15.11.12

アーサー王ゆかりの地からやってきたマグカップ。

今日、キッチンに仲間入りしたマグカップ。

イギリスには、「チャリティ・ショップ」と呼ばれるセカンド・ハンドの洋服や品物を売るお店が、いたるところにあります。ホームレスをサポートする慈善団体、ガン患者をサポートする慈善団体など、チャリティの組織によるショップで、各家庭の不要品を持っていくと引き取ってくれて、それを売ってその慈善団体を支える資金の一部にする、というショップです。

私の家の近くの商店街にも、北ロンドン・ホスピスをはじめとする、慈善団体によるチャリティ・ショップが3軒ほどあります。

こまめにのぞいていると、ときどき「おっ♡」と思ういいものもあって、なかなか侮れないのですが、私自身はとにかく家が狭いため、ものを増やすことができないので、不要品を持っていく一方で、いままで買い物をしたことは、本当に一回くらいしかありませんでした。

ところが、今日、本当になにげなく、このチャリティ・ショップをのぞいていたら、ちょっと心を惹かれるマグカップを発見。ぽってりとした焼き物のカップで、大小ふたつ、おそろいの絵が描いてあります。

ひっくり返して見たら、制作者のシールがついたてづくりの新品で、なんとコーンウォールのティンタジェルでつくられたものでした。

コーンウォールのティンタージェルからやってきたようです。

コーンウォール地方は、陶芸家の窯が多く集まっていることでも有名です。民芸運動で知られている、バーナード・リーチの窯もコーンウォールのセント・アイブスというところにあります。

ティンタジェルというのは、コーンウォール地方の北東部にあり、6年ほど前に、女性誌の「ファンタジーゆかりの地を訪ねる」という企画で、一度取材に行ったことがあります。

ティンタジェルには、ティンタジェル城というお城があり、城のふもとにある洞窟は、アーサー王が生まれた場所、ということになっているらしいのです。その洞窟は、なかに入ることができて、薄暗がりのなかに、うっすらとさしてくる光が最高に美しく、冬の寒風ふきすさぶなかでの、まるで軍隊のブートキャンプかと思うような過酷の取材のなかで、心洗われる思いだったのを懐かしく思い出しました。

チャリティ・ショップで、このカップを手にとったら、ティンタジェルでの風景がぶわっと頭のなかを横切って、ふだんだったら絶対買わないくせに、ふらふらとレジに持っていって、お金を払ってしまったという次第です。

もしも、コーンウォールに行かれる機会がありましたら、ぜひティンタジェル城にも足を運んでみてください。私もぜひ、また(お仕事じゃなく)訪れたい場所です。

イングリッシュ・ヘリテージのティンタジェル城のウェブサイトはこちらです↓
http://www.english-heritage.org.uk/daysout/properties/tintagel-castle/

12.11.12

1111に思う。

11月11日は「英霊記念日」で、英国人にとっては大きな意味を持つ日です(詳細は昨年のこちらのポストをご覧ください)。日本の8月のように、この季節になると戦争映画や、戦争に関するドキュメンタリーが、テレビでも多く放送されます。

特にこの英霊記念日を意識したわけではなかったのですが、ここ1、2週間で、私も戦争関連のイベントにふたつほど行ってきました。

ひとつめは、写真家ロバート・キャパと、デイヴィッド・シーモア、そして女性写真家のゲルダ・タローが、スペインの市民戦争中に撮影した4500枚のネガの入った箱に関する映画「The Mexican Suitcase」の上映とこの映画を製作した監督の質疑応答というイベントです。


The Mexican Suitcase trailer from 212BERLIN on Vimeo.


