27.4.13

再び、サン・マロへ。


晴れた日の船の上からはこんなふうに見えます。


フランス北西部、ブルターニュ地方のサン・マロという街に、小旅行してきました。

サン・マロは、2年前にも1泊したことがあったのですが(この日この日のブログにちょっとだけそのことを書いています)、そのときはモン・サン・ミッシェルに行くための拠点、というだけで、街をちゃんと見ることができなかったので、いつか再び訪れたいと思っていたのでした。

なかなか趣のある街です。

サン・マロは、イギリス海峡に面した壁に囲まれた小さな街です。もともと1600年頃に要塞として壁がつくられ、第二次大戦時には、ドイツ軍の占領下となり、街の多くは戦火に焼かれ、戦後昔と同じように建て直されたようです。

街から突き出るとんがり頭の大聖堂のなか。ステンドグラスからの光が美しいです。

壁の下には、美しいビーチが広がり、引き潮のときには、ぽつぽつと周りに浮かぶ島に、歩いて行くことができます。これらの小さな島にもそれぞれ要塞があって、とても興味深いのです。


満潮時はこんな感じで、完全に海に囲まれています。


潮がだんだんと引き始め、細い道が浮かび上がって……。

最も潮が引いているときには、これ以上にビーチが広がります。

上の写真の左側の島に向かう道。こんなにくっきりと海から浮かび上がってきます。

このように水のなかに潜んでいる道を英語ではコーズウェイと呼ぶのだそうです。脇のビーチには、流れ着いたのではなく、地面にしっかりと根を下ろしている海草がふさふさとしていて、いま自分が歩いているのは、実はビーチじゃなくて海底なんだなーと、実感します。サンマロのこれらの島は、一日に2回、それぞれ4時間ほど陸続きになるのだそうですが、さすがに夜の干潮時に、これらの島に渡る人はいなさそうです……。

快晴の空の下、島の原っぱでピクニックを楽しむ人々。

絵になる読書風景。

初日の日中は、ブルターニュ地方にしてはありえないほどのお天気で、海水浴をする人もいたほど。日中と夜との温度差が20度もあって、一日に冬と夏が一度にきたような感じでした。


一転、夜には海から吹き込んでくる霧に街は包まれます。

ロンドンからは、飛行機や、またユーロスター、パリ経由で鉄道でも行けますが、前回同様、ポーツマスからフェリーで往路は船中一泊で、帰りは日中丸一日船の上で、のんびりと行ってきました。霧のなか、なにも見えない海の上で、本当に少しずつ陸がうっすらと見えてきたり、街のなかで頭ひとつ突き出た大聖堂の塔が、意外なほどいつまでも水平線上に見えたりする、そういう感覚は船でないと体験できないので、移動時間はかかりますが、これはこれでおすすめです。

21.4.13

はじめての畑しごと。

ロンドンでは、共同菜園が大変な人気で、ほとんどの共同菜園では、何年待ち、ということも珍しくありません。

車なしの生活を送っている私もやはり、歩いて行ける範囲の菜園のウェイティング・リストに名前を入れてもらっていますが、もう5年間も待っている人がいるのだそうです。

そんなおり、お友だちが「うちの菜園の一部を使いませんか」と声を掛けてくださり、調べてみたら、バスで10分くらいで行ける距離だったので、「ぜひぜひ」ということで、一時帰国した際に枝豆やらカボチャやら、初心者にしてはかなり野心的にいろいろな日本の野菜の種を買ってきました。

そして先日、いよいよ、お友だちが菜園に行く、という日に合わせて、畑デビュー!

