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12.8.14

アイルランドの妖精の輪。

アイルランドでサイクリングをしたときの休憩タイム。この紅茶がおいしかった。

日本にいた若い時分に、居酒屋さんなどで、数人でおつまみをつつき合う機会に、最後のほんのちょっとに誰も手をつけず、それを「関東一口残し」などと笑ったことがあります。なんとなく、自分がお皿を終わらせてしまうのは悪い、みたいに皆思っていたのでしょうか。いまでは、すっかり厚かましくなって「食べちゃっていい?」または「食べちゃって、食べちゃって」とお皿を片づける派になってしまいましたけれども。

最後の一口を遠慮する、というのとはまったく違うのですが、紅茶を飲むときに最後の一口を必ず残すのが、うちの夫です。おかげで、いつも彼のカップには、底から5ミリほどの位置に汚らしい茶渋が残ってしまい、迷惑なこと、この上ないのですが、どれだけ「最後まで飲め」と言っても、幼い頃から培われてきた習慣というのは、早々簡単になおるものでもなく、気がつくとカップの底にちょっとだけ紅茶が残っているのです。

どうやら、「紅茶の最後の一口は、妖精のために残す」というのは、アイルランド人の義母から夫に伝わった習慣のようです。そういえば、アイルランドは「妖精の住む国」。とても妖精が住んでいるとは思えないロンドンで、それがどのくらい有効なのか、かなり疑問ですが、母から子に伝わったこういった実用性のない習慣が、ひとつくらいあっても、まぁいいか、とも思うのです。

カップには、「天使の輪」ならぬ、茶色い「妖精の輪」がしっかり残って、消えないにしても。

確かに妖精が住んでいても不思議ではない風景ではあります。

アイルランドのお話は、こちらからもどうぞ。


28.11.12

Ode to My Family

人の記憶の引き金、というのは、本当のところ、どこに潜んでいるのかわからない。

夕食のあと、なんとはなしに見ていたFacebookに、知人が出張先のドバイの夜景の写真を載せていた。「宝石を見ていたら、(知らない)おじさんにニーハオと話しかけられて、なぜか早く結婚するように説かれた」と書いていた。その夜景と文章を見ていたら、なんだか心の中のなにかに重なるものがあった。それがなんなのかは釈然としない。けど、気持ちは海を越えて、新宿の夜景のなかを歩きまわり、過去の記憶をノックし始める。

考えてみたら、予兆はあったかもしれない。

先週、父の命日があり、その前日に若い頃にお世話になった方が、父と同じ69歳で亡くなったことを知った(69歳。若い。70を超えるまで死んじゃいけない、っていうきまりをつくってほしいくらいだ)。アメリカに住む夫の親戚から、大昔にアイルランドで撮影したらしい夫の父親の若い頃や祖父、曾祖父、曾々祖父の写真が送られてきた。今日は、夫の弟から、彼が自宅でレコーディングしたCDが送られてきた。夫が25年以上前の自分の写真をどこかから見つけてきた。

記憶は、新宿の夜景から、ターフのにおいのするアイルランドをめぐり、夫の生まれ故郷であるバーミンガムの湿った空気のなかで立ち止まる。夫が見つけてきた古い写真のなかには、黒々とした髪の毛の若者がいる。「男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね」とは、夫の母親の葬儀のときに読み上げられた、彼女の名言をつづった詩のなかの一節だ。しんと静まった教会のなかに、くすくす、という笑いがもれた一瞬だった。

10年前のその日、私は東京にいた。中学の卒業20周年の大同窓会があって、それに出席するために4日間ほどの短い里帰りをしていたのだ。懐かしい顔に久しぶりにあって、とても楽しい時間を過ごして帰ってきた私を出迎えに、夫は空港に来てくれた。彼が「悪い報せがある」と言ったのはタクシーに乗り込む直前のことだ。「お母さんが亡くなったよ」と。