70年の時を経て、2007年にメキシコで見つかったこの箱こそがタイトルの「メキシカン・スーツケース」。これは、映画のあとの質疑応答で、監督が話していたことなのですが、キャパの死後も、弟のコーネルがずっと探していたこの一連のネガは、もともとパリのキャパの暗室にあったもので、ナチスの侵攻を察知した、キャパの現像師チーキー・ウェイジが暗室を引き払う際に、すべてをかき集めて箱に入れ、メキシコに帰ろうとしていた大使に託したもの、なのだそうです。

これほど大切なものを、また大切なものだからこそ、手元に置いておけず、人の手に託さなければならなかったチーキーの心情はいかばかりなものだったのでしょうか。「夜になるまえに」という映画で、レイナルド・アレナスが自国キューバでは決して出版できないため、海外に出国する人に自分の大切な原稿を預ける、というシーンがあったのをふと思い出したりしました。

チーキーはその後、北アフリカの収容所に送られ、そこからメキシコに渡り、パスポートを発給してもらえなかったため、以降国外に一歩も出ることなく、その生涯をメキシコで終えたのだそうです。もちろん、キャパと再会することも叶わないままに。

この発見されたネガの写真展は、キャパの弟コーネルが亡くなる前に、NYで開催され、その後ツアー中だそうです。来年の2月にはパリに来るそうなので、ぜひ見に行きたいと思っています。

さて、この「Mexican Suitcase」に続いて、行ってきたのが帝国戦争博物館で開催中の、セシル・ビートンの戦場写真展(Cecil Beaton: Theatre of War)です。
(こちらの写真展で展示されている写真の一部を広報用に貸していただいたので、別ポストとして、まとめて、ご紹介しています。どうぞこちらもご覧ください。2012/11/20追記)

写真展のリーフレットと、写真展の内容を収めた写真集からの1ページ。

セシル・ビートンといえば、私にとっては、「マイ・フェア・レディ」の衣装デザイン、ヴォーグなどのファッション・フォトグラファー、エリザベス女王の戴冠式の公式写真、といった、蝶よ花よのキラキラ華やかな印象が強く、「戦場写真」とはにわかに結びつきがたいものがありました。しかし、1939年から第二次大戦が終わる1945年までの長きにわたって、英国情報庁からの依頼で、英国内だけではなく、エジプト、リビア、イラン、イラクなどの中東、インド、ビルマ、中国と多くの戦場を渡り歩き、7000枚もの写真を残しているのだそうです。

写真展は、時系列にビートンのキャリアを追うようにデザインされていて、今回、私もはじめてセシル・ビートンという人の人生を俯瞰することができました。もともとは、衣装とか舞台のデザインをしたくて、劇場関係の仕事につきたかったこと。でも劇場関係の仕事では生活できず、趣味の写真を仕事にして生活費を稼いでいたこと。次第に写真家としての名声を得てしまったものの、そこには葛藤があったこと。反ユダヤ主義的な彼の落書きがヴォーグ誌に掲載され、大スキャンダルとなり、コンデナスト社から契約を切られてしまったこと。知らなかったビートンの人生が、作品とともに開かれていきます。

そんな折りにやってきた、戦場写真の仕事は、ビートンにとっては、まさに人生の新しい一ページだったんじゃなのかなぁと、ふと考えてしまいます。戦場写真といっても、ビートンの作品のまん中にあるのは、やはり「人」で、多くの魅力的な表情がありました。戦場でも、人はこんなふうに微笑むことができるのか、というものまで。ポートレートを撮るために生まれてきたんじゃいか、と思うような、すばらしい作品を撮るビートンが、実は写真家である自分に違和感を感じていた、ということがあまりにも皮肉です。

こちらの写真展は、来年1月1日まで開催中です。機会がありましたら、ぜひ足を運んでみてください。

IWM London
Lambeth Road, London SE1 6HZ
http://www.iwm.org.uk

最後に、11月11日といえば、ちょうど東北の大震災から1年8ヵ月、ということで、この日は、TERP(Tohoku Earthquake Relief Project)とSakura Frontが共催する震災イベントに行ってきました。TERPは、英国から震災復興支援を行う団体をつなぐプラットフォーム的な活動を展開している団体で、また、Sakura Frontは、被災地の桜の植樹のために桜のブローチを作成、販売するロンドン在住のデザイナーによるプロジェクトで、活発に活動されています。

