25.9.12

Happy Birthday Glenn Gould.

今年もやはりArt of Fugueを聴いてしまうこの時期

今日は、1982年に亡くなったカナダ人ピアニスト、グレン・グールドのお誕生日です。

今年は生誕80周年ということで、おそらくトロントではさまざまなイベントが行われているんじゃないかと想像しますが、私は東京からこそっとひとりでお祝い。



生きていたら今日で80歳だったグールド。いったいどんなおじいちゃんになっていたのだろう、とつい想像してしまいます。

彼の奏でる音楽に惹かれて、なんどもなんども繰り返し膨大な数のCDを聴かせてもらうことができるのは、グールドがコンサートの舞台と完全に決別して、レコーディング・スタジオにこもった、その恩恵のたまもの。いままで、どれだけの時間をうつくしいものにしてくれたことでしょう。

I believe that the only excuse we have for being musicians is to make it differently.

すごく印象に残るグールドの言葉。「ほかと違えることだけが、音楽家でいることの唯一の言い訳だと思う」、つまり、ほかと同じでは音楽家でいる意義がない、ということ。

これは、音楽家だけではなく、もの書きであれ、写真家であれ、編集者であれ、同じことだと思います。もっと言うなら、あなたという人がここにいる意義は、あなたがほかの誰とも同じでないこと、なんだと思うのです。

グールドの音楽は、それだけで美しいのですが、彼のこの言葉を思い出すとき、「違うことを恐れるな」という声が聞こえてくるような気がしてしまいます。

模倣じゃなく、横並びの連帯じゃなく、繰り返しじゃなく、ありきたりのカテゴライズじゃなく、でも違いを見極め、他者の違いも尊重できるように。あらゆることに当てはまる哲学だなぁと思うのです。

なんていうのは、半分はグールドを言い訳にした、私の持論かもしれませんが…。


さて、このあと数日のうちに、やってくるのが10月4日、彼の没後30周年。それを記念して、だと思いますが、長年DVD化されなかった「グレン・グールド・プレイズ・バッハ」が発売されるそうです。私自身も長年、親切な方がYoutubeにアップしてくれる断片を寄せ集めて鑑賞するしかなかったのですが、これを機会に全部観られるのがとてもとても楽しみです。ご興味のある方は、以下の断片のひとつを予告編として。




なにはともあれ。

グールドがこの世に残してくれた「うつくしいもの」に心から感謝をしつつ、今年もお誕生日をお祝いします。



22.9.12

最後の定期カーブーツセールと
お花のライブパフォーマンス。

ちょうど1週間前になってしまいましたが、先週の土曜日に、東北大震災チャリティ向けの、最後のカーブーツセールを行いました。

今回は売り尽くしということでがんばりました。

昨年の5月から続けてきた定期カーブーツセールですが、一緒にやっているみんなの都合を合わせるのがだんだん難しくなってきたので、ひとまず今回、最終回とすることにしました。前回までで、2453ポンドもの金額を寄付することができたのは、ひとえに、ご協力くださった方々のおかげだなぁと感慨深いです。

今回の集計はまだでていないのですが、金額がわかりしだい、またこのブログでもご報告したいと思います。

さて、この日は、このカーブーツセールのあとで、取材の下見に行き、さらにそのあとで、ICNギャラリーで草月流のいけばな作家、州村衛香さんのエキシビションのプレビューがあったのでお邪魔してきました。

会場では、作品展示とともにご本人がその場で実演するライブパフォーマンスもありました。

これから作品づくりに入るところです。

1メートル以上もある大きな植物を自在に操りながら、自由な発想でお花をいけていく様子が、とっても興味深くて、実演してくださった3作品とも、立ち尽くして見学しました。

実演された3作品のうちのひとつ。とても大きな作品でした。

こちらの展覧会は、明日23日(日)が最終日です。ご興味のある方はぜひ。

またこのICNギャラリーは、和食を供するカフェがあります。お昼のお弁当は本当におすすめなので、お近くに行かれることがあったら、ぜひカフェだけでも立ち寄ってみてください。


