夕食のあと、なんとはなしに見ていたFacebookに、知人が出張先のドバイの夜景の写真を載せていた。「宝石を見ていたら、(知らない)おじさんにニーハオと話しかけられて、なぜか早く結婚するように説かれた」と書いていた。その夜景と文章を見ていたら、なんだか心の中のなにかに重なるものがあった。それがなんなのかは釈然としない。けど、気持ちは海を越えて、新宿の夜景のなかを歩きまわり、過去の記憶をノックし始める。
考えてみたら、予兆はあったかもしれない。
先週、父の命日があり、その前日に若い頃にお世話になった方が、父と同じ69歳で亡くなったことを知った(69歳。若い。70を超えるまで死んじゃいけない、っていうきまりをつくってほしいくらいだ)。アメリカに住む夫の親戚から、大昔にアイルランドで撮影したらしい夫の父親の若い頃や祖父、曾祖父、曾々祖父の写真が送られてきた。今日は、夫の弟から、彼が自宅でレコーディングしたCDが送られてきた。夫が25年以上前の自分の写真をどこかから見つけてきた。
記憶は、新宿の夜景から、ターフのにおいのするアイルランドをめぐり、夫の生まれ故郷であるバーミンガムの湿った空気のなかで立ち止まる。夫が見つけてきた古い写真のなかには、黒々とした髪の毛の若者がいる。「男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね」とは、夫の母親の葬儀のときに読み上げられた、彼女の名言をつづった詩のなかの一節だ。しんと静まった教会のなかに、くすくす、という笑いがもれた一瞬だった。
10年前のその日、私は東京にいた。中学の卒業20周年の大同窓会があって、それに出席するために4日間ほどの短い里帰りをしていたのだ。懐かしい顔に久しぶりにあって、とても楽しい時間を過ごして帰ってきた私を出迎えに、夫は空港に来てくれた。彼が「悪い報せがある」と言ったのはタクシーに乗り込む直前のことだ。「お母さんが亡くなったよ」と。
義母は、決して元気いっぱいの健康体、というわけではなかったけれど、特にひどい病気をしていたというわけではない。ただもともと心臓が強いほうではなかった。
あの年代のアイルランドの女性たちの大半がそうであるように、彼女も典型的なカトリック教徒だった。その日もふだんの日曜日と同じように、午前中にひとりバスに乗って、ミサに出席するためにいつもの教会に向かった。ひとつふだんと違ったのは、教会の前で倒れて、ミサに出席することがかなわなかったことだ。彼女はそのまま、神父さんの腕のなかで亡くなった。
私が義母と過ごした時間というのは、本当に限られたものだったと思う。知り合ってから5年ほどの間に、年に2、3回、バーミンガムに帰ったときに一人暮らしの彼女のフラットに訪ねていくだけ。私たちは当時から義妹の家に泊めてもらう習慣だったので、義母の元に訪ねて行くといっても、毎回2時間くらいのものだった。一番長くてもクリスマスのときに義妹の家で半日くらい一緒に時間を過ごすだけ。アイルランドの訛りがきつくて、当時の私には彼女の英語が半分くらいしかわからなかったというのもある(それを夫に言うと、訛りとは関係なしに、自分にも言ってることの半分くらいしか意味がわからないから、心配しなくていい、といつも言われたけど)。
子どもたちの間では、「お母さんは変わってるから」という空気があったのは、否めない。でも言葉もろくにわからない外国人の私にとっては、あたたかい義母だったと思う。クリスマスの暖炉の前で、お酒を一滴も飲めない私が「少しはお酒が飲めたら楽しかったのに」と言ったら、「お酒が飲めなくても人生を楽しめるのなら、お酒なんか飲む必要ないのよ」と真顔で言われたのをよく覚えている。
まだ乳児の頃に、家族全員がアイルランドから英国に移住することになったのに、なぜか、叔母(義母の母親の姉)のもとに預けられ、ひとりだけアイルランドに残った義母。そのまま叔母の家で、従姉妹にあたるその娘たちと姉妹同然に育てられたのに、13歳の年に突然、英国の実の家族のもとに連れ戻されたのだという。育ての親である叔母や従姉妹たちは、義母と突然離れることになり、胸を引き裂かれる思いだった、と、いまだにアイルランドに帰るたびに聞かされる。彼女たちの語る「かわいくて頑張り屋だったナンシー」と「ちょっと変わってるお母さん」の間の温度差がなんなのか、きっとどこの家でもそうなのかもしれないけれど、家族というのは、永遠の謎ではある。
今日、自分のコンピュータのなかを探したら、義母の葬儀のときに読み上げられた、前述の詩の全文が出てきた。彼女が亡くなる数年前に一時期入院していたことがあって、そのときに病院で出会った地元の詩人が、義母の言葉がおもしろい、と詩にまとめたものだという。彼女の言葉を集めたものだから、当たり前といえば、当たり前なのかもしれないけれど、義母という人を、端的によく表していると思うので、ここでも紹介したい。
◇◇◇
‘’Anne’s Poem’’ by
David Hart
I’m like a spider,
you know, when I write.