イベントでは、冒頭に「The Tsunami and the Cherry Blossom(←クリックしていただくと、トレーラーに飛びます)」という昨年のアカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた、英国人女性監督の製作した映画が上映され、また、宮城県知事による震災直後から現在、そして未来に向けた復興に関するプレゼンテーション、そしてパネルディスカッションがありました。

映画は、津波と日本人のメンタリティのなかにある、桜にまつわるセンチメンタルな部分を結びつけたドキュメンタリー作品でした。もしも機会がありましたら、ご自身の目でご覧になって、判断していただけたら、と思います。

今回のイベントを主催したTERPは、ロンドンから支援活動を行う団体の連絡係的役割を担っているそうです。英国にお住まいの方で、ボランティア活動したい、でもなにをしていいかわからない、という方は、TERPのウェブサイトやニュースレターに、ロンドンで活動している多くの団体に関して書かれていますので、ご参考にされるといいかもしれません。

会場に入場する際に、「Sakura Front」のブローチをいただきました。とても繊細で美しいブローチです。

右が、この季節になると英国人の多くが胸につけるポピー。
左が、Sakura Frontの販売しているブローチです

そんなわけで、いろいろと考えさせられた11月11日でした。

最後に、セシル・ビートンの写真展の入口のところに掲げられていた、ビートンの言葉を…。

This war , as far as I can see, is something specifically designed to show up my inadequacy in every possible capacity. It's doubtful if I'd be much good at camouflage - in any case my repeated requests to join have been met with, 'you'll be called if you're wanted.' What else can I do?

Cecil Beaton, September 1939

戦争は、戦っても戦わなくても、震災は、被災してもしなくても、やはり大なり小なり、みんなが傷つくものなのだと、そんなことを思いつつ…。





5.11.12

夜になると林檎は……。

昼間の林檎は



お行儀がいい。

でも、夜になると



林檎は……。




ひと知れず、おしゃれしてみたり、





ひとり人生に苦悩して、





やさぐれてみたりする。




OMG! もうすぐ朝がくる。




ちんまり。


おわり。



30.10.12

満月の断捨離。

世間一般に使われている「断捨離」という言葉と、その実態が実は「お片づけ」という、そのネーミングの適切さに関する是非は置いておいて。はからずも、この私も断捨離することになってしまった顛末について書きます。

だから、どこがどう「断捨離」なのか、っていう机の上ですが。


それは、満月前夜の丑三つ時。突然、私のメールサーバーへのアクセスが拒否されました。むむ、おかしい、と思いながらも、ウェブメールを使って、その場をしのいだのですが…その直後に私が契約してるレンタルサーバーの担当の方から以下のようなメールが。


御社サイトがハッキングされているという連絡がデータセンターよりあり、サイト内のウィルスをスキャン調査している最中にpublic_html内のファイルをすべてハッカーに消去されてしまいました(証拠隠滅の為と思われます)。

御社のパソコンからパスワードが盗まれている、またはパソコンがリモートコントロールされている可能性がかなり高いです。

先ずサーバーにアクセスする全てのパソコンがウィルスにやられていないか確認して頂けますか。


……なんと!!!

そこで、ウィルスソフトでスキャンしたところ、ごろごろごろごろと…。


ご参考までにこんなのがごろごろと。

ウェブメールのみで、サーバーにアクセスしていたノートだけが無事で、ほかの2台はしっかり感染していました。さらに1TBのバックアップディスクをすべてスキャンするのは、かなり時間がかかるので(ということで、上の写真は必死にスキャンしつづける2台の罹患した患者たち…)、とりあえず、クリーンなノートで新しく作り直してくれたというアカウントに接続しましたが、当然のことながら、60GBのサーバーは、キレイさっぱりなーんにもない、すっからかん状態になっていました。ははは……(汗)。

まぁ、バックアップはすべてとってありますし、メールサーバーがダウンしていたのは、10時間ほどのことだと思うので、大事というほどのことではないのですが……。やはり、何者かが私の使っているコンピュータに侵入したと思うと、あまり気持ちのよい話ではありません。