Eikou Sumura “LIFE”
〜23 September 2012


ICNギャラリー

96-98 Leonard Street; London EC2A 4RH
http://www.icn-global.com/






18.9.12

月を撃つ人、雲を捕まえる人。


今日、弊社KRess Europeの2011年度の会計にサインをして、今年も無事に法人税を納税しました。

一昨年に比べて、昨年度はお仕事の量がかなり少なかったので、収益はずいぶん落ち込みましたが、がくんと減ったとはいえ、今年も配当金をいただくことができて、黒字で終えられたのは、本当にありがたいことでした。

2006年に会社を興して、最初の2年は「あぁ、早く納税できる身分になりたい」と思っていたので、税金を納められることは、いまだ私にとっては喜びです。陰から日向から、会社を支えてくださっている多くの方に、感謝の気持ちをお伝えしたいです。

さて、KRess Europeの会計期は、年末で締めなので会計のとりまとめの締め切りは9月の末日です。毎年、税金の納め時が、夏のお日さまの見納め時、ということになります。

今年の夏は、ロンドンに住む多くの人たちと同様、私にとっても特別な夏だったと思います。女王の即位60周年があり、サッカーのユーロ杯があり、そしてなんといってもオリンピックとパラリンピックのあった夏。ボランティアをしたわけでも積極的に関わったわけでもありませんが、それでもオリンピックの開催地に住む、というのは、やはり特別な体験でした。

個人的な小さなこととしては、今年の夏の初めにミラーレスの一眼レフを入手したところから始まって、縁があって80年代のフィルムのカメラをいただいたり、写真好きのお友だちといろいろおしゃべりできたりと、かなりたくさんの写真を撮った夏でした。

自分のフォトライブラリーを眺めていると、やたらと多いのが空の写真です。

「空を見上げよ」という標識つきです。

これは同意してもらえることがあんまり多くないのですが、ロンドンの雲は、日本で見ていたそれに比べると、常に低い位置にあるような気が、私はするのです。

例えばこんなふうに。

屋根にのぼれば、つかめそうじゃないですか。

空を見上げていたのは、昼間ばかりではありません。古いフィルムのカメラをいただいたときに、かなり長い望遠のレンズも一緒にもらいうけたので、ぜひ月を撮りたいと思っていて、それで月の位置を意識するようになったのですが……。

いい年して、告白するのも恥ずかしいのですが、私、夜になったら月は空のどこかにあるものだ、と、「地球は丸い」というのと同じくらい当然に、そう思っていました。月にも太陽と同じように、月の出、月の入りがあって、午前中に月の出があって日が沈む前に月も沈んでしまうこともある、なんて、想像もしなかったのです。もちろん、昼間の空に白く浮かぶ月が見える日があることは知っていたのですが、それが「夜に月のない日もある」という発想にはまったく結びつきませんでした。

ロンドンでは、地上の灯りが多すぎて、星がはっきり見えない日が多いので、チャッツワースに行ったときは、きっと満天の星空が見えるに違いない、きっと月も美しいに違いない、と思って、喜び勇んで望遠レンズと三脚を持っていったのですが、まったく月が見えません。

宿泊先の1階のパブで、地元の人たちと話をしていたら、やはり夜空を見上げるのが好き、という英国人男性が何人かいて、空の星を同定するための、iPhoneアプリ情報交換会が始まりました。私はそのときまで、SKY ORBという無料のアプリを使っていたのですが、そこで、教えてもらって、Pocket Universeという有料アプリも入れました。これらふたつのアプリは、空にかざすと、見ている方向にどんな星があるのか、教えてくれる、というものです。さらに、毎日の月の出、月の入りの時間がわかるMoonriseという無料アプリも。こちらは、毎日の日の出と日の入りも合わせてわかるすぐれものです。

果たして。チャッツワース滞在中の月の出は、なんと深夜3時。目覚まし時計をセットして、ゾンビのように起きあがって空を見渡すも小雨交じりの真っ暗けでした。残念。

先日アイルランドに行ったときは、すべての荷物を背負ってのサイクリングだったので、三脚を持ってくることがかなわず、こんなときに限って、満点の星空。ポケット三脚をくっつけたデジカメを、むりやり家の門に載せて撮ったのがこれです(ほかと同様、画像をクリックしていただくと、ちょっと大きめの写真がご覧いただけます)。

