28.4.13

すべては船の上のこと。

船に乗ったところまではよかったのです。



夫とふたり、うちに帰るためのバスをビクトリア・コーチ・ステーションで待っている。
バスは16:21の予定で、腕時計は4時を指している。バスはまだ来ない。ちょっと周りを見てくるね、と荷物を夫に預けて、そのまわりをぶらりと歩きに行った。

どこをどうやって歩いたのかよく分からないけれど、気づいたら道に迷っていて、誰かに道をたずねようとそこにあった大きなビルに飛び込むと、どうやらそのビルは、税務署のビルらしかった。受付には何人か人が待っていたので、私も道をたずねるために人々の最後に並ぶ。

と、見覚えのある顔が急ぎ足でエレベータに乗り込んだので、私も急いで彼女の乗ったエレベータへ。目の前でドアが閉まったエレベータのボタンを押すと、ドアが開いて、「あっ」と彼女も。「覚えてますか? 昔○○でお世話になった××です」と向こうから挨拶され、「もちろんです。私も××さんだ、って思って、それで追いかけたんです。実はいま困っていて……」と話を続けようとしたら、彼女の必要な階にたどり着いてしまい、「ごめんなさい、私ミーティングに遅れそうで急いでいるので、今度またゆっくり」と言い残し、彼女は去っていった。

腕時計の時刻は、すでに4時15分を指している。もうバスには間に合わないかもしれない。夫に連絡しなければとポケットの携帯を探すと、見たこともないNokiaの携帯がポケットに入っている。私のiphoneはない。どこかで誰かの携帯を入れ替わってしまったのだろうか。私は夫の携帯の番号を暗記していないので、よその電話からかけることはできない。どうしよう。

なんやかんや、歩き回っているうちに、ずいぶん遠くまできてしまったようだ。これはもう、歩いて道を探すよりタクシーに乗った方が早いかもしれない。見ると、道にはずいぶんたくさんの「TAXI」の黄色いランプが行き来しているようだ。

どこで手渡されたのか、私の手のなかには長ネギがあって、空車の注意を引こうと長ネギをぶんぶんと振り回し「タクシー!!」と大声をあげてみる。ところがよく見ると誰かが乗っているタクシーばかり。周りには、いつのまにやら、ずいぶんたくさんの人が同じようにタクシーを探しているようで、皆が必死に空車を探している。隣のおばさんは、ぐいぐいと私を押してくるし、ややいらいらし始めたところ、黄色いランプのタクシーの一群が近づいてきた。

「よかった!」と思って、ネギを振っていると、近くまで来てみたら、なんとそれらは、「TAXI」の黄色いランプをつけた、A3ほどのボードを持った人々の列だった。ボードには、それぞれタクシー会社の名前と電話番号が書かれていて、しかもなぜか全員日本人で、時代劇のかごの担ぎ手の衣装を身につけている。回転寿司で「茶碗蒸し」とか「味噌汁」とか、「目録もどき」がまわってくるのに、ちょっと似ている。どうも二人一組で一人がボードを掲げ、もう一人(こちらは普通の洋服を着ている)が御用聞き係のように付き添っているようだ。

これがどのようなシステムなのか、意味がわからなかったが、とりあえず、一番最初の人をとめて、「タクシーが必要なんです」と訴えてみる。ボードを持っていた男は、自分の頭上を指さし、「じゃあ、この番号に電話してください」と無表情に言う。「自分の電話がないので、あなたの電話から電話してもらえませんか」と言うと、「それは先方に迷惑がかかるので」と言う。「先方、って、あなた、このタクシー会社の人じゃないんですか」と聞いてみるも、「だから、僕はいいけど、それって先方に迷惑でしょう。わかりませんか」とわからないから聞いているのに、行き場のない話の展開。

これ以上食い下がっても、答えを聞けそうにはないので、そばにいた人に、「すみません、携帯を貸していただけませんか」とお願いしてみる。すぐ隣の人は、ちょっと眉を寄せて、1センチほど顔を左側に向けただけで声もなく「NO」の意思表示。

仕方がないので、一縷の望みをかけて、ポケットから件の携帯を取り出すと、この携帯、なんだか一段と小さくなっているような気がする。パカッと縦に開くタイプで、カラフルな小石のような異様に小さいボタンである。ボタンの配置も「始まりのカギ括弧」と「とじるカギ括弧」を縦につなげたような配置になっていて、かなり使い込まれているらしく、ボタンの横にある文字がもう消えて読めない状態になっている。へんてこなボタンの配列なので、どのボタンがなんなのか、非常にわかりづらい。なにげなく連絡先を見てみると、「まゆら」とか、「ゆうま」とか、いまどきの幼稚園児の名簿のように、ひらがな3文字の名前ばっかりで、やはり子ども用の携帯なのかも。

すると、ちょっと遠くから、私が困っている様子を見ていたっぽい人が、「どうしました?」と声をかけてくれて、「すみません、電話をかけたいので、携帯を貸していただきたいんです」というと、ん? どこかで見たことがある顔。

その人は、俳優の大鶴義丹だった。この人って、確かマルシアと結婚していた俳優さん?