お友だちの菜園。一区画がかなり広いです。

広大な菜園のなかの、やはりえらく広い一区画のなかの、そのまた一部、ということですが、それでも初心者の私には十分すぎる広さでした。

これが私が使わせていただく畑です♡ まずは雑草と格闘。

手袋から道具まですべて貸していただいて、雑草取りのイロハから教えていただき、「ああ、これは自分ひとりで一から、っていうのは無理だったなぁ」と実感しました。お友だちの菜園では、毎年馬糞を1トン注文して肥料にして完全オーガニックで野菜を栽培しているとのこと。私も収穫のその日を夢見つつ、熊手を振り下ろし、雑草を取り除き、土を耕して、この日はとりあえず、自分の菜園の三分の一をキレイにして、2種類の種を植えました。

さまざまな鳥の声を聴きながら(この友人はバードウォッチングが趣味なので、いまの鳴き声はなんとか、と、鳥の名前もいろいろ教えてもらいつつ)、広大な菜園内をぶらぶら歩いていると、人それぞれのやり方で畑をつくっていて、完全にガーデンのようにしている人もいれば、大きな温室を置いている人、草ぼうぼうでしばらく放置している人もいて、大変興味深かったです。

道具小屋の窓から見える飾りがキュート♡

また、多くの人が自作で池を設けていて、これ、なんのためかというと……。

じゃーん、これです! オタマジャクシを見たのも何年ぶりでしょうか。

野菜作りの天敵であるナメクジをカエルが食べてくれるのだそうです。自然というのはすばらしい。

道具用の小屋のドアを開けたら、蜂が巣を作っていたりして(幸い外出中のようで、なかにはなにもいないようでしたが…)、その見事な巣の出来栄えに感心したりしました。

手のひらに収まるくらいの小さな蜂の巣。みごとにまん丸です。

今年の私の課題は、仕事以外の時間は、なるべくコンピュータから離れること。その課題ともビシッとマッチしてくれる畑での作業は、力仕事で、翌日は筋肉痛でしたが、身体は痛くても、心はとってもゆるやかになっていて、こういう時間が必要だったんだなぁと思いました。

一部の種は、いきなり土に埋めないで、家で苗にしてから植えた方がいいよ、と、アドバイスをいただいたので、週末は家でも土いじりを…。

こちらは栗カボチャの鉢です。このほかにバジルや大葉、赤しそなどの種を仕込みました。

菜園のウェイティング・リストがなかなか動かないのも、まぁ無理はないですね。私も地道に勉強しながら、続けていけたらいいなぁと思います。


18.4.13

Goodbye to Maggie

お友だちに誘われて、今日、サッチャー元英国首相の葬儀が執り行われたセント・ポール大聖堂に行ってきました。

彼女の政治について、詳らかにその賛否を語れるほどの知識はありませんが、英国初の女性首相、20世紀で最長の在任期間、世界からの高い評価を得ながらも、これほど多くの国民に嫌われた、明らかに特異な存在であり、英国史にくっきりとその名前を残す人物であることは間違いないと思います。

今日のロンドンは、小雨のそぼ降る、寒い朝でした。

朝9時。セキュリティチェックの入口には、すでに弔問の人々の群れが。

空港のセキュリティチェックのようなゲートが設置されていました。

ボディチェックもきっちり。

悪天候にもかかわらず、多くの人が沿道に群がっています。

入棺前の沿道。

花束を手に入棺を待つ男性。

今日の国葬に対して抗議の紙を掲げる人も。

「M」がマクドナルドのロゴというところから、おそらく反資本主義のメッセージも。

おそらく保守党の色、ということで、青いバラを持つ人々。

サッチャー元首相とも保守党ともまったく関係なく、熱い演説を展開する人…。

実は根性なしの私は、あまりの寒さに負けて、入棺前に早々にカフェに引っ込んでしまい、肝心のところをすべて見逃してしまったのですが、今朝、セントポールの周りに集まった人々を観察できただけでも、大変興味深かったです。よくも悪くも、この国には、自己主張を許される土壌のようなものがあるなぁと、改めて思いました。

群れにまじることもなく、広場のベンチに静かに座っていたこの女性、とても印象に残りました。

2.4.13

英国の婚姻届事情とテムズの源流

今年の3月のイギリスは極寒でした。なんでもこんなに寒い3月は60年ぶりだそうです(ことお天気に関しては、「何年ぶりのなんとか」が三度の飯より好きな英国人…ハハハ…汗)。

