27.5.14

ブルネルさんのトンネル。


テムズの両岸を水底で結ぶテムズ・トンネル。

先週末、テムズ河の水底を走る「テムズ・トンネル」のウォーキングツアーに参加してきました。テムズ・トンネルは、2010年に開通したロンドン・オーバーグラウンドのイースト・ロンドン線の一部で、普段は普通に電車が走っているトンネルです。

それを5月の終わりのバンクホリデー・ウィークエンドの3日間に限り一般公開、ロンドン交通局がツアーを行ったのです。「トンネルを歩いて、なにが楽しいのか」と思われるかもしれませんが、このチケットがまぁ、飛ぶように売れたようです。発売日の午後にウェブサイトをのぞいたときには、10分おきに催行されているツアーのほとんどが「売り切れ」になっていました。

さて、予約当日。「大きなかばんは持ち込めません」「1キロくらい歩くので、歩きやすい靴を」「三脚の持ち込みは禁止」「出発15分前に必着してください」などなど、チケットと一緒に届いたさまざまな注意書きを読みこんで、テムズ・トンネルの南岸の入口となるロザーハイズ(Rotherhithe)駅に到着しました。

なにやらかわいい壁の前に行列ができています。

10分ごとに催行されるこのツアー、私たちの時間が読み上げられると、20人くらいがぞろぞろと駅の中へ。いつもならオイスターカードをタッチするゲートをそのまま通り過ぎ、受付を済ませたら、ゴム手袋を手にはめるように言われました。

こ、こんな、おしゃれな手袋を…。

ロンドンにお住まいの方は、よくご存知かと思いますが、地下鉄はネズミがわさわさ住んでいて、衛生上、トンネルで働く人も、必ずこの手袋を装着するように決められているのだそうです。

地下のプラットフォームに降りると、我々のグループを先導してくれるガイドのニコラさんから、火災の際の避難方法、線路には今日は電気は走っていないけれど、上を歩かないように、などと、意外にも(失礼)ちゃんとした事前注意がありました。

トンネル・ツアーのはじまりはじまり〜。

そして、ところどころで立ち止まって、トンネルの歴史についての興味深いお話が……。

世界初の川底トンネル、ブルネル・テムズ・トンネルとも呼ばれるこのトンネルの工事には、英国の伝説的技術者、イザムバード・キングダム・ブルネルの父マークがチーフ・エンジニアとして、またブルネル本人もアシスタント・エンジニアとして、携わったのだそうです。

1825年に着工、その後、資金を募るためにここで世界で初めての水底晩餐会が行われたり、工事の最中に2度の洪水事故が起きて、死者を出すことになったり、ブルネル本人もようやく一命を取りとめたほどの重傷を負ったりしながら(ブルネル本人は1828年のこの事故をきっかけに工事から離れたそうです)、1843年にようやく開通しました。

テムズ河にかかる橋の渋滞を緩和するための策として、開通したトンネルではありますが、基本的には歩行者のみ、初日には5万人が訪れたほどの人気ぶりで、それぞれのアーチ部分にはお土産物屋が並んでいたそうです。

このアーチのそれぞれにショップがあったのですね。

トンネルの長さは、わずか396メートルとのことですが、1800年代の前半に水底にトンネルを造ることを思いつき、それを実行に移すとは、狂人と天才は紙一重を地でいく人物だったのではないでしょうか。

ツアーは、和気あいあいと、黒いビニールで包まれた赤信号の前で写真を撮ったり、どこまでも続くトンネルのどこまでも似たような写真を何枚も撮ったりしながら、わずか30〜40分ほどのものでした。

ワッピング側から見たトンネル。

ツアーといっても、一本道のトンネルを向こう岸のワッピング駅まで行って、反対側の線路で引き返してくる、というだけの「世界初の水底トンネル」ウォーク、似たような写真をなにが嬉しいのか何枚も撮りながら、和気あいあいと歩きました。ところどころ、往年のレンガがそのまま見られる場所などもあって、皆が一斉にレンガの写真を撮ったり…(笑)。

ツアーの最後には、再びロザーハイズの駅で手袋をはずし、消毒ジェルで手をすり合わせ、駅をあとにしました。

さて、このロザーハイズの駅からテムズ河に向かって数十秒のところに、このトンネル工事の基地の跡地「ブルネル・ミュージアム」があります。

ブルネル・ミュージアム。かわいらしい外観です。

なかには、トンネル工事の流れを説明するパネルなどが展示されているほか、ビデオの上映、オリジナルグッズの販売などをしています。

このブルネル・ミュージアムの前にあるちょっとした公園のベンチがすてきでした。

橋のかたちをしたベンチ。

鉄道橋を模したベンチ。

近づいてみるとそれぞれに顔がついています。

なかなかおもしろいバンクホリデーの週末となりました。


22.5.14

時計が戻ってきた。(その2)


無事帰宅。

一般的な価値とは無関係に、なんらかの思い出のある品物など、自分だけにとっての価値を英語では「センチメンタル・バリュー」ということがあります。

以前にも書いたことがありましたが、ここ20年以上身に着けている腕時計は、私にとっては、まさにセンチメンタル・バリューのある愛用品。

この時計が手首から消えていることに気づいたのは、1週間のスコットランド出張の帰り道、飛行機がエディンバラから離陸しようとしている、そのときでした。

いったい、どこにいってしまったのだろう、とグルグル頭のなかで考えて、それほど時間もかからずすぐに、空港のセキュリティゾーンで時計を外してトレーにいれた記憶がピコーンと頭によみがえってきました。そしてそれを手首に戻した記憶がないことも。

あああ、どうしよう、と気づいたときには、すでに飛行機は滑走路を滑り出していました。時計を空港に置き去りにして、自分だけロンドンに帰るという状況は、なんともいえずいやーなもので、たぶんもう、あの時計は戻ってこないだろうなぁと、えらく感傷的になって落ち込んだ帰路でした。

さて、ロンドンに戻ってきてすぐに、とりあえず、エディンバラ空港の遺失物担当の窓口に、メールを送りました。前回ブログに載せたときに撮った写真があったので、それも添付して、セキュリティゾーンに置き忘れたことを書いたら、わずか数時間のうちに、「見つかりました」のお知らせとリファレンス番号が。

その後、遺失物担当の方が、私のメールアドレスを間違えたりというハプニングもあり、思ったよりもちょっと時間がかかりましたが、今朝、10日ぶりに私の手元に時計が戻ってきました。

この10日間のあいだに、日本で仕事をしていたときに大変お世話になった方の訃報を聞き、たまたまなのですが、その方がこれと同じ時計をしていたことをぼんやりと思い出しました(その方がされていたのは紳士用でしたが)。

センチメンタルバリューというのは、こうやって静かに雪が積もるみたいに重なって、いつか自分だけにわかる(自分だけにしかわからない)特別な意味をこしらえてしまうものなのかもしれません。


ホテルの窓からは、エディンバラ城が見えました。

羊の出産シーズンだけに、シェットランドでは飛び回る子羊と母さん羊の姿がいっぱいでした。