「いいけど、自分の携帯はないんですか」と言われ、「どこかで入れ違ったみたいで、ポケットに人の携帯が入ってたんです」とその手に持っていたキッズ携帯を見せる。義丹はひとしきり、キッズ携帯をいじっていたが、「ボタンがどれがどれだかわかんないですね。僕のを使ってください。でも、この最初のタクシーは、やめたほうがいいかも、ですよ」とこそっと言われる。

「自分の携帯から呼べない、とか、言われたでしょう?」と。「そうなんです!」と私が言うと、「そんなのおかしいじゃないですか? これ、やくざ絡みですよ。次のにしたほうがいいですよ」とアドバイスされ、なにがどうなって、どういう根拠でやくざ絡みなのかはよくわからないけれど、なにやら納得してしまい、別のボードを掲げている人に声をかける。すると、そのボードを掲げていた人は、義丹の知り合いだったようで、「はいはい、タクシーですね、こちらの方に?」とスムーズに話が進み……。

と、いうところで、はっと目が覚めた。サン・マロからポーツマスに向かう船のキャビンで、横になってうつらうつらしていたら、夢を見ていたようだ。妙にリアルな夢だった。

ポケットには、iphoneが、ある。横のベッドでは、夫がぐーすか寝ている。陸はまだ見えない。

27.4.13

再び、サン・マロへ。


晴れた日の船の上からはこんなふうに見えます。


フランス北西部、ブルターニュ地方のサン・マロという街に、小旅行してきました。

サン・マロは、2年前にも1泊したことがあったのですが(この日この日のブログにちょっとだけそのことを書いています)、そのときはモン・サン・ミッシェルに行くための拠点、というだけで、街をちゃんと見ることができなかったので、いつか再び訪れたいと思っていたのでした。

なかなか趣のある街です。

サン・マロは、イギリス海峡に面した壁に囲まれた小さな街です。もともと1600年頃に要塞として壁がつくられ、第二次大戦時には、ドイツ軍の占領下となり、街の多くは戦火に焼かれ、戦後昔と同じように建て直されたようです。

街から突き出るとんがり頭の大聖堂のなか。ステンドグラスからの光が美しいです。

壁の下には、美しいビーチが広がり、引き潮のときには、ぽつぽつと周りに浮かぶ島に、歩いて行くことができます。これらの小さな島にもそれぞれ要塞があって、とても興味深いのです。


満潮時はこんな感じで、完全に海に囲まれています。


潮がだんだんと引き始め、細い道が浮かび上がって……。

最も潮が引いているときには、これ以上にビーチが広がります。

上の写真の左側の島に向かう道。こんなにくっきりと海から浮かび上がってきます。

このように水のなかに潜んでいる道を英語ではコーズウェイと呼ぶのだそうです。脇のビーチには、流れ着いたのではなく、地面にしっかりと根を下ろしている海草がふさふさとしていて、いま自分が歩いているのは、実はビーチじゃなくて海底なんだなーと、実感します。サンマロのこれらの島は、一日に2回、それぞれ4時間ほど陸続きになるのだそうですが、さすがに夜の干潮時に、これらの島に渡る人はいなさそうです……。

快晴の空の下、島の原っぱでピクニックを楽しむ人々。

絵になる読書風景。

初日の日中は、ブルターニュ地方にしてはありえないほどのお天気で、海水浴をする人もいたほど。日中と夜との温度差が20度もあって、一日に冬と夏が一度にきたような感じでした。


一転、夜には海から吹き込んでくる霧に街は包まれます。

ロンドンからは、飛行機や、またユーロスター、パリ経由で鉄道でも行けますが、前回同様、ポーツマスからフェリーで往路は船中一泊で、帰りは日中丸一日船の上で、のんびりと行ってきました。霧のなか、なにも見えない海の上で、本当に少しずつ陸がうっすらと見えてきたり、街のなかで頭ひとつ突き出た大聖堂の塔が、意外なほどいつまでも水平線上に見えたりする、そういう感覚は船でないと体験できないので、移動時間はかかりますが、これはこれでおすすめです。

21.4.13

はじめての畑しごと。

ロンドンでは、共同菜園が大変な人気で、ほとんどの共同菜園では、何年待ち、ということも珍しくありません。

車なしの生活を送っている私もやはり、歩いて行ける範囲の菜園のウェイティング・リストに名前を入れてもらっていますが、もう5年間も待っている人がいるのだそうです。

そんなおり、お友だちが「うちの菜園の一部を使いませんか」と声を掛けてくださり、調べてみたら、バスで10分くらいで行ける距離だったので、「ぜひぜひ」ということで、一時帰国した際に枝豆やらカボチャやら、初心者にしてはかなり野心的にいろいろな日本の野菜の種を買ってきました。

そして先日、いよいよ、お友だちが菜園に行く、という日に合わせて、畑デビュー!