以前に友人のメールアカウントがハッキングされたときのこと(☜クリックすると当時の記事に飛びます)を書きましたが……なにが「皆様もお気をつけくださいね」なんだか。そんなことをのんきに書いている自分が聞いて呆れます。

とはいえ、今日は満月。みちみちいっぱいになってしまったものを、さっくり一掃するタイミングだったのでしょうか(おそろしくおめでたい発想)。

葉っぱも落ち葉となって木から去っていく、こんな季節ですし。

いえいえ、今後ウィルスには、十分注意したいと思います。はい。



29.10.12

発祥の地に戻ってきたピンポン・バー。

つい今月のはじめにオープンした欧州初のピンポン・バー「Bounce」を、CREA Webのコラムのために取材させていただきました。

詳細、概要は、ぜひCREA Web(☜クリックしていただくと、リンクが開きます)をご覧いただくとして、こちらではそのこぼれ話とこぼれ写真をご紹介します。

受付の横のカラーガラスを通して、すでにピンポンを楽しむ人々の姿が。

オープンは5時ですが、6時を過ぎると会社帰りの人々がどんどん入ってきて、卓球台は、あっと言う間に満席(満台?)に。

壁にかかっているデコレーションは、本物の卓球台やラケットを使ったもの。
かなり真剣にプレーしている人もたくさんいました。

白球を追うのは、ストレス解消にもよさそうです。

奥のレストランはこんな感じです。

社交がキーワードだけに、長テーブルを採用しているのだそうです。

ナポリ出身のピザシェフが腕をふるったピザ。

こちらのレストランでは、ウッドオーブンで焼き上げたピザが売りです。

「Bounce」をオープンしたアダムさんとドヴさんは、とってもさわやかな若きビジネスマン。ドヴさんはピンポンの腕前もプロはだしのようです。

創設者のアダムさん(左)とドヴさん(右)。

「はい、写真撮りますよ〜」と声をかけて、↑このようにポーズを撮ってもらいましたが、数分前まで、じゃれあってふざけあっていました。なんだかとっても楽しそうで、こちらまで、パワーをいただきました。アダムさん、ドヴさん、ご協力ありがとうございました。


Baunce
住所 121 Holborn, London EC1N 2TD
電話番号 020-3657-6525
URL www.bouncelondon.co.uk



27.10.12

霧のロンドン、マキノとハラが見た100年前の小径。

月曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

今週は、月曜日から水曜日まで、3日連続で霧の朝でした。月曜日の霧が一番深く、朝一番は、自分の指先も見えないんじゃないかと思うくらい。うれしくなって、森に写真を撮りに行きました。

こちらも月曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

火曜日は、前日ほどではないものの、やはり霧の朝。前日よりも早い時間に、再び森へ。

火曜日の霧。ハイゲイト・ウッドにて。

水曜日は、ずいぶんとやわらいで、浅い霧の朝。その前の2日間に比べると、ちょっと物足りない感じです。でも3日間連続での霧に、急に、というか、かなり必然的に「霧のマキノ」を思い出したのです。

「霧のマキノ」、明治から戦前の昭和にかけてロンドンで活躍した日本人画家、牧野義雄(1870〜1956)をご存知でしょうか。23歳で単身渡米、その後、牧野はロンドンにやってきます。最初の10年間はなかなか彼の才能が世間に認められなかったものの、1907年に挿絵を手がけた「Colour of London」という本がベストセラーとなり、牧野の描く「霧に煙るロンドンの風景」は、みごとに当時の英国人の心をつかみました。

いまでも「霧のロンドン」という言葉は定着していますが、ヴィクトリア時代のロンドンは公害によるスモッグのために、靄がかかることが多かったようです。現在でも、もしかしたら東京よりも霧の発生する頻度は高いかもしれませんが、牧野の時代は、おそらくもっともっと、ロンドンは霞のなかにいたのだろうと思われます。