ある3月の週末、体感温度マイナス14度というコッツウォルズに行ってきました。夫の同僚の結婚式に出席するためです。

こちらが最寄りのケンブル駅です。

ロンドンから2時間足らずでたどり着いたケンブル駅からタクシーで10分、今回の結婚式は屋外、という恐怖の設定を聞いていたのですが、たどり着いてみたら、英国ではマーキー(Marquee)と呼ばれるイベント用の巨大テントが出ていて、ほっ。

こちら、暖房も完備でした。

朝は雪交じりの強風吹きすさぶ天候だったので、よかった、と思ったのも束の間……。

ご存知の方も多いかもしれませんが、英国では、地域のレジストレーション・オフィスのほか、婚姻届にサインができるライセンスを持っている場所でないと、結婚をすることはできません。どこの教会でも、どこの催事場でも結婚できるわけではなく、ちゃんと婚姻届にサインすることが許されているラインセンスがあり、結婚式を執り行えるレジストラーという認定された人がいないと結婚することはできないのです。

そして、このライセンスの登録がかなりピンポイントで、今回の結婚式の場合、このマーキーでサインをすることはできない、とのこと。

では、どこでサインをするのか、というと…。

……庭の真ん中に建てられた、この小屋。

屋根には雪が積もってます。がーん。

まずはマーキーで式が始まり、つかみのスピーチなどのあと、「サインは外の小屋で行われますが、寒いので希望の方だけいらしてください。あとで、撮影会はこちらのマーキーで行いますので」などと言われたものの、こんなおもしろい光景を見ないでいられましょうか。

まずは赤い服を来たレジストラーに連れられて、花嫁と花婿が…

続いて証人やゲストもぞろぞろと、小屋に向かいます。

みんな口々に、さむーい、とか言いながらもちょっと楽しそう。思い出に残る式になることは間違いなさそうです。

小屋の中に入るのはレジストラーと、サインをしなければならない
結婚する当人、そして二人の証人のみです。でもすでにギュウギュウ。

ここで、誓いの言葉を述べ、無事にサインをして晴れて夫婦になったふたり(&その他大勢)は、いそいそとマーキーに戻ります。

いかにもここでサインしました、という感じですが実は違うという。
なにはともあれニック&ヘレン、ご結婚おめでとう〜!

そんな感じで、ちょっと興味深い結婚式に参加させていただいた翌日。

気温は相変わらずマイナス、体感温度は言わずもがなのマイナス2桁、というなか、これはブートキャンプか、と思うようなウォーキングに出かけました。

目指すは「テムズの源流」です。

ロンドンで見るテムズ河は、立派な橋がいくつもかかるほど大きな河ですが、その源流はとても小さな流れで、ここコッツウォルズにあるとのこと。

ドロドロの道なき道を、とにかく歩く。

いまにも雨(または雪)が降り出しそうな空模様です。もちろん地面は凍ってます。

寒風で顔が切れそうに痛い! でも、ひたすら歩く。

寒さを増す、この荒涼とした風景。

流れを追っていったら、水の流れの最後がありました! これ? これなの??

なんかただの水たまりっぽいですけど…。

でもこの先に水の流れはありません。ほんとにこんな(貧相な)池が、あのテムズ河の源流なのだろうか、と首を捻っていると、地図を見ていた夫が、「いや、どうも道の向こう側に続いているらしい。川の源流には通常、目印になる石が建てられているのが普通なんだ」と一言。

(あまりの寒さに)もうこれでいいから終わりにしたい、という気持ちも満々だったのですが、これが違うなら、やはり見ないではいられません。

道を渡ってさらに別のフィールドへ。

点のように見える犬のお散歩をしていた人々にたずねると、この隣の隣のフィールドにあるとのこと。

ここまでくると、もう、水の流れはなく、ぬかるみを頼りに歩いているようなものでした。

そして、ああっ!!! なんかある!

