浅草の街角。 |
久しぶりに浅草に行ってきた。
この界隈を舞台とした古典落語に「文七元結」という江戸っ子の人情噺がある。
博打に溺れてしまった左官屋の長兵衛は、ろくに仕事もせず、今日もすっからかんにすって、身ぐるみ剥がされ、賭場の半纏一枚で家に帰ってくる。するとうちでは、17歳になる娘のお久がどこかに行ってしまった、と、女房が泣いていた。そこに吉原の「佐野槌」という大見世から使いの者がやってきて、お久が佐野槌に来ているので、いますぐ長兵衛に来てほしいと言う。着ていくもののない長兵衛は、女房の着物を無理やり引き剥がし、女物の着物で吉原へと出向く。
お久は、仕事もせずに博打に負けては家で暴れる父と困り果てる母を見兼ねて、自分が身売りをすることで、父の借金を助け、それで父が改心してくれるなら、と佐野槌を訪れたのだった。お久の頼みに、佐野槌の女将は、長兵衛に50両を貸し与え、借金のかたにお久を預かると長兵衛に告げる。来年の大晦日まではお久を見世には出さず、自分の身の回りの世話をさせながら、面倒をみるが、来年の大晦日までに長兵衛が全額返却をできない場合は、お久を女郎として見世に出す、と、女将は言う。
心を入れ替え、働く決意を胸に佐野槌をあとにした長兵衛だったが、吾妻橋で川に飛び込もうとしている、べっ甲問屋「近江屋」の文七に出くわしてしまう。力づくで止める長兵衛。だが、文七は集金先で受け取った50両をすられてしまい、金がないと店に帰れない、死ぬしかない、と泣きながら訴える。死ぬよりも生きるほうがつらい、でも人は生きなければいけない、と何度も諭す長兵衛だったが、「金がなければ死ぬしかない」と言い張る文七に、やむを得ず50両を渡してしまう。
不信な表情の文七に、その50両は自分の娘が身売りをしてこしらえたものであることを話す長兵衛。娘は女郎になっても死ぬわけではない、自分も女房もその50両がなくても死ぬわけではない。だが50両がないことで文七が死ぬと言うのなら、それを持っていけと言う。そんなお金はもらえない、という文七に無理やり50両を投げつけて、逃げるように長兵衛はその場を去る。
文七が長兵衛からもらった50両を手に店に戻ると、すられたはずの50両は主人のもとに届いていた。実はこの金はすられたのではなく、文七が集金先に置き忘れたもので、文七よりも先に近江屋に届けられていたのだ。新たな50両の出どころを問いただされ、文七は長兵衛とお久のことを主人に話す。
翌日、文七を引き連れ、主人は長兵衛のもとを訪れる。50両を返し、これを縁に文七を養子にしてほしいと、また自分たちとも親戚づきあいをしてほしい、と申し入れ、祝いの盃を交わす。酒の肴にと、主人が外から招き入れたのが、美しく着飾ったお久。近江屋の主人がお久の身請けをし、連れ戻したのだ。長兵衛夫婦とお久は抱き合って喜ぶ。
その後、文七とお久は夫婦になり、近江屋から暖簾分けしてもらって、元結(まげの根本を結ぶ紐)の店を出して、たいそう繁盛したという。(完)
☆ ☆ ☆
……というのが、この噺のあらすじである。
さて、江戸の人々のお話は、一旦脇に置き、ここからは、浅草に行く道すがらに起きた現代のお話。
ここのところ、帰国するたびに日本ってなんてシュールな場所なんだろう、と思うことがあるのだけれど、これもそんな一例だった。
平日の午前11時頃のこと。中野から東西線に乗った。
中野始発だったので、私がホームに向かって階段を駆け上がったときには、すでに電車は数分停まっていたのだと思う。
電車に乗ると、人もまばらで(というか、その車両に乗る人乗る人、別の車両へと移動するからだったのだが)、床に人が倒れていた。
20代と思われるその男性は、長椅子と長椅子の間の通路に、腰を捻るヨガのポーズのような姿勢で横たわっていた。目は閉じていて、明らかに変である。傍らの長椅子の端っこに、たったひとり若い女性が座って、鼻をすすりあげながら泣いている。
私が驚いてその場に立ち尽くしている間に、その車両には何人もの人が乗ってきたが(平日の昼間だけに移動中の会社員風の人や学生風の人が多かったけど)、全員足早にそのあたりから立ち去り、同じ車両の端っこのほうか、別の車両へと移っていった。
我に返って、その倒れている人の腕を揺さぶって、「大丈夫ですか、具合が悪いんですか」と声をかけると、なにやら寝息ともいびきともつかぬ音が聞こえてくるが、反応はなし。それでもなお、「大丈夫ですか」と腕を揺さぶっているうちに、電車はドアが閉まって、中野駅を出発してしまった。