義母は、決して元気いっぱいの健康体、というわけではなかったけれど、特にひどい病気をしていたというわけではない。ただもともと心臓が強いほうではなかった。

あの年代のアイルランドの女性たちの大半がそうであるように、彼女も典型的なカトリック教徒だった。その日もふだんの日曜日と同じように、午前中にひとりバスに乗って、ミサに出席するためにいつもの教会に向かった。ひとつふだんと違ったのは、教会の前で倒れて、ミサに出席することがかなわなかったことだ。彼女はそのまま、神父さんの腕のなかで亡くなった。

私が義母と過ごした時間というのは、本当に限られたものだったと思う。知り合ってから5年ほどの間に、年に2、3回、バーミンガムに帰ったときに一人暮らしの彼女のフラットに訪ねていくだけ。私たちは当時から義妹の家に泊めてもらう習慣だったので、義母の元に訪ねて行くといっても、毎回2時間くらいのものだった。一番長くてもクリスマスのときに義妹の家で半日くらい一緒に時間を過ごすだけ。アイルランドの訛りがきつくて、当時の私には彼女の英語が半分くらいしかわからなかったというのもある(それを夫に言うと、訛りとは関係なしに、自分にも言ってることの半分くらいしか意味がわからないから、心配しなくていい、といつも言われたけど)。

子どもたちの間では、「お母さんは変わってるから」という空気があったのは、否めない。でも言葉もろくにわからない外国人の私にとっては、あたたかい義母だったと思う。クリスマスの暖炉の前で、お酒を一滴も飲めない私が「少しはお酒が飲めたら楽しかったのに」と言ったら、「お酒が飲めなくても人生を楽しめるのなら、お酒なんか飲む必要ないのよ」と真顔で言われたのをよく覚えている。

まだ乳児の頃に、家族全員がアイルランドから英国に移住することになったのに、なぜか、叔母(義母の母親の姉)のもとに預けられ、ひとりだけアイルランドに残った義母。そのまま叔母の家で、従姉妹にあたるその娘たちと姉妹同然に育てられたのに、13歳の年に突然、英国の実の家族のもとに連れ戻されたのだという。育ての親である叔母や従姉妹たちは、義母と突然離れることになり、胸を引き裂かれる思いだった、と、いまだにアイルランドに帰るたびに聞かされる。彼女たちの語る「かわいくて頑張り屋だったナンシー」と「ちょっと変わってるお母さん」の間の温度差がなんなのか、きっとどこの家でもそうなのかもしれないけれど、家族というのは、永遠の謎ではある。

今日、自分のコンピュータのなかを探したら、義母の葬儀のときに読み上げられた、前述の詩の全文が出てきた。彼女が亡くなる数年前に一時期入院していたことがあって、そのときに病院で出会った地元の詩人が、義母の言葉がおもしろい、と詩にまとめたものだという。彼女の言葉を集めたものだから、当たり前といえば、当たり前なのかもしれないけれど、義母という人を、端的によく表していると思うので、ここでも紹介したい。

   ◇◇◇


‘’Anne’s Poem’’ by David Hart

I’m like a spider, you know, when I write.

Washing on the line without pegs
Would be really amazing, the difference.
If you put your clothes on the hedges
the clothes would be alive with earwigs.
They can get into your ears, apparently.
I had an uncle who could talk the hind legs
off a donkey and move on to another one.

Fancy a cup of tea, poet?

It’s a shame men go bald, isn’t it?

When I close my eyes:
green fields and a blue sky.

Tom and Jack went out an brought in
a bottle of sherry, and Maura and me
we sat there and drank every drop.

Roses we were very fond of.
Wild Woodbine is delicious.
And Night-Scented Stock.

Woolworth’s was a halfpenny shop.
You could come into Birmingham
on a bus for a penny.
There were trolley buses along the Coventry Road,
trams on the Bristol Road
to the Lickey’s and those places.

A Brummie’s breakfast
was a cup of tea and Woodbine.

I liked Cerrigeen Moss with custard.
Blackberries? With little white worms inside?
It could have been a Friday
and you couldn’t eat them.
So there, that’s it.

