29.3.12

「本日トップニュースを提供してくれたみなさん」にモノ申す。

今日は、ちょっぴり毒を吐きます。

最近、Twitterで、まったく見ず知らずの方からの@ツイートでもって、「xxxx新聞が更新されました。本日トップニュースを提供してくれたみなさん」で、私のTwitterアカウント名が書かれていて、URLがついているツイートがたまに目に入ってきます。「なにかを提供した覚えは、これっぽちもないんだけど??」と思って、そのURLをクリックしてみると、なぜか自分の過去のツイートが、その新聞のなかに組み込まれている、という次第です。

まずは、倫理ではなくて、規約の話からいきます。
Twitterでのつぶやきに、コピーライトはあるのか。

Twitterのサービス利用規約のページを見ると、以下のようにあります。

ーーーー
ユーザーは、ユーザーが本サービス上に又は本サービスを通じて提出し、送りあるいは表示する一切のコンテンツに対する権利を保有しています。ユーザーは、 本サービス上に又は本サービスを通じてコンテンツを提出し、送り、又は表示することにより、一切の媒体又は配付方法(現在知られているものであると今後開 発されるものであるとを問わず)においてかかるコンテンツを使用し、コピーし、複製し、加工し、改作し、変更し、発表し、送信し、表示し、配付するための 世界的な通常実施権を(再実施権を付けて)弊社に対して無償で許諾します。
(2012年 3月29日現在 Twitter利用規約より引用)
ーーーー

つまり基本的には、つぶやきの所有権はつぶやいた本人にある、ただし、それをいじくりまわす権利は与えたうえで、ということですね。

実際のところ、Twitterの特性を考えると、非公開にしていない限りは、誰もが自由に自分の発言をRT(リツイート)できることを前提として使わなければならない、とは思います。逆に、それを期待している部分すらあると思いますし。だから、おもしろいと思った情報や、ステキだなって思った写真は、どんどんRTして広めていい、私もそう思います。

ただ、それが誰の発言だったのか、誰の撮った写真だったのか、その権利の所有者だけは、最後の最後まで明らかにして、守られなければならないのではないかと思うのです。そして、これはもう、倫理の領域です。

今日、例によって目に触れた「本日トップニュースを提供してくれたみなさん」系のウェブサイトには、写真も並んでいたのですが、この写真には一切クレジットがないのです。それをツイートした人のIDはあるにはあるのですが、それがもともと撮った本人じゃなくて、RTしただけのIDだったり、めちゃくちゃなんですね。

これらの写真は、すでに本来なら所有者であるはずの、撮影者の手を離れて、糸の切れた凧のように、どこまでも自分の知らない場所にまで飛んでいってしまっているわけです。

こういうことに抵抗を覚えるのは、これまで曲がりなりにも20年以上、出版業界の端っこで編集者として働いてきて、 私自身が非常に古くさい倫理観を持っているせいなのかもしれません。

この古くさい倫理観ゆえに、私自身はこのブログですらも、制約を設けている部分があるんです。例えば、一般の方の顔が入ってしまった写真(それが判別できるくらいの大きさの場合)は無断で掲載しない、お店やレストランで勝手に撮った写真を掲載しない、 無断で(一般の方の場合)個人が特定できるような文章の書き方をしない、ネットから勝手にとってきた画像を使用しない(コピーライトフリーのものを除く)、展覧会などを紹介する場合は広報に連絡を取って画像を借りる、などなど、言ってしまえば当たり前のことばかりです。

誤解なきよう付け加えておきますが、私は、すべての人が、こういったメディア倫理からくる制約を守らなければいけない、と思っているわけではありません。ここからはみ出しているがゆえに、生き生きとしたものをつくっている人はいっぱいいるし、 それはそれで社会から必要とされているとも思うのです。