この石でフタされているところが、もしや。

非常に地味に、墓石のような石がぽつんと。

脇には「テムズ・パス」のサインも見えます。

文字がかすれてしまっていて、よく読めなかったのですが、近づいて触ってみると

The Conservators of the River Thames 1857-1974
This stone was placed here to mark the source of the River Thames

と書いてあるようです。テムズの源流と思って間違いないでしょう。

しかしあの、テムズ河の始まりが、こんな水の見えない場所だったとは。うーむ、とうなりながら、タクシーを呼んで駅に戻りました。

まぁ、一言で言うなら、真冬に来る場所としては、おすすめできません。




19.3.13

トリエステのこと。

生活のにおいがちゃんとするトリエステ。

20代前半の一時期、2、3日休暇をとっては、ひとりで神戸に出かけていました。

なにをするでもなく、ただひたすら、海と山にはさまれた坂道を歩きまわって、ぼんやり過ごすだけだったのですが、振り返ってみると、仕事ばっかりの日常で疲れた心を休めるのには、必要な時間だったのかなぁ、と思います。

先日、いくつかの偶然に導かれて、トリエステに行ってきました。そのいきさつについては、また改めて書きたいと思いますが、この旅を決めたときには予想していなかったいろんなことが重なって、出発の朝の私は、心身ともにかなり疲れた状態にありました。この旅を決めたのは無謀だったかな、とちょっと後悔の気持ちすらあって、なかなか気分が上がらなかったのですが、それはあくまで、空港から街に向かう道で海を見るまでのこと。

トリエステは、アドリア海に面し、すぐお隣はスロヴェニア、というイタリアの端っこにある海辺の街です。第一次大戦までは、オーストリアの統治下にあったため、「ウィーン風の街」と形容されているのをときどき目にしますが、私自身はウィーンに行ったことがないので、よくわかりません。ただ、ほかのどの土地とも違う、独特の時間軸と坂道と壁のある街、というのが私の印象です。

海と山にはさまれた坂道を、細い路地から路地へと、ここでもただひたすら特に目的もなく歩きまわっているうちに、神戸の坂道をひとりでうろうろ歩きまわっていた20年前の自分と、いまの自分が、カメラのピントがゆっくり合って、ひとつの絵を結ぶみたいに、重なってゆくのを感じました。

いいか悪いか、幸か不幸かは別として、いろんな出来事があってバラバラになりそうになっても、人は決してちぎれることはないし、過去といまはどこかでしっかりとつながっている。そんな確固とした、泣きたくなるような手応えを、いくつか得られた旅でした。

「つながっている」といえば、時間軸もさることながら、空間に関しても思うところがありました。

今回、ネットを頼りに、そこそこ評判もよく、値段もリーズナブルなホテルを予約したのですが、このホテルが素晴らしかったのです。シンプルだけどセンスよく、地元のアーティストの作品や、おそらくご主人のコレクションと思われるアンティークのコーヒーメーカーで飾られた、家族経営のホテル。いまどき珍しくレコードプレーヤーがラウンジで音楽を奏でる、この小さなホテルの廊下には、わずか2週間前に私も足を向けた、パリで開催中の「メキシカン・スーツケース」の写真展のポスターが貼ってありました。

思わず、指を差して「わぁっ!」と大声をあげてしまい、「これっ、行きました、2週間前にっ」と自己申請すると、「おぉ、素晴らしい」とご主人もニコニコ。「ぼくも先週の金曜日に行ったんですよ」と。

1週間の時間差で、パリで同じ写真展を観た私とご主人が、いまトリエステで、こうしてひとつのポスターを見ながら横に並んで話している。たいしたことじゃないのかもしれませんが、やはり世界はつながっているんだなぁと、ひとり勝手に、感慨深く思った瞬間でした。