もうずいぶん前ですが、「牧野について興味がある」と知人に話したら、2冊の本を貸してくれました。読まずに積みっぱなしにしていたその本を改めて引っ張り出して、霧がずいぶん浅くなった水曜日の午前中、そのうちの一冊を夢中になって読みました。牧野義雄が1913年に英語で書いた「述懐日誌(原題:My Recollections and Reflections)」という本です。この本、後半部分はさすがに時代が違いすぎるせいか、牧野の展開する日英の違いなどに、あまり素直にうなずけず、とばし読みしてしまったのですが、前半部分の彼の生活や友人関係は、本当におもしろく一気に半分まで読みました。

夢中になって読んだこの前半部分、渡英9年目の牧野と、やはり絵を学ぶために日本からやってきた肖像画家の「原」との関係に多くのページが割かれています。原がどれだけ真摯で優れた画家だったか、どれだけ苦労した人だったか…。妻と年老いた母を日本に残していたために、原はたった3年でロンドンを後にしますが、帰国後の原は牧野の絵を日本で売ることに協力し、牧野の甥っ子の大学生活を助け、そしてふたりは文通で気の置けない芸術論を戦わせます。そんな関係は、原が数年後に病で亡くなるまで続きました。

この本の前半にある、牧野と原がロンドンにいるときのやりとりのひとつが、あまりに印象的で、私の心をがしっとつかんで振り落とそうにも振り払えなくなりました。それは、こんなエピソードです。

ある日、ふたりが下宿に戻る途中で「スィスル・グローブ」という道を見て、ふたりは同時にこの光景を絵に描きたい、と思います。自分に描かせてくれないか、と言う原に、牧野は「ふたりの男がひとりの女を同時に愛するわけにはいかない。彼女は君にやる」と譲り、原にスケッチをさせるのです。けれど、原は結局死ぬまで、その絵を仕上げることをしなかった。牧野は牧野で、律儀にその風景は原のもの、と、自分で描くことはせずにいたのですが、原の死後、ふたりの友情の思い出にと、スィスル・グローブにおもむき、自身のスケッチを描き上げます。

牧野のスケッチが載っているページ。これをiPhoneのカメラで撮って、
それを頼りにロケーションを探してみました。

このスケッチが、あまりにも美しくて、心を打たれた私は、スィスル・グローブをぜひ自分の目でも見てみよう、とかなり衝動的に思い立ちました。そこで、ちょうど同じ日の遅い午後、取材の前のちょっと空いた時間を利用して、ケンジントンに向かったのです。

果たして、牧野が当時下宿していたシドニー・ストリートにほど近い場所に、スィスル・グローブはすぐに見つかりました。オールド・ブランプトン・ロードとフラム・ロードをつなぐ、車両進入禁止の500メートルほどの小径。本に載っていたスケッチを写したiPhoneの写真と見比べながら、この道を北から南に向かって、どのあたりなんだろう、としみじみ眺めながら歩きました。

北側は、すでに新しい建物が並んでいるので、当時の面影とはずいぶん違うように感じます。ただひとつ、スケッチのなかにあるのと同じかたちの外灯が並んでいることだけが、この道が「やはりそこなのだ」という証拠のように思えました。フラム・ロードにたどりついて振り返ると、おそらくこれじゃないかな、という風景に私の目にはうつりましたが、いかがでしょうか。

牧野のスケッチと同じかたちの外灯が並んでいます。

暗くなるまで、あと30分か、1時間。牧野の絵にある灯りのともった外灯が見たい、と欲を出した私は、近くのカフェで時間をつぶし、再度ここに戻ってくることにしました。

牧野と原が眺めた風景も、おそらく秋冬のことだったかと思います。

さすがに、霧はありませんでしたが、ふたりが絵に描きたい、と思ったのもわかるような気がします。落ち葉がはらはらと舞う薄暮の小径の風景は、その現実がすでに絵のようでした。いつか、早朝の霧のなかでこの風景を写真に撮れたなら、少しは牧野と原の世界に近づくでしょうか。チャンスがあったら、ぜひ戻ってきたいと思います。

さて、この本のなかでは「原」としか、記述されていない、牧野の親友だったこの肖像画家がどんな人物だったのかが気になって、家に帰ってきてから、ネットで調べてみました。