夜空に輝く北斗七星がわかるでしょうか。

星雲(この写真には入っていませんが)までもがはっきりと見える、こんな星空を眺めたのは、私にとっては生まれて初めてのこと。あまりに星が多すぎて、デジカメで撮った写真をコンピュータで大きくして見たら、レンズがホコリだらけだったんじゃないか、と思うほど。「スターダスト」という言葉の意味を初めて実感した空でした。

この日の月の出は、夜の11時17分。11時を過ぎてぶるぶる震えながら、待つこと30分。iPhoneアプリの言うとおり、西のほうから月が上がってきました。デジカメの望遠はまったく足りないので、足の小指の爪よりも小さな光でしたが、拡大してトリミングしました。

この日は卵の黄身のようなオレンジ色の月でした。

いつの日か、りっぱなMoon Shooter(月を撃つ人)とCloud Catcher(雲をつかまえる人)になれる日を夢見て。またこまめに挑戦したいと思います。




11.9.12

アイルランドで考えたいくつかのこと。

分厚い雲がたちこめる西アイルランドのムルラニー。

3年ぶりにアイルランドに「帰って」きた。

前回のアイルランドは、友人も誘ってわいわいと賑やかな旅で、それがとても楽しかったので、この次も…と思っていたのだけれど、夫のかなり無謀な9月のサイクリング計画に、天候も見えず(むしろ雨になる可能性のほうが高い)、天候が見えないので一日の終わりにどこまでたどり着けるかもわからず(だから宿が取れない)、ずっと雨なら、ずっとパブ(下戸の私にとっては最悪)、などというまったくもって先の見えないプランに、友人を誘うことは躊躇した。

前回一緒にアイルランドに来た友だちに「アイルランドに行くことにしたよ」と告げたら、「えーいいなー」と言われたけれど、「でも雨のサイクリングになるか、一日パブだよ」と返したら、「そうなんだ、がんばってね」と、あったかパンツと速乾性のあるズボンを持ってきて貸してくれた。Nちゃん、ありがとう。

というわけで、今回は前半3日間は夫とふたりのサイクリング旅行、後半3日間は親戚三昧の旅となった。サイクリングのほうは、アイルランド西部のメイヨーの端っこにある、ウェストポートという町からアキル島まで、1937年に廃線になったグレートウェスタン鉄道の線路の跡地に設置された「グリーンウェイ」という42キロのサイクリング&ウォーキングルートをたどる、という計画だった。これを3日間で往復するので、単純計算すると一日25キロ〜30キロ走ればよい。

自転車に乗っている間は、ほとんど会話はない。ただひたすら、アイルランドの重い雲と、低い山と、それほど濃くはないけれどしっかりと大地に根をはった緑と、遠くに見える海をながめながら、自転車のペダルをこいだ。

そのどこまでもアイルランドな風景をながめながら、いろいろなことを考えたので、ちょっとだけ書き留めておきたい。長くなりそうなので、がんばらないで、適当にスルーしていただければ幸いです。

こちらもムルラニーで。


アイルランドは、私にとってはかなり特別な土地だ。夫の両親がアイルランドの出身で、子ども時代の夫にとっては夏休みの帰省先だったこともあり、いまだ親しくしている親戚も多い。私も、夫とつきあい始めて彼の親兄弟と会うよりも先に、アイルランドの親戚たちに紹介された(たまたま、いとこの結婚式があって、そこに連れて行かれたのだ)。彼らがその日から線引きもなくファミリーとして受け入れてくれたことは、東京郊外の核家族で育った私にとっては、ある意味衝撃だった。そんなこんなで、ここ15年ちょっとの間に、私にとってもアイルランドは「行く」のではなく「帰る」という感覚を伴う場所になった。