お友だちの菜園。一区画がかなり広いです。

広大な菜園のなかの、やはりえらく広い一区画のなかの、そのまた一部、ということですが、それでも初心者の私には十分すぎる広さでした。

これが私が使わせていただく畑です♡ まずは雑草と格闘。

手袋から道具まですべて貸していただいて、雑草取りのイロハから教えていただき、「ああ、これは自分ひとりで一から、っていうのは無理だったなぁ」と実感しました。お友だちの菜園では、毎年馬糞を1トン注文して肥料にして完全オーガニックで野菜を栽培しているとのこと。私も収穫のその日を夢見つつ、熊手を振り下ろし、雑草を取り除き、土を耕して、この日はとりあえず、自分の菜園の三分の一をキレイにして、2種類の種を植えました。

さまざまな鳥の声を聴きながら(この友人はバードウォッチングが趣味なので、いまの鳴き声はなんとか、と、鳥の名前もいろいろ教えてもらいつつ)、広大な菜園内をぶらぶら歩いていると、人それぞれのやり方で畑をつくっていて、完全にガーデンのようにしている人もいれば、大きな温室を置いている人、草ぼうぼうでしばらく放置している人もいて、大変興味深かったです。

道具小屋の窓から見える飾りがキュート♡

また、多くの人が自作で池を設けていて、これ、なんのためかというと……。

じゃーん、これです! オタマジャクシを見たのも何年ぶりでしょうか。

野菜作りの天敵であるナメクジをカエルが食べてくれるのだそうです。自然というのはすばらしい。

道具用の小屋のドアを開けたら、蜂が巣を作っていたりして(幸い外出中のようで、なかにはなにもいないようでしたが…)、その見事な巣の出来栄えに感心したりしました。

手のひらに収まるくらいの小さな蜂の巣。みごとにまん丸です。

今年の私の課題は、仕事以外の時間は、なるべくコンピュータから離れること。その課題ともビシッとマッチしてくれる畑での作業は、力仕事で、翌日は筋肉痛でしたが、身体は痛くても、心はとってもゆるやかになっていて、こういう時間が必要だったんだなぁと思いました。

一部の種は、いきなり土に埋めないで、家で苗にしてから植えた方がいいよ、と、アドバイスをいただいたので、週末は家でも土いじりを…。

こちらは栗カボチャの鉢です。このほかにバジルや大葉、赤しそなどの種を仕込みました。

菜園のウェイティング・リストがなかなか動かないのも、まぁ無理はないですね。私も地道に勉強しながら、続けていけたらいいなぁと思います。


18.4.13

Goodbye to Maggie

お友だちに誘われて、今日、サッチャー元英国首相の葬儀が執り行われたセント・ポール大聖堂に行ってきました。

彼女の政治について、詳らかにその賛否を語れるほどの知識はありませんが、英国初の女性首相、20世紀で最長の在任期間、世界からの高い評価を得ながらも、これほど多くの国民に嫌われた、明らかに特異な存在であり、英国史にくっきりとその名前を残す人物であることは間違いないと思います。

今日のロンドンは、小雨のそぼ降る、寒い朝でした。

朝9時。セキュリティチェックの入口には、すでに弔問の人々の群れが。

空港のセキュリティチェックのようなゲートが設置されていました。

ボディチェックもきっちり。

悪天候にもかかわらず、多くの人が沿道に群がっています。

入棺前の沿道。

花束を手に入棺を待つ男性。

今日の国葬に対して抗議の紙を掲げる人も。

「M」がマクドナルドのロゴというところから、おそらく反資本主義のメッセージも。

おそらく保守党の色、ということで、青いバラを持つ人々。

サッチャー元首相とも保守党ともまったく関係なく、熱い演説を展開する人…。

実は根性なしの私は、あまりの寒さに負けて、入棺前に早々にカフェに引っ込んでしまい、肝心のところをすべて見逃してしまったのですが、今朝、セントポールの周りに集まった人々を観察できただけでも、大変興味深かったです。よくも悪くも、この国には、自己主張を許される土壌のようなものがあるなぁと、改めて思いました。