このホテルについては、再度ゆっくり訪れて、ご主人のお話ももっと聞いてみたいと思っているので、いつの日か改めてちゃんとご紹介したいと思います。

「トリエステに年に何回か来られるなら、もう一生パリには行かなくてもいいです」という、大胆かつ意味不明なSMSを送って、夫をドン引きさせた私ですが、客観的に考えると、これといった観光名所もないこの街が、万人にうけるかというと、それはちょっと違うかな、とも思うのです。ブランド・ショッピングをしたい人には、まず向いていないし、博物館、美術館をまわりたい、という人にも向いていないし、世界各地のお料理が食べてみたい、という人にもおもしろくない場所だと思います。

でも、少なくとも、古いフィルムのカメラを首からぶらさげて、ばかみたいに日がな一日、生活のにおいのちゃんとする路地から路地へと、ただひたすら歩きまわるだけで幸せで、そして、そんな時代遅れで洗練されていない自分が、決して嫌いじゃない、という方なら、一度は足を向けてみるのもよいかと思います。

ちょっとひと休みさせてもらった感のある、数日間でした。


トリエステの写真はこちらにも少しアップしました。ご興味のある方はどうぞ。



7.3.13

「giorni」春号

リサ・ラーソンさんのネコ柄ティーマットが付録についています。


久しぶりに、日本の雑誌にまとまった分量の原稿を書かせていただきました。

ロンドンの緑とお茶がいっぱいの、春らしい一冊です。

書店で見かけたら、ぜひお手にとってご覧になってみてください。

3.3.13

ヴァンサンさんのカメラ・ショップ。

「メキシカン・スーツケース」の写真展を観るために、パリにさっくり行ってきたのですが、パリでの出来事をもうひとつだけ。

昨年、お友だちのお父様が使っていたという、フィルムの古いカメラを譲り受けました。レンズのカビを掃除してもらったり、オーバーホールに出したり、それなりにお金はかかりましたが、知人の写真家の方にも「それは名機だよ、ちゃんとメンテすればずっと使えるよ」と言われて、気をよくして使っていたのですが、こんなことに。

フィルムを巻き取るハンドルが取れちゃったのです。

フィルムを巻き取るハンドルが取れてしまったので、なくさないように保管しつつ、必要な時だけ上にくっつけてフィルムを巻き取り、その場その場をしのいでいました。

ところが、パリでいつものように撮り終わったフィルムを巻き取ろうと、上にハンドルをくっつけて回せども、くるくるくるくる空回りするばかり。これはもう、ダメになるのを承知のうえで、蓋を開けてシャーっと取り出すしかないのだろうか……と、お先真っ暗な気持ちになっていたところ、はっと思い出したのが、お友だちのまぁちゃん(まぁちゃんのブログはこちら。写真の好きな方は必見です)が連れて行ってくれた日本街のカメラ屋さんです。

和食屋さんや日本の食材屋さんが並ぶ、rue Sainte Anneの北側にあります。
ちなみに看板はおそらく昔ここにあった店の名前で無関係です。

こちら「Photo Vincent」という名前のとおり、ヴァンサンさんのカメラと写真のお店。ここに朝からどたどたと、フランス語をまったく話せない日本人の私が、厚かましくも「助けてぇぇ」と飛び込んでいったわけです。

ひととおり、カメラをあちこちいじっていたヴァンサンさん、なにやらいろんな引き出しを開けて、なにかを探している様子。なんでも、カメラの巻き取りを司るパーツがひとつなくなっていて、普通に巻き取ることはできない。そこで店の奥にある暗室でフィルムを取り出すにあたり、黒いフィルムのケースが必要、とのこと。新しいフィルムの箱を開けてみたものの、それも半透明で「うーん」と考えていましたが、「仕方がない、半透明のケースに紙を入れて保護します。ちょっと待っててね」と、どこの馬の骨ともシャモの骨とも知れぬ私をひとり店に残して、奥の暗室に消えてしまいました。