Washing on the
line without pegs
Would be really
amazing, the difference.
If you put your
clothes on the hedges
the clothes would
be alive with earwigs.
They can get into
your ears, apparently.
I had an uncle who
could talk the hind legs
off a donkey and
move on to another one.
Fancy a cup of
tea, poet?
It’s a shame men
go bald, isn’t it?
When I close my
eyes:
green fields and a
blue sky.
Tom and Jack went
out an brought in
a bottle of
sherry, and Maura and me
we sat there and
drank every drop.
Roses we were very
fond of.
Wild Woodbine is
delicious.
And Night-Scented
Stock.
Woolworth’s was a
halfpenny shop.
You could come
into Birmingham
on a bus for a
penny.
There were trolley
buses along the Coventry Road,
trams on the
Bristol Road
to the Lickey’s
and those places.
A Brummie’s
breakfast
was a cup of tea
and Woodbine.
I liked Cerrigeen
Moss with custard.
Blackberries? With
little white worms inside?
It could have been
a Friday
and you couldn’t
eat them.
So there, that’s
it.
ーーー
アンの詩(デイヴィッド・ハート)
私って蜘蛛みたいなのよ、知ってた? 書いた文字がね。
物干しに洗濯ばさみなしで吊された洗濯もの
きっと、その違いにはびっくりするわよ。
服を垣根の上にのせておいたら、
ハサミムシのせいで、生きてるみたい。
ハサミムシ(※1)って耳に入ってくるらしいわよ。
うちのおじさんっていうのは、
ロバの後ろ脚が折れちゃうくらいのおしゃべりで、
ずーーーっと話し続けられる人なのよ。
紅茶はいかが、詩人さん?
男の人が禿げちゃうのって悲しいわよね?
目を閉じれば
緑の野原と青い空。
トムとジャックが外に出て、シェリーを買ってきてくれて、
モーラと私は、ただそこに座って、最後の一滴まで飲んじゃった。
私たちが大好きなバラの花。
スイカズラは、とってもおいしい。
あと、夜に香るストックも。
ウールワース(※2)は、ハーフ・ペニー・ショップだったのよ。
バーミンガムにだって、1ペニーで
バスに乗って行けたのよ。
コベントリー・ロードには、トロリーバスがあって、
ブリストル・ロードには、トラムが
リッキーズとかその辺のところまで走ってた。
バーミンガムっ子の朝食は、
紅茶とスイカズラだったの。
ケリジーン・モス(※3)とカスタードが大好きだった。
ブラックベリー? 白くて小さいミミズがついてるでしょ?
あれは金曜日だったのかしら
食べられたもんじゃないわ。
だからね、まぁ、そういうことよ。
※1 英語のハサミムシは「earwig」で耳(ear)に入ってくるという義母の説らしい。
※2 文房具や子ども服などを扱っている英国のチェーン店(数年前に倒産)。
※3 海草の一種。
◇◇◇
「若いというのは、それだけで美しい」と最初に言ったのはだれだったのか。いままでずっと、心のなかでそれに反発してきたけれど、やっぱり、男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね、お義母さん?
若かりし頃の夫。黒髪に天使の輪ができてる(涙)。 |
このブログ記事を読ませていただいていたら
返信削除なんだかとてもじーんとしてしまいました。
詩、とても素敵ですね。
ところで、髪が少なくなっても
Gさんはかっこいいですよ!
まみさんのコメントのほうに、私じーんときました。
削除本当にありがとうございます。
きっとGもじーんとくると思います。ほんとに。
Gのお母さんって、言うことがすごくシュールだったんです。
この詩のなかの言葉って、私もほんと、繰り返し聞いていたことが多いんですけど、前後関係が不明だったりして「?」って。
だけど、10年たって読み返すと、なんとなく、わかるようなところもあって、義母の人生をもっと深く知りたくなりました。本人に聞けないのが残念です。