ただ、少なくとも同業者だったり、メディア関係者以外でも個人のブログの枠を超えて、前述の「xxxx新聞」だとか「デイリーxxxx」だとか、不特定多数の読者を対象とした自分のメディアを作っている人には、やっぱり乱用してほしくないのです。

そうじゃなくても、ネットでどんな情報でも手には入ってしまう時代です。それで便利になったことはいっぱいあるし、それ自体を否定しようとは思いません。 でも、社会が変わって、クリックひとつで地球の裏側の誰かが撮った写真をコピーできるようになったとしても、譲れない部分はあるのです。それはものをつくって発信する人間に対する尊重であり、ものをつくって発信する人間としての責任であり、主張すべき権利です。

自分が信じた倫理観を守れないくらいなら、私、編集者を辞めます。

なんて、ちょっとエラソーな決意表明を改めてしてみました……。

22.3.12

北ロンドンのお総菜屋さん

以前から、お友だちから聞いて、行ってみたいなぁ、と思っていたお総菜屋さんにようやく行ってきました。

フィンチリー・セントラルの辰巳屋(Tatsumiya)さんです。


入ると、10種類ほどのお総菜がずらりとガラスケースに。
サバの味噌煮とか、アジのフライとか、カボチャの煮付けとか、小魚の南蛮漬けとか、ほっこりうれしいお総菜ばかり。

 
お総菜屋さんですが、ご飯が切れない限りはお弁当もあり。どれをどのように入れてもらっても(味付け玉子を除く)、5ポンドです。

そのなかでもばかうまで、涙が出たのが、こちらのお魚の南蛮漬け↓ 
子持ちの魚なんです。ホワイトベイトでしょうか。


なるべく安くお総菜を提供するために、とにかく余計なコストを削っている、とのこと。広告を出さないというのはもちろん、クレジットカードマシンも置かないので、お支払いは現金のみ。ビニール袋も無料ではなく心付けを箱にいれる。そしてなんといっても電話すら置いていない(!)という徹底ぶりです。



私も、すでに1週間に二度行っちゃうほどの大ファン。
最寄り駅は、ノーザンラインのフィンチリー・セントラルです。

お近くにいらしたら、ぜひぜひ♡

辰巳屋(Tatsumiya)
166 Ballards Lane, London N3 2PA
10am〜6pm(月曜定休)

20.3.12

電話が鳴り止まなかった17年前のあの朝から。



ちょうどこれを書いている1時間ほど前、日本時間の3月20日午前8時ごろに、霞ヶ関駅では恒例の慰霊式が行われたという。地下鉄サリン事件が起きて、今日で17年ということだ。

あの朝のことは、いまでも鮮明に覚えている。朝、会社に着いたら、すでに、テレビで事件を知った関係者の方から私たちの無事を確認するための電話が鳴りっぱなしだった。幸いなことに、私が働いていた編集部の人間で被害に遭った人はひとりもいなかったが、全員、似たような時間帯に地下鉄を使って通勤していたことを考えると、これは不幸中の幸いだったと言うべきだろう。

1995年という年は、1月に阪神・淡路大震災があり、3月にこの地下鉄サリン事件があり、物理的にも精神的にも日本全国が揺れに揺れた年の始まりだった。私はこの年の8月の終わりにロンドンに来たのだが、それは、このふたつの出来事とまったく因果関係がなかったとは言い切れない。

このふたつの出来事は、絶対の安全を約束された場所なんて、この世の中にはどこにもない、ということを証明してくれたし、そこには少なくとも「海外なんて危ないから」という引き留めの言葉を、両親に飲み込ませるだけの力があった。

なにはともあれ、そんなふうにして、ロンドンに来てからも、95年に日本で起きたふたつの出来事が特別なことじゃない、と思い知らされるようなことがいくつかあったなぁと思う。

海の向こう側で起きた9.11のような大きな事件はもとより、99年にSOHOで起きた釘爆弾事件は、会社から歩いてわずか10分ほどの距離で、救急車とパトカーの不穏なサイレンのなか、家に帰ってテレビをつけたら、昼時にのんきにお弁当を広げていた公園が、血まみれの人々の一時救出場所に早変わりしていて、背筋が凍ったり。