ーーー
アンの詩(デイヴィッド・ハート)

私って蜘蛛みたいなのよ、知ってた? 書いた文字がね。

物干しに洗濯ばさみなしで吊された洗濯もの
きっと、その違いにはびっくりするわよ。
服を垣根の上にのせておいたら、
ハサミムシのせいで、生きてるみたい。
ハサミムシ(※1)って耳に入ってくるらしいわよ。
うちのおじさんっていうのは、
ロバの後ろ脚が折れちゃうくらいのおしゃべりで、
ずーーーっと話し続けられる人なのよ。

紅茶はいかが、詩人さん?

男の人が禿げちゃうのって悲しいわよね?

目を閉じれば
緑の野原と青い空。

トムとジャックが外に出て、シェリーを買ってきてくれて、
モーラと私は、ただそこに座って、最後の一滴まで飲んじゃった。

私たちが大好きなバラの花。
スイカズラは、とってもおいしい。
あと、夜に香るストックも。

ウールワース(※2)は、ハーフ・ペニー・ショップだったのよ。
バーミンガムにだって、1ペニーで
バスに乗って行けたのよ。
コベントリー・ロードには、トロリーバスがあって、
ブリストル・ロードには、トラムが
リッキーズとかその辺のところまで走ってた。

バーミンガムっ子の朝食は、
紅茶とスイカズラだったの。

ケリジーン・モス(※3)とカスタードが大好きだった。
ブラックベリー? 白くて小さいミミズがついてるでしょ?
あれは金曜日だったのかしら
食べられたもんじゃないわ。

だからね、まぁ、そういうことよ。

※1 英語のハサミムシは「earwig」で耳(ear)に入ってくるという義母の説らしい。
※2 文房具や子ども服などを扱っている英国のチェーン店(数年前に倒産)。
※3 海草の一種。

   ◇◇◇

「若いというのは、それだけで美しい」と最初に言ったのはだれだったのか。いままでずっと、心のなかでそれに反発してきたけれど、やっぱり、男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね、お義母さん?

若かりし頃の夫。黒髪に天使の輪ができてる(涙)。


11.9.12

アイルランドで考えたいくつかのこと。

分厚い雲がたちこめる西アイルランドのムルラニー。

3年ぶりにアイルランドに「帰って」きた。

前回のアイルランドは、友人も誘ってわいわいと賑やかな旅で、それがとても楽しかったので、この次も…と思っていたのだけれど、夫のかなり無謀な9月のサイクリング計画に、天候も見えず(むしろ雨になる可能性のほうが高い)、天候が見えないので一日の終わりにどこまでたどり着けるかもわからず(だから宿が取れない)、ずっと雨なら、ずっとパブ(下戸の私にとっては最悪)、などというまったくもって先の見えないプランに、友人を誘うことは躊躇した。

前回一緒にアイルランドに来た友だちに「アイルランドに行くことにしたよ」と告げたら、「えーいいなー」と言われたけれど、「でも雨のサイクリングになるか、一日パブだよ」と返したら、「そうなんだ、がんばってね」と、あったかパンツと速乾性のあるズボンを持ってきて貸してくれた。Nちゃん、ありがとう。

というわけで、今回は前半3日間は夫とふたりのサイクリング旅行、後半3日間は親戚三昧の旅となった。サイクリングのほうは、アイルランド西部のメイヨーの端っこにある、ウェストポートという町からアキル島まで、1937年に廃線になったグレートウェスタン鉄道の線路の跡地に設置された「グリーンウェイ」という42キロのサイクリング&ウォーキングルートをたどる、という計画だった。これを3日間で往復するので、単純計算すると一日25キロ〜30キロ走ればよい。

自転車に乗っている間は、ほとんど会話はない。ただひたすら、アイルランドの重い雲と、低い山と、それほど濃くはないけれどしっかりと大地に根をはった緑と、遠くに見える海をながめながら、自転車のペダルをこいだ。

