12.11.12

1111に思う。

11月11日は「英霊記念日」で、英国人にとっては大きな意味を持つ日です(詳細は昨年のこちらのポストをご覧ください)。日本の8月のように、この季節になると戦争映画や、戦争に関するドキュメンタリーが、テレビでも多く放送されます。

特にこの英霊記念日を意識したわけではなかったのですが、ここ1、2週間で、私も戦争関連のイベントにふたつほど行ってきました。

ひとつめは、写真家ロバート・キャパと、デイヴィッド・シーモア、そして女性写真家のゲルダ・タローが、スペインの市民戦争中に撮影した4500枚のネガの入った箱に関する映画「The Mexican Suitcase」の上映とこの映画を製作した監督の質疑応答というイベントです。


The Mexican Suitcase trailer from 212BERLIN on Vimeo.


70年の時を経て、2007年にメキシコで見つかったこの箱こそがタイトルの「メキシカン・スーツケース」。これは、映画のあとの質疑応答で、監督が話していたことなのですが、キャパの死後も、弟のコーネルがずっと探していたこの一連のネガは、もともとパリのキャパの暗室にあったもので、ナチスの侵攻を察知した、キャパの現像師チーキー・ウェイジが暗室を引き払う際に、すべてをかき集めて箱に入れ、メキシコに帰ろうとしていた大使に託したもの、なのだそうです。

これほど大切なものを、また大切なものだからこそ、手元に置いておけず、人の手に託さなければならなかったチーキーの心情はいかばかりなものだったのでしょうか。「夜になるまえに」という映画で、レイナルド・アレナスが自国キューバでは決して出版できないため、海外に出国する人に自分の大切な原稿を預ける、というシーンがあったのをふと思い出したりしました。

チーキーはその後、北アフリカの収容所に送られ、そこからメキシコに渡り、パスポートを発給してもらえなかったため、以降国外に一歩も出ることなく、その生涯をメキシコで終えたのだそうです。もちろん、キャパと再会することも叶わないままに。

この発見されたネガの写真展は、キャパの弟コーネルが亡くなる前に、NYで開催され、その後ツアー中だそうです。来年の2月にはパリに来るそうなので、ぜひ見に行きたいと思っています。

さて、この「Mexican Suitcase」に続いて、行ってきたのが帝国戦争博物館で開催中の、セシル・ビートンの戦場写真展(Cecil Beaton: Theatre of War)です。
(こちらの写真展で展示されている写真の一部を広報用に貸していただいたので、別ポストとして、まとめて、ご紹介しています。どうぞこちらもご覧ください。2012/11/20追記)

写真展のリーフレットと、写真展の内容を収めた写真集からの1ページ。

セシル・ビートンといえば、私にとっては、「マイ・フェア・レディ」の衣装デザイン、ヴォーグなどのファッション・フォトグラファー、エリザベス女王の戴冠式の公式写真、といった、蝶よ花よのキラキラ華やかな印象が強く、「戦場写真」とはにわかに結びつきがたいものがありました。しかし、1939年から第二次大戦が終わる1945年までの長きにわたって、英国情報庁からの依頼で、英国内だけではなく、エジプト、リビア、イラン、イラクなどの中東、インド、ビルマ、中国と多くの戦場を渡り歩き、7000枚もの写真を残しているのだそうです。

写真展は、時系列にビートンのキャリアを追うようにデザインされていて、今回、私もはじめてセシル・ビートンという人の人生を俯瞰することができました。もともとは、衣装とか舞台のデザインをしたくて、劇場関係の仕事につきたかったこと。でも劇場関係の仕事では生活できず、趣味の写真を仕事にして生活費を稼いでいたこと。次第に写真家としての名声を得てしまったものの、そこには葛藤があったこと。反ユダヤ主義的な彼の落書きがヴォーグ誌に掲載され、大スキャンダルとなり、コンデナスト社から契約を切られてしまったこと。知らなかったビートンの人生が、作品とともに開かれていきます。

そんな折りにやってきた、戦場写真の仕事は、ビートンにとっては、まさに人生の新しい一ページだったんじゃなのかなぁと、ふと考えてしまいます。戦場写真といっても、ビートンの作品のまん中にあるのは、やはり「人」で、多くの魅力的な表情がありました。戦場でも、人はこんなふうに微笑むことができるのか、というものまで。ポートレートを撮るために生まれてきたんじゃいか、と思うような、すばらしい作品を撮るビートンが、実は写真家である自分に違和感を感じていた、ということがあまりにも皮肉です。

こちらの写真展は、来年1月1日まで開催中です。機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてください。

IWM London
Lambeth Road, London SE1 6HZ
http://www.iwm.org.uk

最後に、11月11日といえば、ちょうど東北の大震災から1年8ヵ月、ということで、この日は、TERP(Tohoku Earthquake Relief Project)とSakura Frontが共催する震災イベントに行ってきました。TERPは、英国から震災復興支援を行う団体をつなぐプラットフォーム的な活動を展開している団体で、また、Sakura Frontは、被災地の桜の植樹のために桜のブローチを作成、販売するロンドン在住のデザイナーによるプロジェクトで、活発に活動されています。

イベントでは、冒頭に「The Tsunami and the Cherry Blossom(←クリックしていただくと、トレーラーに飛びます)」という昨年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた、英国人女性監督の製作した映画が上映され、また、宮城県知事による震災直後から現在、そして未来に向けた復興に関するプレゼンテーション、そしてパネルディスカッションがありました。

映画は、津波と日本人のメンタリティのなかにある、桜にまつわるセンチメンタルな部分を結びつけたドキュメンタリー作品でした。もしも機会がありましたら、ご自身の目でご覧になって、判断していただけたら、と思います。

今回のイベントを主催したTERPは、ロンドンから支援活動を行う団体の連絡係的役割を担っているそうです。英国にお住まいの方で、ボランティア活動したい、でもなにをしていいかわからない、という方は、TERPのウェブサイトやニュースレターに、ロンドンで活動している多くの団体に関して書かれていますので、ご参考にされるといいかもしれません。

会場に入場する際に、「Sakura Front」のブローチをいただきました。とても繊細で美しいブローチです。

右が、この季節になると英国人の多くが胸につけるポピー。
左が、Sakura Frontの販売しているブローチです

そんなわけで、いろいろと考えさせられた11月11日でした。

最後に、セシル・ビートンの写真展の入口のところに掲げられていた、ビートンの言葉を…。

This war , as far as I can see, is something specifically designed to show up my inadequacy in every possible capacity. It's doubtful if I'd be much good at camouflage - in any case my repeated requests to join have been met with, 'you'll be called if you're wanted.' What else can I do?

Cecil Beaton, September 1939

戦争は、戦っても戦わなくても、震災は、被災してもしなくても、やはり大なり小なり、みんなが傷つくものなのだと、そんなことを思いつつ…。





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