群れにまじることもなく、広場のベンチに静かに座っていたこの女性、とても印象に残りました。

2.4.13

英国の婚姻届事情とテムズの源流

今年の3月のイギリスは極寒でした。なんでもこんなに寒い3月は60年ぶりだそうです(ことお天気に関しては、「何年ぶりのなんとか」が三度の飯より好きな英国人…ハハハ…汗)。

ある3月の週末、体感温度マイナス14度というコッツウォルズに行ってきました。夫の同僚の結婚式に出席するためです。

こちらが最寄りのケンブル駅です。

ロンドンから2時間足らずでたどり着いたケンブル駅からタクシーで10分、今回の結婚式は屋外、という恐怖の設定を聞いていたのですが、たどり着いてみたら、英国ではマーキー(Marquee)と呼ばれるイベント用の巨大テントが出ていて、ほっ。

こちら、暖房も完備でした。

朝は雪交じりの強風吹きすさぶ天候だったので、よかった、と思ったのも束の間……。

ご存知の方も多いかもしれませんが、英国では、地域のレジストレーション・オフィスのほか、婚姻届にサインができるライセンスを持っている場所でないと、結婚をすることはできません。どこの教会でも、どこの催事場でも結婚できるわけではなく、ちゃんと婚姻届にサインすることが許されているラインセンスがあり、結婚式を執り行えるレジストラーという認定された人がいないと結婚することはできないのです。

そして、このライセンスの登録がかなりピンポイントで、今回の結婚式の場合、このマーキーでサインをすることはできない、とのこと。

では、どこでサインをするのか、というと…。

……庭の真ん中に建てられた、この小屋。

屋根には雪が積もってます。がーん。

まずはマーキーで式が始まり、つかみのスピーチなどのあと、「サインは外の小屋で行われますが、寒いので希望の方だけいらしてください。あとで、撮影会はこちらのマーキーで行いますので」などと言われたものの、こんなおもしろい光景を見ないでいられましょうか。

まずは赤い服を来たレジストラーに連れられて、花嫁と花婿が…

続いて証人やゲストもぞろぞろと、小屋に向かいます。

みんな口々に、さむーい、とか言いながらもちょっと楽しそう。思い出に残る式になることは間違いなさそうです。

小屋の中に入るのはレジストラーと、サインをしなければならない
結婚する当人、そして二人の証人のみです。でもすでにギュウギュウ。

ここで、誓いの言葉を述べ、無事にサインをして晴れて夫婦になったふたり(&その他大勢)は、いそいそとマーキーに戻ります。

いかにもここでサインしました、という感じですが実は違うという。
なにはともあれニック&ヘレン、ご結婚おめでとう〜!

そんな感じで、ちょっと興味深い結婚式に参加させていただいた翌日。

気温は相変わらずマイナス、体感温度は言わずもがなのマイナス2桁、というなか、これはブートキャンプか、と思うようなウォーキングに出かけました。

目指すは「テムズの源流」です。

ロンドンで見るテムズ河は、立派な橋がいくつもかかるほど大きな河ですが、その源流はとても小さな流れで、ここコッツウォルズにあるとのこと。

ドロドロの道なき道を、とにかく歩く。

いまにも雨(または雪)が降り出しそうな空模様です。もちろん地面は凍ってます。

寒風で顔が切れそうに痛い! でも、ひたすら歩く。

寒さを増す、この荒涼とした風景。

流れを追っていったら、水の流れの最後がありました! これ? これなの??

なんかただの水たまりっぽいですけど…。

でもこの先に水の流れはありません。ほんとにこんな(貧相な)池が、あのテムズ河の源流なのだろうか、と首を捻っていると、地図を見ていた夫が、「いや、どうも道の向こう側に続いているらしい。川の源流には通常、目印になる石が建てられているのが普通なんだ」と一言。

(あまりの寒さに)もうこれでいいから終わりにしたい、という気持ちも満々だったのですが、これが違うなら、やはり見ないではいられません。

道を渡ってさらに別のフィールドへ。

点のように見える犬のお散歩をしていた人々にたずねると、この隣の隣のフィールドにあるとのこと。

ここまでくると、もう、水の流れはなく、ぬかるみを頼りに歩いているようなものでした。

そして、ああっ!!! なんかある!

この石でフタされているところが、もしや。

非常に地味に、墓石のような石がぽつんと。

脇には「テムズ・パス」のサインも見えます。

文字がかすれてしまっていて、よく読めなかったのですが、近づいて触ってみると

The Conservators of the River Thames 1857-1974
This stone was placed here to mark the source of the River Thames

と書いてあるようです。テムズの源流と思って間違いないでしょう。

しかしあの、テムズ河の始まりが、こんな水の見えない場所だったとは。うーむ、とうなりながら、タクシーを呼んで駅に戻りました。

まぁ、一言で言うなら、真冬に来る場所としては、おすすめできません。