5分後。

もとのフィルムのパトローネに、取りだしたフィルムをちゃんと戻して、ヴァンサンさんは暗室から戻ってきました。素晴らしいっ!! 拍手喝采です。

その後も、カメラをいろいろチェックしてくれて、とりあえず使えるように(次に入れるフィルムも巻き取れるように)してくれました。その間テストで、お店に置いている未使用のフィルムを入れてくださったり、またそれをムダにしてしまったりしたので、ぜひいくらかお支払いしたかったのですが、「お金は要らない」の一点張り。

なんとかヴァンサンさんのビジネスにもなるようにしたくて、「じゃあ、このいま救ってくださったフィルムの現像とスキャンをお願いします」とお願いしました。が、そこで急に「ケッ、こんなろくでもねえ写真のために、あんな大騒ぎしたのか、ちきしょうめっ」と現像液をひっくり返すヴァンサンさんの姿がフッと浮かんで、「あの、大した写真じゃないけど、1枚くらいいいのがあるかもしれないので。すみません」とあらかじめ謝ってしまいました。私の想像が本当にならないことを祈るのみです。

さて、こちらのお店、新品とセカンドハンドの各種カメラを置いていますが、特にライカの品揃えがよいようです。

ライカがいっぱい♡

フィルムの現像は、カラーだと2、3日、モノクロだと1週間とのこと。カメラ好きの方には、おすすめのショップです。

私のフィルムを救ってくださったヴァンサンさん。静かな物腰のジェントルマンです。

Photo Vincent
67 rue Sainte Anne 75002 Paris
www.photo-vincent.com

<営業時間>
月〜金 10:00〜19:00
土 10:00〜14:00














メキシカン・スーツケースをめぐる旅。


昨年の秋に観た映画「Mexican Suitcaseの写真展が、パリのMusée d'art et d'histoire du Judaïsme227日より始まりました。


写真展が開催されている美術館の中庭

この写真展、私が昨年調べた限りでは、ロンドンに来る予定がないようでしたので、ユーロスターでひとっ走り(2時間半)、弾丸のごとくパリに行ってきました。写真展に加えて、普段はメールやSNSでしかやりとりしかできない、遠方のお友だちにもしっかり会えて、一秒も無駄にしてなるものか、とばかり、機関銃のようにしゃべって、本当に楽しい充実した時間を過ごしたのですが、こちらのブログでは、この写真展について、少し紹介したいと思います。

日本でも沢木耕太郎さんのNHKのドキュメンタリーや、東京で行われた写真展でご存知の方も多いと思いますが、「Mexican Suitcase」とは、ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デイビッド・シーモアの3人がスペイン市民戦争で撮影したネガ4500枚の入った箱を意味しています。長い間、行方不明になっていて、キャパの弟であるコーネル・キャパが探していたこの箱が、メキシコで見つかってコーネルの手に渡ったのが、2007年12月のこと。2011年5月のNYを皮切りに、これらのネガの内容を紹介する写真展が世界中をツアーしています。

とりたてて戦場写真というジャンルそのものに、関心があるわけでも、特別キャパの写真のファン、というわけでもないのですが、一度は失われたこの歴史的な写真が、70年もの時を経て人々の目に触れることになったそのいきさつに感動してしまい、これは絶対にこの目で観なければ、と思ったのです。

これらのネガを救ったのは、キャパと一緒にハンガリーからパリに移民としてやってきた、キャパの幼なじみであり、後に彼の暗室担当となるチーキー・ウェイジという人物です。このときと前後してキャパ自身は、スペインから直接メキシコへ移動していたはずで、これらのネガを預かっていたチーキーは、ナチスの侵攻を前にして、ネガの入った箱をリュックサックに詰めて、自転車で港に向かい、南米に行く船に乗ろうとしている人に託したのでした。

ネガの行方を追っていたキャパの弟、コーネルからの問い合わせに対する、チーキーの返信の言葉を借りるなら、チーキーはネガの入った箱を持って、パリのスタジオからメキシコ行きの船に載せるために、自転車でボルドーに向かった、らしいです。そして、途中で出会ったチリ人にMexican Suitcaseを預けた、とのこと。しかし、ほかの文献などでは、マルセイユに向かった、とか、預けたのはメキシコからの駐フランス大使だったという話もあり、正確なところはわかりません。いずれにしても、自転車でパリから港に向かって、誰かにこれらの箱を渡し、Mexican Suitcaseはめでたくナチスの目を逃れて海を越え、南米に渡った、というのは間違いないようです。

