知り合いの方から「うちの庭にあるプラムの木の実で梅干しが作れるらしい」と言われて、「よかったら作ってみない?」と持ちかけられたのは、今年の春のこと。
英語では、スモモも梅も「プラム」です。梅干しは、「ピクルド・プラム」と呼ばれています。同じプラムなら、きっとできるはず。
梅干し大好きな私としては、一も二もなく、「やりますやります」と即答し、いよいよ、シーズンがやってきて、プラムが我が家にやって参りました!
ぜんぶで、2.7キロ。まずは、いたんでないもの(梅干し用)、ややいたんでいるもの(梅ジュース用)、かなりいたんでいるもの(ジャム用)に洗いながら選別。
さらに二度洗いしつつ再チェックし、梅干し用には約900グラムの精鋭たちが選ばれました。
通常梅干しには粗塩が使われるのだと思いますが、こちらロンドンには粗塩なるものは見当たらず。しかたがないので、ギリシャのシーソルトを用意しました。
梅干しをつけながら、思い出していたのは父のことです。
私の父は、6年前の11月にがんで他界しているのですけれども、その年の春には、まだ再発も判明する前で、そこそこ元気な毎日を送っていたのでしょう。生まれて初めて梅干しを漬けたのです。
私が小さい時には、縦のものを横にも動かさないような、典型的な戦前生まれの日本のお父さんだったのですが、病気をきっかけに仕事を引退してから、ボチボチお料理をつくる楽しみも覚えたようです。
でも、父の梅干し第1号は、固くて、ガリガリしていてお世辞にもおいしいものではありませんでした。
そうこうしているうちに、がんの再発が判明し、夏には再入院となってしまい、余命何カ月かと宣告されたのです。自分の病気のことをすべて知ったうえで、治療法を選んできた父だったので、当然、本人にも告知されました。
入院中の父に会うために、夏に帰国したときのこと。父と梅干しの話になったのです。
梅干しが固かったのは、十分に漬けることができなかったから。なぜ十分に漬けることができなかったかというと、カビがきてしまったから、と言うのです。
「ほんとは、漬ける前にホワイトリカーで、洗わなきゃいけなかったみたいなんだよ」と父。そして、ごくごくふつうに「来年は、もっとうまく漬けるよ」と言いました。
たぶん、父に「来年の梅の季節」なんて来ないことは、本人にもわかっていたはずなのに、いつもどおりの娘との会話のなかで、ふと口をついて出てしまったんでしょうね。
そのあとちょっとした沈黙が走り、そのときの父の気持ちを考えると、いまだに辛い気持ちになります。
そんなことがあって、梅は漬ける前に、ホワイトリカーで洗うべし、というのは、父の心残りを果たすことでもありました。
とはいえ、はて、ホワイトリカーとはなんぞや、ウォッカ? スピリットであることは間違いないだろう、ということで、うちのダンナがプレゼントでもらったまま放置していた焼酎を拝借することにしました。
これをたっぷりボウルに入れて、父のことを思い出し涙目になりながら、梅をひとつひとつ、「これでもかっ」と、焼酎のプールでじゃぶじゃぶと洗いました。
まさに父の恨み、果たしたり。
というわけで、プラム仕事、第一弾完了です。
左側がジャム用のプラム、真ん中の大きいビンが仕込み済みの梅干し用、右側の小さいビンが、仕込み済みの砂糖漬けの梅ジュース用です。
毎日、カビが来ないように、ギロギロ観察したいと思います。