これは次の駅で駅員さんを呼ぶしかないか、と傍らのシートに座っていたら、ほかの車両から移動してきた20歳くらいの青年がひとりだけ、しゃがんで床に横たわっている人に声をかけようとしたので(その間にも車両を移動しようとして、何人かがこの車両に入ってきたが、彼以外は全員その場を立ち去った)、「声をかけて揺さぶってみたんですけど、反応がないので、次の駅で駅員さんを呼ぼうと思うんです。ただ寝てるだけかもしれないけど、明らかに様子が変ですよね」と話しかけてみた。彼も「そうですね。次で呼んだほうがいいですね」と、即席同志となった。
次の落合駅で、ホームを走って、駅員さんを呼びに行く。ドアが閉まる前に急がなければ、と、進行方向と反対側のちょっと離れた位置で安全確認をしている駅員さんに手を振りながら走って行くと、駅員さんも気づいてくれて、私の方に向かって猛ダッシュしてきた。
私も焦っていたけれど、この駅員さんの焦りぶりが半端ではなく、並んで走りながら「どうしましたっ??」「あっ、あの、あっちの車両で男の人が」「どうしましたっ??」「倒れてて、あの」「どうしましたっ??」とこちらが答え終わる前に同じ質問をかぶせてくる。
私が、この駅員さんを連れてくる間に、先ほどの同志も、どうやら進行方向側から、ほかの駅員さんを呼んでくれたようで、2人の駅員さんがほぼ同時に車両に乗り込んだ。
私が呼んできた駅員さんは、若くて線の細い男性だったのだが、立場的に上なのか、車内では彼がイニシアチブをとった。
倒れている人の頭を揺すったり動かしたりしては大事に至るケースもある、と聞いたことがあったので、私はかなり遠慮がちに腕を揺すったのだけれど、この駅員さんは容赦なく、肩を揺さぶって、こう言った。
「お客さんっ! お客さんっ! 起きてください!!」
さらに。
「お客さんっ! お客さんっ! こんなところで寝てたら、風邪ひきますよっ!!」
駅員さんには申し訳ないけど、あまりのシュールさに、私は爆笑しそうだった。
もしかしたら、東京メトロでは、寝ている乗客を起こすときには、「いかなる状況においても」このフレーズを使う、という規定があるのかもしれない。
焦る駅員さんにも、笑いをこらえる私にも、まったく無関係に、横たわる男性は反応なしのまま。
「よしっ、降ろすぞ」と、線の細い駅員さんは、もうひとりのやや体格のいい駅員さんに声をかけ、それぞれ足の方と肩の方に手をかけて、ホームに引きずり降ろそうとした。
……のだが、横たわっていた男性も決して細いほうではなく、意識がないぶん(または眠っているのか)、ずっしりと重いのだろう。細い駅員さんは、まるで「痩せガエル」が相撲をとるように、どうにかこうにかよろけながら、ホームに出て、しまいには男性を無理やりベンチに座らせようとして、抱き合いながらふたりで転びそうになり、思わず電車の窓から見ていて悲鳴を上げたが、なんとか体制を持ち直し、痩せガエルひとりがベンチの上に腹ばいになるように転倒した。
その後、その電車が落合駅を離れるまで、無理やり座らされた男性は、座ったままの姿勢をキープしていたので、「大丈夫そうですね」と同志の若者と目を見合わせた。それにかぶせるように、頭上からもアナウンス。
「ただいま落合駅にて、急病のお客様の対応をしておりましたために、予定よりも5分ほど遅れて、落合駅を発車いたしました。お急ぎのお客様にはご迷惑を……」。
……やはり、シュールだと思った。
この一連の出来事で、私が感じたのは、駅員さんの恐ろしいまでの「ダイヤを乱すことなく、運行しなくてはならない」という使命感だ。
それ自体は否定しないし、立派だとも思う。
だけど、「かなり常識的に考えて」それ以上に大切なものもあるんじゃないだろうか、と思ってしまうのだ。例えば、「急病のお客さまに対する適切な対応」とか、「駅員さんが安全に働く権利」とか。
来年で地下鉄サリン事件から20年になるが、地下鉄はなにが変わったのだろう。
まぁ、シュールなのは、日本じゃなくて、日本のなかでは私のほうがシュールな存在なのかもしれないけど。
それにしても。
あれだけの人(少なくとも20人〜30人)が、車内で倒れている人を見ていて、そのなかで反応したのがたったのふたりって、なんて世知辛い世の中なのだろう。この話を母(大阪出身)にしたら、「大阪のおばちゃんには、ありえない」と言う。もう東京には、長兵衛さんはいないのだろうか。
死のうとしていた文七が、長兵衛さんに止められて、50両をもらったという吾妻橋にて、そんなことをぼんやりと考えた。
現在の吾妻橋。アサヒビールのビルのあたりに、 長兵衛さんが通った賭場「細川の屋敷」があったそうです。 |
雷門の前。 |
浅草に来た最大の目的は、「かね惣」さんで包丁を買うことでした。 その場で最後の研ぎを入れてくれます。 |
※「文七元結」、私は談春さんと志ん朝さんのバージョンが大好きです。
ご興味のある方は、こちら(↑)のリンクからどうぞ。
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