そのどこまでもアイルランドな風景をながめながら、いろいろなことを考えたので、ちょっとだけ書き留めておきたい。長くなりそうなので、がんばらないで、適当にスルーしていただければ幸いです。

こちらもムルラニーで。


アイルランドは、私にとってはかなり特別な土地だ。夫の両親がアイルランドの出身で、子ども時代の夫にとっては夏休みの帰省先だったこともあり、いまだ親しくしている親戚も多い。私も、夫とつきあい始めて彼の親兄弟と会うよりも先に、アイルランドの親戚たちに紹介された(たまたま、いとこの結婚式があって、そこに連れて行かれたのだ)。彼らがその日から線引きもなくファミリーとして受け入れてくれたことは、東京郊外の核家族で育った私にとっては、ある意味衝撃だった。そんなこんなで、ここ15年ちょっとの間に、私にとってもアイルランドは「行く」のではなく「帰る」という感覚を伴う場所になった。

夫の親戚にも一様に言えることだけれど、アイルランドの人々は、とにかくおせっかいなほど親切であたたかい。空港のインフォメーションのおばちゃん(中年女性、というよりあえて「おばちゃん」と呼びたい)が、「あら、バスの時間? 次のまで4時間くらいないわよ。タクシー呼ぶ?」と、この最後の「タクシー呼ぶ?」がついてくるのがアイルランドだなぁと思う。レンタルサイクルのお店で、「かごのついてる自転車? うーんうちでは置いてないなぁ…。あ、売り物のかごだけど、これつけていくか?」と「€35.99」と値札のついたままのかごを、私の借りた自転車の前につけてくれる(私が返したあと、これ売るのだろうか、という疑問も一瞬よぎったけど)。高級ホテル、とされている宿泊先のレストランでも、ステーキの大きいこと。

ロンドンだったら、空港のインフォメーションで、バスの時刻表はくれるかもしれない。でも「タクシー呼ぶ?」とは聞いてくれない。レンタルサイクルの店では「うちではかごのついた自転車はありません(以上)」だろうし、高級レストランの食事が大盛りだった試しはない。

私の知っているアイルランドには(もちろん、ダブリンのような都市部では少し事情は異なるとは思うけれど、少なくとも西アイルランドの田舎の町では)、ロンドンや東京といった、いわゆる「大都市」では定番の「とりすましたスマートさ」、みたいなものはあまりない。むきだしの、というか、洗練されていないホスピタリティなんだなぁ…と、ふと、そこで、それなら「洗練」ってやつは、いったいなんなのだろう、と考えてしまった。

「洗練されたおもてなし」とか、「洗練されたお料理」とか、もっと言えば「あの人は洗練されている」とか、まるで「洗練」がひとつのクオリティ(特質)であるかのように扱われることすらあるけれど、「洗練」そのものはクオリティではないはず。先になんらかのクオリティがあって、それを文字通り「洗って練って磨く」ことに過ぎない…はず。

なにが言いたいかというと、ホスピタリティのないところに、「洗練されたホスピタリティ」はありえない、ってことなのだ。そもそものホスピタリティがないくせに、洗練だけ追い求めようとしたって、かたちばっかりで中身のないものになってしまうのは、当然だろう。ラッピングだけが見事な空き箱みたいに。長たらしい名前のついた凝ったソースだけが売りのお料理のように。ロンドンや東京は、そういう例で溢れていると思う。

無難にホスピタリティについてだけ、触れたけれど、自戒の意味も込めて敢えて言うなら、それって実はホスピタリティだけじゃない、と思う。センスとかスキルとか、目に見えるものも見えないものも、みんなそう。洗練された美しい言葉で綴られた履歴書が、どれだけその人を幸せにしてくれるだろう。追い求めるのは洗練じゃない。先にクオリティありき、なのだ。きれいにまとめることだけに気をとられて、本質を見失ってやいないか、または他者のなかにある原石が、ちゃんと自分の目に見えているのかどうか、自問してしまう。自分は大丈夫なのか、と。