2005年の同時多発テロや、昨年の暴動など、ロンドンもこの17年間にいろんなことがあった。私たちは世界中のどこにいても、あまりに不安定な椅子の上に腰を下ろしている。でもそれは、生が死を内包している限りは、そして「死」に接近することをリスクと呼ぶのであれば、仮にこの世にテロがなかったとしても、地震がなかったとしても、放射能がなかったとしても、「誰も」そこから逃れることはできない。

すごく当たり前のことなのに、ときどきヒステリックな論調のなかに、「もしもし、お忘れかもしれませんけど……」って、肩をとんとんしたくなることがある。

実は、いとうせいこうの「ワールズ・エンド・ガーデン」という小説を数日前に急に読みたくなって、本棚から引っ張り出してきて読み始めた。91年のバブルの真っ最中に出版された小説で、東京の一部を地上げ屋が買い上げ、トレンドセッターがイスラム教をファッションとして使って「ムスリムトーキョー」と名付け、地価を引き上げようという試みを縦軸に、宗教、ドラッグ、同性愛、バイオレンス、精神破綻といったお決まりの横軸が絡んでいく。

20代前半で読んで、自分自身のなかではいままで読んだ小説のなかで「おもしろかったベスト10」に入る、と思っていたこの小説を、私はついに最後まで読み通すことができなかった。

メンタリティがあまりに浅く、バブリーで、おそらくこれを読んだときの自分こそ、「人は誰でもいつか死ぬ」ってことを忘れてたんじゃなかろうかと思ってしまう。永遠に生きられる人なんてどこにもいないのに、なにか価値観がおかしい。

この時代の恩恵を甘受した記憶はあまりないけれど、バブルな価値観は音もなくあらゆる毛穴から侵入してきて、私もきっと知らないうちに冒されて、麻痺していた部分があったのだろう。そして、きっと、これは、私だけじゃなかったんじゃないかな。

長いか短いかは自分でコントロールできることじゃないけれど、いつか終わる人生なのだから、ささやかでも美しいものであってほしい。私のも、あなたのも。

19.3.12

地平線の上の水平線の上を船がすべる。

なんのこっちゃ、と、お思いでしょうか。

こういうことです(↓クリックして拡大)




週末に知人の家を訪ねて、ロンドンから南西に向かって、美しい丘の連なる一帯に行ってきました。

丘の上から見晴らすと、また別の丘が前方に広がり、その木々の上に海があり、その海の上を船がすべっていくのが見えたのです。この写真からわかるでしょうか。

当たり前のことなんですが、地球はまるいんだなぁと思いました。

丘の上に海が見えることだってあるのだから、本当になんでもアリなのかもしれないな、って。

天は、人の上に人をつくらず、丘の上に海をつくれし。

ちょっと意味不明になってきましたが……。
のんびりとしたよい週末をすごさせてもらいました。


12.3.12

ロンドンで迎える震災一周年


3月11日、皆さまはどのように過ごされたでしょうか。

被害の大小にかかわらず、おそらくすべての日本人に物理的、心理的になんらかの痕跡を残した東北大震災から1年。各地でさまざまな式典や、イベントが行われたようですね。

ここロンドンでも、日本大使館での式典をはじめ、いくつかのチャリティイベントなどが行われたようです。

私自身は、というと、なんとなく日本に住んでいる人たちと同じ時間に気持ちを沿わせたくて、むりやり朝5時半(日本時間の午後2時半)に目覚まし時計をセットして、5時46分(日本時間の午後2時46分)に1分間の黙祷を捧げました。どうか、亡くなった方々の魂が安らかに慰められると同時に、生きている私たちの心も安らかに、日々平穏な気持ちですごしていけますように。平凡ですけれども、そう祈らずにいられませんでした。