原撫松(はら・ぶしょう)、1866年1月27日岡山県生まれ。39歳で渡英、3年後に帰国し、その直後から体調が優れることはなく、1912年に逝去。いつか再びロンドンで会おう、と約束したものの、再度ロンドンの地を踏むことも、牧野との再会を果たすことも叶いませんでした。

死の直前まで、病床で弱々しく「絵が描きたい」とつぶやいていたという、この明治の洋画家が亡くなったのは、ちょうど100年前の今日、1912年10月27日。そして私とひとつしか違わない46歳だったことに、なんだか奇妙な縁を感じてしまうのは、ばかげているでしょうか。

牧野よりもずっと知名度が低くて、wikipediaにも名前の載っていない原撫松。あともう少し長く生きられたなら、事情は違っていたのかもしれませんが…。この早逝の画家の没後100周年を、彼の愛したここロンドンで、今日はひとりちいさくお祝いしたいと思います。

原撫松の絵画は、彼の出身地である岡山県の県立美術館に多く所蔵されているようです。ご興味のある方は、こちらのリンクもどうぞ。



26.10.12

セルフリッジズの「いつもと違うギフトショップ」。

アートを使ったセラピーを展開する、知的障害を持つ子どものための
チャリティ団体「The Art Room」が制作したミニチュアチェアの数々。

ロンドンのマンモスデパート、セルフリッジズで、クリスマスに向けたコンセプトストアのお披露目があり、出かけてきました。

「Not Your Usual Gift Shop(いつもと違うギフトショップ)」と名付けられたコンセプトストアには、セルフリッジのみで手に入るクリスマス・ギフトでいっぱいです。

アニヤ・ハイントマーチのキャンディをかたどったコインパース。

お菓子製造工場のようなディスプレーもかわいいのです。

まず、セルフリッジ限定商品のアニヤ・ハイントマーチの「All I ever wanted」コレクション。キラキラ光る素材を使った大小さまざまなパースやクラッチバッグが。外のウィンドウは、パースやバッグをお菓子に見立て、それらが作られてベルトコンベアで流れていくかのような、さながらカラフルな工場のよう。店内にも、クラッチバッグを運ぶ汽車が走っていました。

バッグを運ぶ汽車がぽっぽっと。

オープニングとあって、アニヤさんご自身もいらして挨拶をされました。

女性に大人気のアニヤさん。

そのほかの見どころとしては、BBCの子どものためのチャリティ「Children in Needs」のキャラクター、くまのパッジーをヴィトンやバーバリーなどの一流ブランドがデザイン。こちら、オークションハウスのクリスティーズでオークションが行われ、収益は寄付されるのですが、オークションまでの期間、こちらのコンセプトストアにて、これらのパッジーたちが展示されています。

こちらはバーバリーがデザインしたパッジーです。

下がマルベリー、上がハウス・オブ・ホランドのパッジー。

こんな、クラシカルなクリスマスらしい子ども向けのおもちゃもありました。かわいいですよね。

くまを押し込んでふたをしめて

脇にあるハンドルをまわすと「ABCの歌」が。

ぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

むむ、でてきた。

ただーっ!

知的障害を持つ子どものためのチャリティ団体が制作した、ミニチュア・チェアもよいギフトになりそうです。

とっても繊細にできています。

楽しいグッズと、クリスマスの雰囲気にあふれたこちらのギフトショップ、期間中、何回でも訪れたくなります。

ちょっとひねったクリスマスプレゼントを探すにはおすすめです。


Selfridges
400 Oxford Street, London W1A 1AB
電話 0113 369 8040
http://www.selfridges.com

24.10.12

「風船禁止」と、マルメの近代美術館。

さて、前回に引き続き、週末旅行のお話を。今回はマルメ編です。

マルメの駅、広々きれいで、壁に世界の車窓が映像で映されたりして、SFチックな印象すら与えます。

なんか、こう、近未来的ではないですか?