夫の親戚にも一様に言えることだけれど、アイルランドの人々は、とにかくおせっかいなほど親切であたたかい。空港のインフォメーションのおばちゃん(中年女性、というよりあえて「おばちゃん」と呼びたい)が、「あら、バスの時間? 次のまで4時間くらいないわよ。タクシー呼ぶ?」と、この最後の「タクシー呼ぶ?」がついてくるのがアイルランドだなぁと思う。レンタルサイクルのお店で、「かごのついてる自転車? うーんうちでは置いてないなぁ…。あ、売り物のかごだけど、これつけていくか?」と「€35.99」と値札のついたままのかごを、私の借りた自転車の前につけてくれる(私が返したあと、これ売るのだろうか、という疑問も一瞬よぎったけど)。高級ホテル、とされている宿泊先のレストランでも、ステーキの大きいこと。

ロンドンだったら、空港のインフォメーションで、バスの時刻表はくれるかもしれない。でも「タクシー呼ぶ?」とは聞いてくれない。レンタルサイクルの店では「うちではかごのついた自転車はありません(以上)」だろうし、高級レストランの食事が大盛りだった試しはない。

私の知っているアイルランドには(もちろん、ダブリンのような都市部では少し事情は異なるとは思うけれど、少なくとも西アイルランドの田舎の町では)、ロンドンや東京といった、いわゆる「大都市」では定番の「とりすましたスマートさ」、みたいなものはあまりない。むきだしの、というか、洗練されていないホスピタリティなんだなぁ…と、ふと、そこで、それなら「洗練」ってやつは、いったいなんなのだろう、と考えてしまった。

「洗練されたおもてなし」とか、「洗練されたお料理」とか、もっと言えば「あの人は洗練されている」とか、まるで「洗練」がひとつのクオリティ(特質)であるかのように扱われることすらあるけれど、「洗練」そのものはクオリティではないはず。先になんらかのクオリティがあって、それを文字通り「洗って練って磨く」ことに過ぎない…はず。

なにが言いたいかというと、ホスピタリティのないところに、「洗練されたホスピタリティ」はありえない、ってことなのだ。そもそものホスピタリティがないくせに、洗練だけ追い求めようとしたって、かたちばっかりで中身のないものになってしまうのは、当然だろう。ラッピングだけが見事な空き箱みたいに。長たらしい名前のついた凝ったソースだけが売りのお料理のように。ロンドンや東京は、そういう例で溢れていると思う。

無難にホスピタリティについてだけ、触れたけれど、自戒の意味も込めて敢えて言うなら、それって実はホスピタリティだけじゃない、と思う。センスとかスキルとか、目に見えるものも見えないものも、みんなそう。洗練された美しい言葉で綴られた履歴書が、どれだけその人を幸せにしてくれるだろう。追い求めるのは洗練じゃない。先にクオリティありき、なのだ。きれいにまとめることだけに気をとられて、本質を見失ってやいないか、または他者のなかにある原石が、ちゃんと自分の目に見えているのかどうか、自問してしまう。自分は大丈夫なのか、と。

そんなふうに、ふだん意識せずに過ごしていることに、ドキっとさせられたことはほかにもあった。

たとえば、自転車で走っていても、歩いていても、すれ違う人が一人残らず、挨拶してくれること。挨拶されたことにドキっとしたのではない。それに戸惑う自分にドキっとしてしまったのだ。東京でもロンドンでも、知っている人にしか挨拶しない生活に慣れきっている私にとって、前から歩いてくる人に「ハロー」と言われるなんて、想定外のこと。前から人が来た、知らない人だ、と認識した瞬間に、自分のなかでその人は風景の一部に変わってしまっていたのかな、と。自分のすごく傲慢な一面を見てしまったような気がした。

というのも、これと同じことを、どこか地方出身の知り合いに指摘されたことがあったのを思い出したのだ。ロンドンの人は、人を人とも思ってない、そのへんのものと同じように目に映っているだけだ、って。そのときは、ピンと来なかったのだけれど、ああ、こういうことを言ってるんだなって、今回初めてわかったような気がした。確かにこういう場所で育った人にとって、誰も自分を見ることも、自分に注意を払うこともせず、ただ素通りしていくだけのロンドンの街は、さぞや寂しいことだろう。

