょっと待ち時間があったら、これやって、あそこに寄って、という感じになり、なんだかやたらとバタバタ忙しく慌ただしくなってしまい、常に時間に追われているような気分に……嬉しくもあり、悲しくもあり……。

といった具合に、「自己管理能力」という耳の痛い一言をたかーーい棚に「ヨイショ」っと載っけたうえで言えば、すべての物事にはよい面と、悪い面がある。すべての人間に、長所と短所があるように。

それを一番強く感じてしまうのが、日本でのコミュニケーションで、「阿吽の呼吸」というか、自己完結的「予定調和」というか、日本には独特の会話のお作法がある。それは形式美ともいえるし、だからそこにはある種の「美しさ」はあるのかもしれない。

だけど、海外生活が長くなってしまったせいか、私の場合、たまに帰ってきても、それにうまく反応できず、相手を戸惑わせてしまったり、もっと悪いときには機嫌を損ねてしまい……もっと正確に言うなら、本当に不機嫌になっているわけではなく、不機嫌な態度をとることで「私がお作法から外れている」ことを知らしめようとしているのだと思うけど……こちらも不快な気分を味わうことも、まぁ、たまにある。私からしてみたら、そういう物言わぬ意思表示というのは、コミュニケーションとしては未熟なような気もしてしまうのだけれど……。

先日も、テレビを見ていたら、私も名前を知っているくらい有名な教育学者の先生が、「日本では、話の内容そのものよりも、話し方のほうが重要です」と相手に不快感を与えない話し方について指南していた。話の内容よりも話し方? これって「プレゼントの品物よりもラッピングのほうが重要です」って言い切っているも同然のような……ほんとにそれでいいんだろうか。

今日、丸ノ内線に乗っていたら、ドアの上のモニターに東京メトロのCMが流れていた。

OL風の堀北真希ちゃんの「ミスをした」というモノローグから始まるこのCM、次のシーンでは、彼女よりも少し年上のスーツ姿の男性と一緒に、「申し訳ありませんでした」と、取引先の応接室っぽいところで並んで深々と頭を下げている(1)。そして「上司まで巻き込んでしまった」というモノローグ。ふたりは地下鉄に並んで座り、彼女は頭をうなだれている。彼女のほうから思い切ったように上司に「すみま……」と言いかけると、彼は急に立ち上がって電車を降りてしまう(2)。黙ってついていくと、そこは築地駅。上司はずんずんと魚市場のなかを歩いていく(3)。両脇に並ぶ新鮮な魚と活気ある魚屋さんたちを見ながら歩いているうちに、ちょっと表情が明るくなっていく彼女に、「ついてこいよー」と声をかける上司。「こんにちはー」と言いながら彼が入っていったのは、お寿司屋さんっぽいカウンターのお店(4)。「海鮮丼ふたつ」(5)と注文した上司と彼女の前に、「はい、お待ち」と海鮮丼が供される。上司はもりもり食べ始め、戸惑う彼女のほうを向いて、笑顔で「食えよ」と言う(6)。上司のやさしさに笑顔になる彼女のモノローグ。「東京には力をくれる場所がある」。再び地下鉄駅。「すみませんでした」と頭を下げる彼女に、上司の一言「うまかっただろ」(7)。と、こんな60秒のCMだった。

ふつうにいい話、なのだろう、とは思う。このもの言わぬ上司の、不器用なやさしさに感動するべきなんだろう、とも、思う。

だけどこれ、うちの夫をはじめとする、英国人にわかるかなぁとふと考えてしまった。

ロンドンで自分の身の回りにいる英国人たちを勝手に思い浮かべて、堀北真希ちゃん演じるOL役と彼女の上司役を勝手にあれこれキャスティングして、考えてみた。エリンをOL役にウィルを上司役に、いやいや、ロレンをOL役にジョンを上司役に、などなど。丸ノ内線を降りて、中央線に乗り換えて、四谷駅から立川駅までえんえん考えてみたけど、誰もピンとくるキャスティングが思い浮かばない。