しかし、その舌の根も乾かぬうちに、駅構内で近未来的とはほど遠い、メルヘンなサインを発見。

「No Balloons」と書いてあります。

手のひらくらいの小さな「禁煙」サインに比較して、その6倍はあろうかと思われる「風船禁止」のサイン。しかもグラフィックがかわいくて、ちょっとおちゃめな冗談かと思うような標識です。しかもこれ、駅構内にいくつもあるのです。

禁煙よりも重要な禁風船。そのこころは? ということで、Trafikverket(英語名のSwedish Transport Administrationを直訳すると「スウェーデン交通管理局」といったところだと思いますが、Wikipediaによると「産業省交通局」と訳されるようです)にメール取材してみました。すると。

「風船禁止」のサインに関しては、多くの方から関心の声を寄せられています。おっしゃるとおり、一風変わったサインではありますよね。

このサインの背景にあるのは、以前に子どもが持ち込んだヘリウム入りの風船で、2度アクシデントがあったからです。なにが起こったかというと、風船がトンネルのパイプに入り込んだために、電車のための電線が天井直下でショートしてしまい、その結果、コンクリートの破片が線路上に落下するという結果につながったのです。

「なるほど」ですね。こんなに丁寧なお返事をくださったTrafikverketのご担当の方に、心から感謝するとともに、私からも皆さまに「駅には風船を持ち込まないでください」とお願いしたいと思います。

さて、マルメ。大変美しい教会があったり、街中がため息が出るほどきれいだったりしたのですが、この感動をお伝えできる写真と知識に乏しいので、雨がそぼふるなか、ひとり、文字通り駆け足で見学したマルメの近代美術館をご紹介します。

1901年に発電所として立てられた建物が、2009年の末に
美術館として生まれ変わったのだそうです。
Moderna Museet Malmö © Photo: Åsa Lundén / Moderna Museet

こちらでは、現在「The Supersurrealism(スーパーシュルレアリスム)」というテーマで、16世紀に実にシュールな肖像画を描いたイタリア人画家ジュゼッペ・アチンボルドから、現在活躍中の「きのこアート」で知られるカールステン・ヘラーや、スウェーデンの映像アーティスト、マグナス・ウォーリンまで、シュルレアリスムを象徴する作品を幅広く集めたエキシビションを開催中です。もちろん「正統派」のシュルレアリスト、サルバドール・ダリやマックス・エルンストなどの作品もたっぷり。

入口に入ると、まず、巨大キノコがお出迎えしてくれます。

© Photo: Terje Östling. Works (in the forefront): Carsten Höller,
Giant Triple Mushroom, 2012 © Carsten Höller/BUS 2012.
(In the background, from the left): Karl Axel Pehrson, Octett, 1976
© Karl Axel Pehrson/BUS 2012. Nathalie Djurberg, Florentin, 2004
© Nathalie Djurberg, courtesy of Zach Feuer Gallery, New York and Giò Marconi, Milan.
Jens Fänge, Rosa målning, 2002 © Jens Fänge/BUS 2012

1階奥の部屋では、ダリ好きの方には、絶対に見逃せない映画を上映しています。ダリが出演しているチョコレート会社ランヴァンのCM映像(Youtubeで動画を見つけましたので、ご興味のある方はこちらもどうぞ)、作家レーモン・ルーセルへのオマージュとして制作された、ダリの歌声(!)入りの5分間ショートフィルム、ダリが友人ウォルト・ディズニーのために描いたドローイングを用いたショートフィルムなど、興味深い短編作品を集めて、合計約1時間の映像を楽しめます。私はあいにく時間が足りなくて、半分しか見られなかったのですが、ダリが好きな方は、ぜひたっぷり時間をとって、こちらの映像もすべてご覧になることをおすすめします。

ルネ・マグリットや、写真家ブラッシャイの作品もありました。

René Magritte
Le Modèle rouge, 1935
© René Magritte/BUS 2012

Brassaï
Couple d´amoureux dans un petit café parisien Quartier Italie,
Paris, Ca 1930 © Estate Brassaï/RMN-Grand Palais

もっと時間をかけて、ゆっくり見たかったなぁというのが、正直な感想です。こちらのエキシビション、来年の1月20日まで開催中なので、期間中お近くに行かれる方は、たっぷり半日とって行かれることをおすすめします。