と言いながら、自己弁護するわけじゃないけれど、私はそんなロンドンが嫌いじゃない。むしろ誰にも注意を払われないことが快適だったりする。これはどっちが正しいとか、どっちが冷たいとかじゃなくて、ものすごく個人的な人との距離の置き方の違いだけなのだろう、と思う。通り過ぎていく車さえ、片手を上げてくれるアイルランドも素敵だとは思うけれど、それじゃあ、明日からいきなりキングズ・クロスの駅で、すれ違う人みんなに挨拶をするかというと、私はしない。

ただ、いままでと同じように距離を置きつつも、すれ違っていく人も、そこで電車を待っている人も、みんな人なんだなぁっていうのは、ちょっと頭の片隅に置いておきたいと思う。決して風景のなかの「もの」ではないんだと。

この人との距離の置き方と関係性について、アイルランドで感じたことをもうひとつだけ書く。これが最後だ。

冒頭に書いたように、私にとっては、96年に夫と一緒にいとこの結婚式に出席したのが、アイルランドのファミリーとの出会いだった。そのとき、一番最初に一番強烈な印象を私に植えつけたのは、当時60代だった夫のおばさんの一人で(正確には夫の母のいとこの妻。かなり遠い存在に聞こえるが、アイルランドではみんな一様にファミリー)、「G(夫)のガールフレンドかい?」と私を見とがめるなり、突進してきて、ものすごい怪力でハグされた。そのときの私は、アイルランド・アクセントの英語を半分も理解できず、勝手に孤独を感じていたところもあったのだが、この怪力ハグの洗礼は、私の体の表面に貼り付いていた緊張をむしり取って引きはがして、ビリビリに破いて風に飛ばしてしまうくらいの勢いがあった。

その後そのおばさんの息子のKが「ごめんね、うちのお母さん、いい人なんだけど、キャラが強くて」と言いにきた。このKと夫の顔がそっくりで、あとから「あなたとKってそっくり。やっぱり血がつながっているのね」と言うと、「いや、Kは養子だから血はつながってないんだよ」と言われて驚いた。「あと、IもMも養女なんだよ」と。

KもIもMも私たちと同年代だ。妊娠中絶が合法でないことも理由のひとつだとは思うけど、私たちの年代の養子縁組は少なくない(妊娠中絶が合法でないために、子どもを育てられない境遇の女性も出産はするため)。KもIもMも、子どものできない夫婦の養子として、乳児の頃に引き取られた例である。IとMは別々の家からもらわれてきた血のつながらない姉妹だが、本当に仲がいい。Mは最初の夫との間に二人の子どもに恵まれたが、Iは子どもができず5年前にやはり養子をとった。

Iの父で今年92歳になるおじさん、おじさんの娘として育てられたI、Iの息子として家族の一員となった小さなR。血のつながらない親子三代が、キッチンで肩を寄せ合いながら、携帯で撮った写真をのぞきこんでいる。愚鈍なほどの実直さで、血のつながりがある親子も、そうでない親子も、毎日同じように淡々とその関係を保ち、毎日を重ねていく。アイルランド人の血には「甘んじて受け入れる」DNAが組み込まれているんじゃないかとすら思ってしまう。

それは、この分厚くて重い雲の下で、しっとりと湿った空気と、ターフ(泥炭)を燃やすにおいのなかで、培われてきた気質なのだろうか。それとも彼らがよりどころとしているカトリックの精神によるものか。いずれにしても、そこには、引き継がれて連綿と続いていくなにかがある。

夫の母が姉妹同然に育ったいとこのひとりで、今年87歳になる元修道女のMおばさんは、今回、夫の顔をまじまじと見てこう言った。「来てくれてうれしい。あなたを見ていると、ラブリーなナンシー(夫の亡母)とトミー(夫の亡父)を思い出す」と。

今回は会えなかったけれど、私に怪力ハグをプレゼントしてくれたおばさんは、ここ数年認知症が進みケアホームで生活している、と聞いた。その息子のKには昨年娘が生まれ、ちょうど新しい家に引っ越した翌日に会うことができた。

Iの妹のMは、ふたりの子どもを連れて、現在一緒に生活しているパートナーとつい先日婚約した。パートナーの側にも前妻との子どもがひとりいて、子どもたちは急に兄弟が増えることになった。