そして、その2分後にはまた、布団にもぐりこんでしまったのですが。

さて、 二度寝のあと、9時前には家を出てピムリコのカーブーツセールに出店してきました。11月を最後に、冬の3ヵ月間お休みしていたカーブーツセールを、今月から再開しようということになり、 今月からまた月末の週末に月例セールをすることになりました。

そして今月は、1周年という節目でもある3月11日がたまたま日曜日、ということで、フルメンバーではないのですが、できる人だけでも、小規模に出店しましょう、という流れとなったのです。

結果的に、売り上げ自体は122.88ポンドと、それほど大きかったわけではありませんが、朝のニュースで、日本の震災一周年がトップで扱われていたこともあり、人々のなかでの震災に関する関心度が高まっていたところでの「震災チャリティ向けカーブーツセール」だったので、驚くほど多くの方が、私たちに話しかけに来てくれました。

「いまの日本の現状はどうなの?」
「政府の政策はちゃんと間に合っているの?」
「被災地での状況はどうなの?」

…と多くの質問が投げかけられました。これらの質問に対して、なるべく正直にわかる範囲で、分からない部分は分からないと言うことを恐れずに、自分なりにお答えしたつもりではいます。でも、普段からちゃんと現状把握のために、情報を収集する必要があるなぁと実感しました。

「協力してください、でも実情は知りません」というのは、実はとても勝手で無責任なことに思えてしまったのです。少しずつでも今後努力していきたいなと思いました。

それにしても、昨年の5月から続いている、このカーブーツセール。もともとは友人が持ってきてくれたアイデアでして、私、彼女が声をかけてくれたことに、心から感謝しています。

ミュージシャンがチャリティコンサートをして募金を募る、とか、デザイナーさんがなにかアイテムを作って売る、とか、自分の才能やスキルを生かしてできることがある方々は置いておいて、特にすぐに活かせる才能があるわけでもなく、ありあまる財力があるわけでもない人間にもできることはないだろうか。友人はそんなふうに考えて、不要品を集めて売ることを思いついたのだと言っていました。

私自身も、平凡な自分にできることはあるかしら、と頭のなかで悪あがきをしている最中に誘ってもらったので、同じ悪あがきをするのなら、体を使ってあがくほうが健全、と即そのアイデアに賛同した次第です。少しの時間と労力の提供と、人と出会っておしゃべりすることをいとわなければ、本当に誰にでもできること。しかも、これがけっこう楽しいのです。周りの友人も無理のない範囲で、物品を提供してくれたり、お手伝いに来てくれたり、すべての人の好意で成り立っていることなので、ポジティブな連鎖反応につながるのですよね。

これまで合計8回行われたセールで寄付した総計は、£1966.42になりました。本当にいままでご協力いただいた皆さまに心から感謝です。

今月は月末にもセールがありますので、物品のご協力はもちろん、朝だけ、昼だけ、午後だけ、といったご都合のよろしい時間だけでもかまいませんので、販売にご協力いただける方がいらしたら、ぜひお声かけください。

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします!

3.3.12

時計が戻ってきた。



去年の12月10日に、バッテリ交換のために、近所にできた時計屋さんに持っていった腕時計が、ほぼ3ヵ月ぶりに昨日ようやく戻ってきました。

ダイバーズウォッチなので、毎回メーカーに送られ、バッテリ交換の際に浸水テストもしなければならず、通常1ヵ月くらいはかかるのですが、今回はガスケットという部品の交換が必要だったようで、それを日本から取り寄せなければならなかったらしく、こんなに時間がかかってしまったようです。

ぜんぜん高級なものではないし、買ったときの値段よりも、むしろその後のメンテのほうにお金がかかっているくらいですが、まだ日本で働いていた94年から使っているもので、私にとっては愛着のある時計です。