チーキーは、その後、モロッコの収容所に送られ、やがてメキシコに移民として渡ります。以来、メキシコから一歩も出ることなく、2007年1月、メキシコでその一生を終えたのだそうです。奇しくも、Mexican Suitcaseがコーネルの手に渡ったのは、同じ年の12月。チーキーの死からわずか11ヵ月後のことでした。

Mexican Suitcaseをとりまくストーリーのなかで、私が一番関心をもったのが、ほとんど光を当てられることのない、このチーキー・ウェイジという人物です。

キャパの活動と、パリで彼を取り巻いていた人々を紹介する「Robert Capa: The Paris Years 1933-1954」という本を開くと、冒頭に、チーキーが撮影したパリの子どもたちの写真が2点掲載されています。たぶんしゃがみ込んで撮ったのでしょう。そのうちの一点は子どもの目線よりも低い位置から撮影された写真で、ふたりの少女がよそいきの洋服を見せびらかすように得意げに微笑んでいます。

キャパと同じ、ハンガリー生まれのユダヤ人であり、キャパと同じく撮影者でもあったチーキー。託された幼なじみの撮った写真の重要性を知っていたからこそ、それを、おそらく命がけで救おうとしたこの人物が、単に「Capa’s darkroom manager」とか「Capa's assistant」と紹介されているのを見るたびに、心のなかでなにかアンフェアなものを感じてしまうのは、私だけでしょうか。彼がいなかったら、世間の目に触れることのなかったであろう、この写真群を、私はチーキーへの敬意をもって、ぜひ見たいと思ったのです。

さて、写真展では、写真家別にまとめて写真を紹介していて、誰がどれを撮ったのかが非常にわかりやすい構成になっていました。すべての説明文が仏英2ヵ国語で表記されていたのも、ありがたかったです。

戦場写真だけに、当然ながら血まみれで倒れている兵士とか、衝撃的な写真も数多くありましたが、当時の村人の様子や、全壊した建物の傍らで、瓦礫を積み木のように積み上げて遊ぶ子どもたちの写真もあり、戦争が戦闘に加わっていない人々の生活に与えるインパクトまで、伝わってきます。スペイン市民戦争について、スペインのお年寄りは多くを語りたがらないそうですが、後日映画や文献などで知るごとに、ひょっとしたら「語りたがらない」のではなくて、「語れない」のではないかと思ってしまうくらい、混沌とした戦争だったようです。

ネガのベタ焼きの展示がたくさんあって、これをじっくり観たかったのですが、最近、坂道を転がり落ちるように、老眼に向かって突っ走っている私の目には小さすぎて、正直なところ苦しいものがありました。「ああ、虫めがねを持ってくるべきだった!」と何回ため息をついたことかわかりません。なので、ちょっとでも不安を感じる方は、ぜひ、虫めがねを持参されることをおすすめします。

展示写真を通してみて、改めて思ったのは、この3人の写真家は、報道に携わる人、というよりは、やはりファシズムと戦う、カメラを持った政治活動家だったんじゃないかな、ということです。それがいいとか悪いとか、そういうことではなくて、写真というものは目的じゃなくて、手段なのだ、と再認識させられるところが大きかった、というか。非常に興味深い写真展ではありました。

こちら、630日まで、Musée d'art et d'histoire du Judaïsmeにて開催中です。ご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。そして、写真展に足を運ばれたら、これらの写真の背後に、74年前、港まで自転車を走らせたひとりの人物がいたことも、ちらりと思い出していただけたら幸いです。