マルメ近代美術館
Moderna Museet Malmö
Gasverksgatan 22
211 29 Malmö
火〜日 11am〜6pm(月曜休館)
http://www.modernamuseet.se/en/Malmo/


おまけとして、名もなきiPhone写真家(私)が、マルメで撮ったシュルレアリスムの傑作(?)を。

ビルのてっぺんに目がついてます(しかもよく見るといっぱいついてる)。

マルメの本当に本当に美しい風景は、ぜひまぁちゃんのFlickrからご覧ください。この風景をこの目で見たこともあったのに、と思うと、ちょっと切ない、あまりに愛おしい風景です。









19.10.12

コペンハーゲンと、幸せを呼ぶ、かもしれないコイン。

スウェーデンはマルメに住む、お友だちのまぁちゃんをたずねて、週末旅行してきました。

初日こそ、快晴だったものの、翌日からの予報は雨。ところが、なんかの拍子にちょっと晴れ間も見えてきたので、電車で国境を越えて、デンマークの首都、コペンハーゲンに行ってきました。わずか数時間のコペンハーゲンは、まぁちゃんに教えていただいた見どころをすべて回ることもできず、ただざーっと雨の切れ目に移動しての駆け足観光。

ウォーターフロントの「ニューハウン」。新しい港、という意味だそうです。

そんなわけで、コペンハーゲンについてなにかを語れるほどのことはなにもない、ただの観光客だったのですが、心に残った場所をひとつだけ。アメリエンボー宮殿のそばにある、丸いドーム型の屋根のついたフレデリクス教会です。この教会、なかもすてきなんですが、一見、私にとってはどこといってとらえどころのない…でも屋根のついている場所というだけでありがたい…と思ったのは、雨がしとしと降っている間だけで、お日さまが雲から顔を出すと、壁にぼぉーっと浮かび上がるものが。

青い十字架が浮かび上がります。

このステンドグラスが実にクレバーにつくられていて、窓から差し込む光で、壁に十字架を描き出すのです。この日は雲がいっぱいで、太陽が出たり隠れたりだったので、思わず、長いこと椅子に座って、光のイルージョンを楽しませてもらいました。

入り口付近の窓もすてきでした。

そんなわけで、コペンハーゲンについては、まぁちゃんのブログ「まぁちゃんとの秘め事」でお楽しみください。コペンハーゲンの記事にたどりつくまでに、ちょっと時間がかかるかもしれませんが、寄り道も旅の醍醐味。すてきな写真と楽しい文章に溢れた大好きなブログです。ゆっくりひとつひとつ読まれることをおすすめします。

さて、コペンハーゲン在住の日本人の方にこんなことを聞きました。

「デンマークの1クローネ・コインは、『幸せを呼ぶコイン』ということで、日本のオンラインショップでも売られているのよ」と。

確かにとってもかわいいデザインです。

うちに帰ってきてから、オンラインショップで検索したら、なんと、本当に1クローネ(日本円で14円くらい?)が300円ほどで売られています。1円玉くらいの大きさですが、真ん中に穴があいていて、ハートのモチーフとマルグレーテ2世女王自らがデザインされたというモノグラムが。外務省のウェブサイトを見ると「フレデリック皇太子とメアリー嬢の御結婚に際してデザインされた、FふたつとMを組み合わせ、その上部に王冠をあしらったモノグラム」とあるので、きっとFも隠されているのだと思いますが、私には「M」と「II」しかわかりませんでした。「M」の縦のストロークを「F」に見立てているのかもしれません。

これ前述のように「日本では」、幸せを呼ぶコイン、ということになっているらしいのですが、実際デンマーク人の間では、どうなんだろう〜と思って、知人のなかで唯一のデンマーク人女性に聞いてみました。

そうしたら。

「えー、そんなこと聞いたことないわよー。But why don't we just decide it is so(でも、そういうことにしてもいいんじゃない?) 笑」

……だそうです。確かにそういうことにしておいても、まぁいいですかね。かわいいし。