そんなふうに、ふだん意識せずに過ごしていることに、ドキっとさせられたことはほかにもあった。

たとえば、自転車で走っていても、歩いていても、すれ違う人が一人残らず、挨拶してくれること。挨拶されたことにドキっとしたのではない。それに戸惑う自分にドキっとしてしまったのだ。東京でもロンドンでも、知っている人にしか挨拶しない生活に慣れきっている私にとって、前から歩いてくる人に「ハロー」と言われるなんて、想定外のこと。前から人が来た、知らない人だ、と認識した瞬間に、自分のなかでその人は風景の一部に変わってしまっていたのかな、と。自分のすごく傲慢な一面を見てしまったような気がした。

というのも、これと同じことを、どこか地方出身の知り合いに指摘されたことがあったのを思い出したのだ。ロンドンの人は、人を人とも思ってない、そのへんのものと同じように目に映っているだけだ、って。そのときは、ピンと来なかったのだけれど、ああ、こういうことを言ってるんだなって、今回初めてわかったような気がした。確かにこういう場所で育った人にとって、誰も自分を見ることも、自分に注意を払うこともせず、ただ素通りしていくだけのロンドンの街は、さぞや寂しいことだろう。

と言いながら、自己弁護するわけじゃないけれど、私はそんなロンドンが嫌いじゃない。むしろ誰にも注意を払われないことが快適だったりする。これはどっちが正しいとか、どっちが冷たいとかじゃなくて、ものすごく個人的な人との距離の置き方の違いだけなのだろう、と思う。通り過ぎていく車さえ、片手を上げてくれるアイルランドも素敵だとは思うけれど、それじゃあ、明日からいきなりキングズ・クロスの駅で、すれ違う人みんなに挨拶をするかというと、私はしない。

ただ、いままでと同じように距離を置きつつも、すれ違っていく人も、そこで電車を待っている人も、みんな人なんだなぁっていうのは、ちょっと頭の片隅に置いておきたいと思う。決して風景のなかの「もの」ではないんだと。

この人との距離の置き方と関係性について、アイルランドで感じたことをもうひとつだけ書く。これが最後だ。

冒頭に書いたように、私にとっては、96年に夫と一緒にいとこの結婚式に出席したのが、アイルランドのファミリーとの出会いだった。そのとき、一番最初に一番強烈な印象を私に植えつけたのは、当時60代だった夫のおばさんの一人で(正確には夫の母のいとこの妻。かなり遠い存在に聞こえるが、アイルランドではみんな一様にファミリー)、「G(夫)のガールフレンドかい?」と私を見とがめるなり、突進してきて、ものすごい怪力でハグされた。そのときの私は、アイルランド・アクセントの英語を半分も理解できず、勝手に孤独を感じていたところもあったのだが、この怪力ハグの洗礼は、私の体の表面に貼り付いていた緊張をむしり取って引きはがして、ビリビリに破いて風に飛ばしてしまうくらいの勢いがあった。

その後そのおばさんの息子のKが「ごめんね、うちのお母さん、いい人なんだけど、キャラが強くて」と言いにきた。このKと夫の顔がそっくりで、あとから「あなたとKってそっくり。やっぱり血がつながっているのね」と言うと、「いや、Kは養子だから血はつながってないんだよ」と言われて驚いた。「あと、IもMも養女なんだよ」と。

KもIもMも私たちと同年代だ。妊娠中絶が合法でないことも理由のひとつだとは思うけど、私たちの年代の養子縁組は少なくない(妊娠中絶が合法でないために、子どもを育てられない境遇の女性も出産はするため)。KもIもMも、子どものできない夫婦の養子として、乳児の頃に引き取られた例である。IとMは別々の家からもらわれてきた血のつながらない姉妹だが、本当に仲がいい。Mは最初の夫との間に二人の子どもに恵まれたが、Iは子どもができず5年前にやはり養子をとった。