すでに失われてしまったもの。いまここにあるもの。これから生まれてくるもの。その流れをとどめることは誰にもできない。

アイルランドにいると、大地から生まれて、生きて、老いて、死んで大地に還っていく、という、都会の生活で忘れられてしまったかのような、ごくごく基本的な約束がとても身近に感じられる。それはシンプルさを強調する流行でもファッションでもない。自然の摂理の一部として、いままでもこれからも、私たちを巻き込んで普遍的にまわりつづけるものなのだ。

雲が何層にもいろんな高さで重なっている。たまたま晴れ間が見えたときは、気が遠くなるほど美しい。

7.9.12

ピルスリーからベイクウェルへ。

さて、デボンシャー公爵とお会いしたことがきっかけになって、チャッツワースにやってきた私。たった一泊ではありますが、デボンシャー公爵の領土のなかにあるピルスリーという小さな村に宿を取りました。

一見ふつうのパブです。(クリックしていただくと少し大きめの画像がご覧いただけます)

こちら「デボンシャー・アーム」は、2階部分がアコモデーションになっています。昔ながらのパブのあるべき姿、という感じです(ちなみに領土のなかで、ピルスリー以外の場所にもデボンシャー・アームというパブがありますので、注意が必要です。

ところがなかなかおしゃれな内装。

歩いて行ける範囲のレストランもないので、夕食もこちらのパブでいただきました。

かなり広々としたダブルルームでした。

お部屋のなかはかなりゆったりしたダブルルームで、写真の奥に見えるソファはソファベッドにもなり、家族連れでにも対応できるようです。

一泊旅行の悲しいところは、来た日と帰る日だけしかないということでしょうか。最終日にあたる翌日は、このピルスリーの宿からお菓子の「ベイクウェル・タルト」で有名なベイクウェルまで歩いて行ってみることにしました。


途中の田舎道からの風景。

ウォーキング用のパスをたどっていくとわずか30分ほどの道のりです。このパスから見える風景がまたのどかでなかなかすてきなルートです。


カメラ目線の牛。

絵に描いたような英国の田舎の風景をながめつつ、ぶらぶらと。

お天気はいまいちでしたが、寒くもなく、快適でした。

英国の田舎のウォーキングルートには、いきなり「パブリック・フットパス」という文字とともに、パスでもなんでもない農場を横切るルートがときどき現れます。

こんな感じです。

この先はパスとは名ばかりの思いっきり農場。

この木を組み合わせたステップは、動物たちが外に出ないように工夫されたものです。


どっちの方向に歩けばいいのかは、この小さな矢印だけが頼り。

私の場合は、この農場内のパブリックフットパスで、どっちに出ればよいのか迷ってしまうことばかりなのですが、今回は、夫のおかげで、無事に農場を通過しました。

と、このあたりで、雨がぱらつき始め、木の下で雨宿りなどをしながら、じりじりとベイクウェルの方向へ。

鳥の群れが飛んできたので、慌ててシャッターを切りました。ちょっとピンぼけ。

この川が見えてきたあたりで、そろそろベイクウェルです。

あっと言う間に遠くに行ってしまう。

川の向こう岸はもう、ベイクウェルです。町並みがかわいらしい…。


こちら側はもうベイクウェル。

このベイクウェルという町、いかにもかわいい英国の町です。タルトで有名なだけに、ティールームの数も多いように思いました。

とあるティールームの入り口の飾り。

さて、私たちもティールームに入り、ベイクウェル・スクエアという焼き菓子をいただいたのですが、このティールームでちょっと目にとまったのが、「Post a Tart」という表示。どうやら、郵送でカード代わりにタルトを送りませんか? ということらしいのですが…。

こんな感じで、メッセージが入れられるもよう。世界中どこにでも送れるようです。
このお菓子でメッセージを送る、というのが、どうやらはやっているのかどうか、わかりませんが、ほかにもこんな看板を見かけました。

