20.3.12

電話が鳴り止まなかった17年前のあの朝から。



ちょうどこれを書いている1時間ほど前、日本時間の3月20日午前8時ごろに、霞ヶ関駅では恒例の慰霊式が行われたという。地下鉄サリン事件が起きて、今日で17年ということだ。

あの朝のことは、いまでも鮮明に覚えている。朝、会社に着いたら、すでに、テレビで事件を知った関係者の方から私たちの無事を確認するための電話が鳴りっぱなしだった。幸いなことに、私が働いていた編集部の人間で被害に遭った人はひとりもいなかったが、全員、似たような時間帯に地下鉄を使って通勤していたことを考えると、これは不幸中の幸いだったと言うべきだろう。

1995年という年は、1月に阪神・淡路大震災があり、3月にこの地下鉄サリン事件があり、物理的にも精神的にも日本全国が揺れに揺れた年の始まりだった。私はこの年の8月の終わりにロンドンに来たのだが、それは、このふたつの出来事とまったく因果関係がなかったとは言い切れない。

このふたつの出来事は、絶対の安全を約束された場所なんて、この世の中にはどこにもない、ということを証明してくれたし、そこには少なくとも「海外なんて危ないから」という引き留めの言葉を、両親に飲み込ませるだけの力があった。

なにはともあれ、そんなふうにして、ロンドンに来てからも、95年に日本で起きたふたつの出来事が特別なことじゃない、と思い知らされるようなことがいくつかあったなぁと思う。

海の向こう側で起きた9.11のような大きな事件はもとより、99年にSOHOで起きた釘爆弾事件は、会社から歩いてわずか10分ほどの距離で、救急車とパトカーの不穏なサイレンのなか、家に帰ってテレビをつけたら、昼時にのんきにお弁当を広げていた公園が、血まみれの人々の一時救出場所に早変わりしていて、背筋が凍ったり。

2005年の同時多発テロや、昨年の暴動など、ロンドンもこの17年間にいろんなことがあった。私たちは世界中のどこにいても、あまりに不安定な椅子の上に腰を下ろしている。でもそれは、生が死を内包している限りは、そして「死」に接近することをリスクと呼ぶのであれば、仮にこの世にテロがなかったとしても、地震がなかったとしても、放射能がなかったとしても、「誰も」そこから逃れることはできない。

すごく当たり前のことなのに、ときどきヒステリックな論調のなかに、「もしもし、お忘れかもしれませんけど……」って、肩をとんとんしたくなることがある。

実は、いとうせいこうの「ワールズ・エンド・ガーデン」という小説を数日前に急に読みたくなって、本棚から引っ張り出してきて読み始めた。91年のバブルの真っ最中に出版された小説で、東京の一部を地上げ屋が買い上げ、トレンドセッターがイスラム教をファッションとして使って「ムスリムトーキョー」と名付け、地価を引き上げようという試みを縦軸に、宗教、ドラッグ、同性愛、バイオレンス、精神破綻といったお決まりの横軸が絡んでいく。

20代前半で読んで、自分自身のなかではいままで読んだ小説のなかで「おもしろかったベスト10」に入る、と思っていたこの小説を、私はついに最後まで読み通すことができなかった。

メンタリティがあまりに浅く、バブリーで、おそらくこれを読んだときの自分こそ、「人は誰でもいつか死ぬ」ってことを忘れてたんじゃなかろうかと思ってしまう。永遠に生きられる人なんてどこにもいないのに、なにか価値観がおかしい。

この時代の恩恵を甘受した記憶はあまりないけれど、バブルな価値観は音もなくあらゆる毛穴から侵入してきて、私もきっと知らないうちに冒されて、麻痺していた部分があったのだろう。そして、きっと、これは、私だけじゃなかったんじゃないかな。

長いか短いかは自分でコントロールできることじゃないけれど、いつか終わる人生なのだから、ささやかでも美しいものであってほしい。私のも、あなたのも。

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