Iの父で今年92歳になるおじさん、おじさんの娘として育てられたI、Iの息子として家族の一員となった小さなR。血のつながらない親子三代が、キッチンで肩を寄せ合いながら、携帯で撮った写真をのぞきこんでいる。愚鈍なほどの実直さで、血のつながりがある親子も、そうでない親子も、毎日同じように淡々とその関係を保ち、毎日を重ねていく。アイルランド人の血には「甘んじて受け入れる」DNAが組み込まれているんじゃないかとすら思ってしまう。

それは、この分厚くて重い雲の下で、しっとりと湿った空気と、ターフ(泥炭)を燃やすにおいのなかで、培われてきた気質なのだろうか。それとも彼らがよりどころとしているカトリックの精神によるものか。いずれにしても、そこには、引き継がれて連綿と続いていくなにかがある。

夫の母が姉妹同然に育ったいとこのひとりで、今年87歳になる元修道女のMおばさんは、今回、夫の顔をまじまじと見てこう言った。「来てくれてうれしい。あなたを見ていると、ラブリーなナンシー(夫の亡母)とトミー(夫の亡父)を思い出す」と。

今回は会えなかったけれど、私に怪力ハグをプレゼントしてくれたおばさんは、ここ数年認知症が進みケアホームで生活している、と聞いた。その息子のKには昨年娘が生まれ、ちょうど新しい家に引っ越した翌日に会うことができた。

Iの妹のMは、ふたりの子どもを連れて、現在一緒に生活しているパートナーとつい先日婚約した。パートナーの側にも前妻との子どもがひとりいて、子どもたちは急に兄弟が増えることになった。

すでに失われてしまったもの。いまここにあるもの。これから生まれてくるもの。その流れをとどめることは誰にもできない。

アイルランドにいると、大地から生まれて、生きて、老いて、死んで大地に還っていく、という、都会の生活で忘れられてしまったかのような、ごくごく基本的な約束がとても身近に感じられる。それはシンプルさを強調する流行でもファッションでもない。自然の摂理の一部として、いままでもこれからも、私たちを巻き込んで普遍的にまわりつづけるものなのだ。

雲が何層にもいろんな高さで重なっている。たまたま晴れ間が見えたときは、気が遠くなるほど美しい。

24.10.07

ビッグ・エイティー



社長日記 - livedoor Blog 共通テーマ

先週末は、親戚の80歳のお誕生日のお祝いで、
アイルランドへ行ってきました。
さすが80歳のお祝いだけあって、
集まる人々の平均年齢も半端ではなく、
エイティー・サムシングの皆さんが、
元気に自分で車を運転してやってきては、
見事にワルツを踊ってくれるのを
わくわくしながら見守ってしまいました。

お誕生日のご本人も、87歳のダンナさんと
元気に踊っていて、あぁ、こういう老人になりたい、
と思わずうらやましい目で見てしまいました。

誕生日カードにくっついていた
「Who wants to be young anyway?」
(若くなんてなりたくないし)
というバッジを嬉しそうに胸につけて、
翌日もそれをつけて、お友だちとカードをしに
出かけに行った彼女を見て、アイリッシュ老人パワーを
少し分けてもらったような週末でした。

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24.3.07

マダーとファーダー

夫の家系がアイルランド系ということもありますが、
もともと、私はアイルランド訛りが好きでした。

例えば、クランベリーズの歌のなかのアイルランド訛り。
とってもとってもキュートだと思います。

夫いわく、アイルランドでは「th」の発音で、
舌を歯の間にはさむことを禁止されています。

クランベリーズのボーカル、ドロレスが、
「Ode to my family」のなかで、

♪マイ・マダー、マイ・マダー♪
♪マイ・ファーダー、マイ・ファーダー♪

と歌っているのは、そういうわけです。

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22.3.07

「えらい人」と「親切な人」のかねあい

一般論では、と前置きをしつつ、アイルランド人は、親切です。
実際のところ、おせっかいなアイルランド人には
会ったことがあっても、
不親切な人には会ったことがありません。