さて、パリに来たからには、一応見ておかなければ、ということで、キャパのスタジオのあった場所にも行ってみました。このビルの「セカンド・フロア」にキャパとゲルダは住み、仕事をし、そしてチーキーは、ここから港に向かって自転車を走らせた、ということになります。この場所が、キャパが一生のうちで賃貸した唯一のアパートメントなのだそうです。1階に葬儀屋さんが入っているのも納得で、実はこのビルのお向かいには、道路に沿うように細長い墓地がありました。


キャパやタローがスタジオ兼住居として使っていたアパートメントは、このRue Froidevaux沿いにあります。
これと平行して一本南側には、ダゲレオ・タイプという写真の技法を完成させた
ルイ・ダゲールにちなんだダゲール通りがあるのも、不思議な縁です。

キャパのスタジオがあった37 Rue Froidevaux。スタジオがあったのは、このビルの2nd Floorだったそうです。
(ここでいうセカンド・フロアが3階にあたるのか、2階にあたるのかは不明ですが…)

そして、キャパのスタジオの向かいの墓地ではありませんが、ゲルダ・タローのお墓にも行ってみました。ショパンやモディリアーニやオスカー・ワイルドなど、華々しい面々がどっさりと眠る名門(?)墓地ペール・ラシェーズだけあって、入り口の案内図にゲルダの名前は見つかりませんでした。

でも、墓地のウェブサイトで調べたところ、ゲルダがどの区画に眠っているのかだけはわかっていたので、時間が許す限り、端から見て探してみよう、と思っていたら、意外とあっさり見つかりました。端の方にいてくれて、ありがとう、という気持ちです。

スペイン市民戦争に従軍中に、トラックに轢かれて亡くなったゲルダの遺体は、フランスが国をあげて英雄扱いで運んできたと、ものの本で読んで、どんなお墓がつくられたのだろう、と思ってはいたものの、この派手さのひとつもない静かな墓石、カメラを武器に戦った女戦士にはふさわしいのではなかろうか、と、私の目には映りましたが、どうでしょうか。


とてもシンプルなお墓。鳥のくちばしは朽ちて落ちていました。

10.2.13

バカと煙は……。

ロンドン・ブリッジ駅のお隣にある、西ヨーロッパ一高いビル、シャードの展望階が2月1日にオープンしました。

詳細は、CREA Webのコラム(こちらをクリックするとコラムに飛びます)に書かせていただいたので、そちらをご覧いただくとして、こちらでは、年末年始に東京に帰った際に訪れたスカイツリーとのプチ比較をしてみたいと思います。

まずは、展望階からの風景を。

スカイツリー、350メートルからの風景がこちら。

ちょっと霞のかかった朝でした。

日本にお住まいの方には、「ふーん」という感じの風景なのかもしれませんが、ここまでどこまでも建物が続く風景というのは、海外にはあまりないので、これを見せると外国の方はたいてい「Wow!」という反応をみせます。まるでレゴの街のようです。

続いてこちら、シャード、244メートルからの風景です。

霞がかかっているだけでなく、窓ガラスが…ちょっと…。

タワーブリッジと、その右下にある丸いドームのようなかたちをしているのが、ロンドン市庁舎です。シャードもスカイツリー同様、ぐるりと360度見渡せるので、ロンドンの概要を知るにはもってこいの場所だと思います。前々日に降った雪がビルの屋根にちょっと残っているのがわかるでしょうか。

それにしても、東京と比べると、ロンドンってアッサリした風景ですよね。

意外な共通点がこちら。

これ、なんでしょう?

こりゃ、なんじゃ、という感じだと思いますが…。

こんなふうになります。

こちら、シャードのエレベータの天井です。四季を表現する映像が天井に映し出されるのです。この写真は秋の落ち葉を表現した映像です。これ、確かスカイツリーも四季がテーマになっていたような記憶があります。

違うのは、スカイツリーは4基のエレベータに、それぞれ春、夏、秋、冬と季節が割り振られていたと思うのですが、シャードは上に上がるまでに4つの季節を通り抜ける点でしょうか。

バカと煙はなんとやら…と言いますが、私に限って言えば、まんざら嘘でもなさそうです。