こちらは世界中どこでもではなく、英国内どこでも、ということらしいです。

なかなかおもしろいアイデアではあります。一度機会があったら、試してみようかしら、と思っています。

雨が降ってきたので、帰りはバスでピルスリーに戻り、そのまま荷物を引き上げて、ロンドンに戻ってきました。

ロンドンから1泊のチャッツワース旅行。ロンドンとは違う、ちょっと田舎の風景と、貴族のお屋敷を同時に見られる、なかなかすてきなコースです。

チャッツワース・ハウスのウェブサイト
http://www.chatsworth.org

デボンシャー・アーム・ピルスリーのウェブサイト
http://www.devonshirepilsley.co.uk

4.9.12

五味由梨さんの修了制作展とファーナム散歩。

チャッツワース旅行に関する記事が途中ですが、即時性を要する内容なので、こちらを先にアップします。

今日は朝から、サリー州のファーナムという町に行ってきました。

お友だちの若きフォトグラファーで、グラフィックデザイナーの五味由梨さんのMAショー(MAコースの修了制作展)を見に行ってきたのです。

会場に名刺代わりに置かれていた小さなカード。私もひとついただきました!


会場は、由梨さんが通っていらしたUCA芸術大学(University for the Creative Arts)のギャラリーです。ということで、さっそくなかへ。


とってもモダンな入口です。


由梨さんの展示のタイトルは「Landmark 1966-2011」。1966年に由梨さんの曾おばあさまが、一世一代の欧州周遊旅行のツアーに参加されたときの写真をもとに、その足跡をたどり、当時とまったく同じロケーション、同じアングルで撮った由梨さんのセルフポートレートと、オリジナルの写真を並べています。


蛇腹状に立てられた写真が、真っ白な壁に映えて、とってもすてきでした。

ビッグベンの前に立つ曾おばあさまが和服姿なのが印象的。


エッフェル塔の前に、セントポール寺院の前に、ベルサイユ宮殿の庭園に立つ曾おばあさまと由梨さん。45年の時を経て変わったものと、変わらないもの。そんな対比がとても興味深く、しみじみと見入ってしまいます。由梨さんの写真がすてきなのは言うまでもないのですが、この45年前の写真のまたすばらしいこと。名前も知らないこのフォトグラファーの方にも、心のなかで賛辞を送りました。


左からビッグベン編、ピサの斜塔編、エッフェル塔編。


そのほかに、ビッグベン、ピサの斜塔、エッフェル塔の1966年から2011年を振り返る写真集もありました。こちらは、この45年間各年の写真を集め、時系列に並べて、その移り変わりを見る、というもの。ビッグベンの屋根の部分に、修復中の足場があったりなかったり、そんな変化がとてもおもしろかったです。

こちらの展示会、9月7日(金)まで。もちろん入場無料です。お近くの方も、そうでない方も、ぜひ足を運んでいただければと思います。

詳細は、以下のサイトからどうぞ。
http://made2012farnham.wordpress.com/
由梨さんのブログもぜひ。由梨さんの世界を垣間見られる、大好きなブログです。
http://gomiyuri.jugem.jp/

さて、このMAショーを見るだけでも足を運ぶ価値十分なのですが、ファーナムの町そのものも、かわいらしい魅力に溢れています。

まずこちらは、ランチをいただいたカフェ「The Lion and Lamb Cafe」。

古い建物が素朴な雰囲気です。


内装は素朴なようでいて、とても洗練されていました。


入口付近にはケーキやスコーンが。

テーブルには切り花ではなく、鉢植えのお花が置かれています。


そしてなんといっても感動してしまったのが、こちら。シェフの自慢料理「バターナッツスクワッシュ、ルッコラ、パルメザンチーズ、フェンネル・シードと松の実のスパゲッティ(長くてすみません…)」。この組み合わせが絶妙なのです。


このスパゲッティがとてもおいしかったのです。


「これは、シェフのオリジナル・レシピなの?」とたずねたところ、「そう。ほかのメニューに変更があっても、この一品は年間を通してサーブしてるのよ」とのこと。

さて、制作展のあと駅に帰る道で、ただ「わーきれい」「きゃーかわいい♡」と、とりとめもなく撮ってしまった写真をとりとめもなく、以下に載せておきます。ファーナムの雰囲気を感じていただければ(クリックすると少し大きめの画像がご覧いただけます)。