当時、足を骨折して入院していた母が、仕事で忙しいなか、よく病院に通ってくれた、と、誕生日プレゼントに買ってくれたのがこの時計。ちょうどその頃、少女まんがの編集者をしていた私は、担当していた先生の原稿が毎日毎日上がらず、原稿ができたら、会社に詰めないといけなかったので、毎朝母を見舞うたびに「昨日も原稿ができなかったから、今朝もお見舞いに来れたけど、今日原稿が上がったら、明日はお見舞いに来られないから」って、「毎日」言い続けていました(いま思うと、あのとき、原稿描けなくて苦しんでいた漫画家さんに感謝、なのですが) 。

あれから18年、一時期時計を着けない時期もありましたが、圧倒的に長い時間を共有してきた旧友のような存在。携帯電話を時計代わりに使う人が増えて、腕時計を身に着ける人が少なくなったとは思いますが、ただ時を告げるだけの携帯電話とは違って、腕時計には腕時計のよさがやっぱりあると思うのです。

携帯電話を買い換えるときに「泣いた」という話は聞いたことがないけれど、車を買い換えるときに「泣いた」というのは、よく聞く話です。車の免許も持っていない私が言うのも説得力ゼロなんですが、腕時計は確実に後者に近いものなんじゃないかしら、と、勝手に思ったりします。

2.3.12

霧の朝

朝、外に出たらものすごい霧。


いつもの森もこんな感じで、白いもやがかかっています。


精巧に編まれたレースのような木々の間をくぐり抜けて、フィールドに出ると……


うわっ、なんも見えないっ。お先真っ暗、ならぬ、真っ白です。雲のなかを歩いているみたいな、自分の足下とちょっと先しか見えないこの感覚、わくわくします。


ずっと先まで続いているはずのベンチとゴミ箱だって、手前のふたつくらいしか見えません。

森から駅前の商店街に戻ってきたら、 今日から日曜日まで開催される、フレンチ・マーケットが準備中でした。


年に3回くらいの開催ですが、その都度立ち寄るコーヒー屋さんのおじさんが、覚えていてくれて、「明日ねー」なんて声をかけあい……。なんか人里に戻ってきた気がしました。


1.3.12

朝ウォーク再開。



今朝、起きたらビックリの9時15分前。夫婦揃って、大人にあるまじき9時間睡眠の大寝坊で、 「うわー、どうしよう」と思ったのですが、やっぱり朝ウォークに行ってきました。

去年も確か、3月くらいから始めて、寒くなる頃にフェードアウトしてしまった、朝のジョグ&ウォーク。ここ数日間、ロンドンは最高気温が16度とか15度とか、寒くない日が続いているので、今週の月曜日から再開したんです。

朝の空気は、新しくて、まだなにも書かれていない真っ白な一日の始まりを感じさせてくれるし、なによりも森の中を歩いていると、鳥の鳴き声とか、木の間から射してくるお日さまの光の高さとか、昨日のつぼみが今日はほころんでいたりとか、一日一日、この季節は小さな変化があって、おもしろいのです。
(って、こんな大寝坊したら、変化もへったくれもないのでは、というご指摘は甘んじて受けます、今日は。今日だけよ)




Twitterのタイムラインなどを見ていると、この季節、過去の出来事についてなにかを納得しようとしたり、いままでの人間関係を整理したり、なにやら、全体的に振り返るフェーズに来ているのかなという気がします。

いまの自分をつくっているのは、紛れもなく過去の自分なので、未来を肯定するためにも、いままでの自分を認めてあげることって、たぶんとても大切なんじゃないかと思います。 でも、あんまり近視眼的になってしまうと、広いパースペクティブで、コンテクストとしてものごとを見ることが難しくなってしまう。

そんなときに、ちょっと外に出て、木々や土や鳥なんかの自然のなかに身を置いてみると、自分の「ちいささ」が、実はものすごく愛おしくて心地いいものだと気づいたりします。

煮詰まったら、外に出る。おすすめです。