というより、むしろ、これはキャスティングの問題じゃなく、やはり脚本の問題だろうなぁと、一応検証してみたものの、実は最初からわかっていた問題点を(誰にも頼まれてないけど)具体的に考えてみた。

まず、ただ謝ってすむ問題なら、あえてふたりで謝りに行く理由がわからないし(1)、相手が誠意をもって謝罪の言葉を述べようとしているのを無視して、勝手に地下鉄を降りる(2)っていうのは、実にマナーを欠いた行為だし、昼間っからビリングゲート(ロンドンの魚市場)にいきなり行くのも意味がわからないし、っていうか、黙ってそんなところについていかないし(3)、相手がお腹すいているかどうかもわからないのに勝手に食べ物屋に入るのもどうかと思うし(4)、しかも勝手に相手のものも注文し(5)、ベジタリアンかもしれないのに、食えよと強制する(6)パワハラぶりで、しまいにゃ、謝っているのに「うまかっただろ」ってこの人ボケるにもほどがある(7)……ということに、まぁ、なりかねないかも……と。

なんて考えつつも、「ああ、いい上司なんだなぁ」って、このメッセージがちゃんとわかるのって、日本人だけかもしれないって思うと、それはそれで、そういう独自のコミュニケーション文化があっても、まぁ、悪くはないのかもしれない、とも思う。それでしみじみできるなら、おそらく、それでしみじみできないよりかは、きっといいんだろう、たぶん。

この感覚は、なんというかこう、学校の勉強はすごくできるけど、友だちづきあいがありえないくらい下手くそな、オタクな三男坊を擁護する気分にたぶん似てる。本当は心のやさしい子なのよ、って。あの子のよさをわかってくれるやさしい女の子がひとりいてくれれば、ほかの人にわかってもらえなくても、まぁ、仕方がないか、っていう。

うーむ……。

と、日本に帰ってくると、そういう、ふだんはあんまり考えないどうでもよいことを、あれこれ悶々と考える機会を得られるのも、これまた、嬉しくもあり、悲しくもあり。そしてなにより、ウザくもあり(私が)。

東京メトロのCMにご興味のある方はこちらからどうぞ(↓)
東京メトロCM「力をくれる篇(60秒)」

18.4.13

Goodbye to Maggie

お友だちに誘われて、今日、サッチャー元英国首相の葬儀が執り行われたセント・ポール大聖堂に行ってきました。

彼女の政治について、詳らかにその賛否を語れるほどの知識はありませんが、英国初の女性首相、20世紀で最長の在任期間、世界からの高い評価を得ながらも、これほど多くの国民に嫌われた、明らかに特異な存在であり、英国史にくっきりとその名前を残す人物であることは間違いないと思います。

今日のロンドンは、小雨のそぼ降る、寒い朝でした。

朝9時。セキュリティチェックの入口には、すでに弔問の人々の群れが。

空港のセキュリティチェックのようなゲートが設置されていました。

ボディチェックもきっちり。

悪天候にもかかわらず、多くの人が沿道に群がっています。

入棺前の沿道。

花束を手に入棺を待つ男性。

今日の国葬に対して抗議の紙を掲げる人も。

「M」がマクドナルドのロゴというところから、おそらく反資本主義のメッセージも。

おそらく保守党の色、ということで、青いバラを持つ人々。

サッチャー元首相とも保守党ともまったく関係なく、熱い演説を展開する人…。

実は根性なしの私は、あまりの寒さに負けて、入棺前に早々にカフェに引っ込んでしまい、肝心のところをすべて見逃してしまったのですが、今朝、セントポールの周りに集まった人々を観察できただけでも、大変興味深かったです。よくも悪くも、この国には、自己主張を許される土壌のようなものがあるなぁと、改めて思いました。

群れにまじることもなく、広場のベンチに静かに座っていたこの女性、とても印象に残りました。