古い協会に向かう細い道。


古い教会のなか。

教会の脇の道。

こちらも教会の脇の道。アップ。

教会の入口まで絵になります。

教会から公園に向かう途中の建物。お花と壁の石膏がすてきでした。

公園で。過ぎ去ったかと思ったら、急に帰ってきた夏の日に子どもたちも大喜び。

駅に到着。


今日は行けませんでしたが、ファーナムにはお城やミュージアムもあるそうです。ロンドンのウォータールー駅から1時間弱。ちょっとした遠足が楽しめます。

1.9.12

デボンシャー公爵とチャッツワースのお話。

すべての始まりは、 8月中旬、「英国貴族とたしなむアフタヌーン・ティー」というプレス向けのイベントでした。

こちらのイベントは、ハイクレア・カッスルや、アルンウィック・カッスルなど、一般に公開している英国の貴族のお城や邸宅を、彼らが自らプロモーションする、という目的のものでした。

この席で、私が最初にお話したのが、デボンシャー公爵だったのです。

ブルーの瞳がチャーミングなデボンシャー公爵

デュークの所有するチャッツワース・ハウスは、ロンドンから電車で北に向かって約2時間、ダービシャーにあります。「え、デューク・オブ・デボンシャーなのに、デボンシャーじゃなくて、ダービシャーなの?」って思われるかもしれませんが、英国の貴族の称号は、住んでいる場所とはまったく関係ないことも多いのだそうです。「あ、ダービシャーはもうほかの人に取られてるのね、じゃあ、デボンシャーで」という具合です。

デボンシャー公爵から、お家やお庭がどれだけ美しいか、600人の従業員を抱える企業の長としてのご苦労(英国では領土を持つ貴族の場合、領土と文化的遺産を守るため、家の長男がすべてを相続するというきまりがあり、その家の長男にうまれる、ということは、その責任を負うことを意味します)など、おうかがいしているうちに、これは一度行って、自分の目で見なければ、という気分になってきたのです。

そこで、さっそく行ってきました。

ロンドンから電車で2時間。チェスターフィールドの駅です。

まずは、駅からタクシーで20分ほど。予約していたパブの2階のインに荷物を置いて、チャッツワース・ハウスに向かいます。この道のり、ずーっとデボンシャー公爵家のエステート。じきに高低差の美しいお屋敷と庭が見えてきました。こちらのお屋敷1600年代の終わりと、1700年代の初めに建て直されたものだそうです。

ここ、映画「プライドと偏見」、「ある公爵夫人の生涯」、「狼男」(1941年製作)の舞台となった場所でもあるのです。

ため息が出そうな美しさのチャッツワース・ハウス。

入口で荷物を預かってくれるので、カメラだけ取り出して、身軽になってお屋敷の中へと。

世界のお宝がたくさん並んでいます。

お屋敷のなかは、これでもかというくらい、多くの歴史的芸術品で溢れています。まさに古代エジプトのものから、コンテンポラリー・アートのダミアン・ハースト氏の作品まで、3000年以上の時を超えた作品が溢れています。

ダミアン・ハースト氏の作品。

窓の外にはこんな動物…の像も…。

館内には、美術品の展示だけではなく、もちろんベッドルームやダイニングなどステート・アパートメントも公開しています。

ダイニングルームは、しっかりテーブルセッティングまで。

館内の光がきれいで、ついつい調子に乗ってしまいました。

「A Veiled Vestal Virginという作品です。

光がとってもきれいなのです。

と、館内を一通り見て、105エイカーあるといわれている、広大なガーデンへ。この日はとても暑い夏日だったので、噴水のまわりで、水遊びをする人が大勢いました。

おそらくチャッツワースと聞いて、英国人が最初に思い出すのは、この風景じゃないかと思います。

チャッツワースといえば、この水辺の風景が有名です。

初日は、このように、チャッツワース・ハウスとガーデンを堪能しました。翌日はロンドンに帰る前に、ちょっと歩くことになりました。

それはまた次回ご紹介しますね。