さて、先日、航空業界の大物といわれるアイルランド人の
コンサルタントの方にインタビューをしました。
この方が、本当に、ウソみたいによい人で、
信じられないくらい親切にしてくださり、
私はもちろん、関係者一同、本当に感謝したのです。

が、あまりに親切なので、
「彼って本当にえらい人なの?」
と、一部では疑問の声も。

「えらい人=時間がない=親切度が低い」
という図式が、いつのまにか出来上がっているので、
あまりに親切だと、逆にえらい人じゃないのでは、
という疑いが生まれるというわけですね。

えらそうに見られるには、
親切もほどほどにしたほうがよいのかもしれません。


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13.3.07

ファミリー・バリュー

アイルランドで、相方のおばさん夫婦の金婚式に出席してきました。
ゲストがおよそ100人集まっての大きなパーティーで、
本当に結婚式さながらの、盛大なものになりました。

教会でのセレモニーでは、「病めるときも健やかなるときも」という
例のくだりを「これからも」という言葉が頭につけて確認しあったり、
まさに結婚式。
レセプションでは、ワルツを踊る70代のふたりをみて、
50年前の様子をちょっと想像してしまいました。

結婚式は誰でもできるけれど、
金婚式は迎えられない人のほうが多いと思います。
それだけに、感動もひとしおのすばらしい式でした。

それにしても、アイルランドはイギリスよりも、
家族の結びつきを重んじる土地柄のようです。
カトリックという宗教のバックグラウンドが
あるせいかもしれませんが、こういうときに集まる人数の多いこと。

式の翌日、おばさんはさっそく25枚のステーキを
バリバリ焼いて、挨拶をしにきたゲストにふるまっていました。
さすがです。

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12.3.07

セント・パトリックス・デー

アイルランドに出張中なので、またまたアイルランド・ネタを。
今年は、日本とアイルランドの外交関係樹立50周年の年なんですね。
それで、日本でもいろいろなイベントが予定されているらしいです。

来週の週末、3月17日は、アイルランドの聖人パトリックの日、
ということで、「セント・パトリックス・デー」と呼ばれています。
アイルランドはもちろん、大盛り上がりですが、ロンドンだって、
みんなアイルランドの国花であるカイワレのような小さな三つ葉
「シャムロック」にちなんだ緑のでかい帽子をかぶって、
飲めや歌えやの大騒ぎとなります。

東京でも、今年は、東京タワーが緑に染まるイベントがあるそうです。
また、翌18日には、表参道でパレードが行われるそうですよ。
パレードは北は仙台から南は熊本まで、
各地で開催されるそうですので、ご興味のある方は調べて
行ってみてはいかがでしょうか。 

ちなみに、友達がセント・パトリック・デー生まれなので、
私は、彼女の誕生日ディナーで盛り上がれそうです。

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10.3.07

アイルランド人の性格

うちの夫は英国生まれですが、両親はアイルランドの出身で、
そして、苗字がアイルランドの典型的な「O」のつく名前です。

皆さんご存知かもしれませんが、いわゆる「O'」で始まる名前は、
アイルランドの典型的な名前なんです。
例えば、オコンネルとか、オサリバンとか、オコナーとか。
「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラも典型的な
「O'」のつく名前です。

スカーレットの父親が自分の農園に
「タラ」という名前をつけたのも、ダブリン近郊の
アイルランドの聖地「タラ」から名前を取ったからです。

というのは、余談で。

普段仕事をするうえでは、基本的に旧姓を使っている私ですが、
アイルランド人の方とお仕事をするときには、
意識的にこの「O」のつく名前を見せるようにします。

アイルランドの人って、ものすごく同郷心が強く、
アイルランドとかかわりがあると知るだけで、
ぐーんと距離が狭まるのです。

実は今日も、アイルランド人のある大物ビジネスマンの
インタビューをさせていただいたのですが、
私の苗字を知ったとたんに、「あれあれ」という感じになり、
そこから急に旧知の仲のような親しみを持った
おしゃべりへと発展しました。

この苗字「break the ice」の役に立っています。

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