19.3.13

トリエステのこと。

生活のにおいがちゃんとするトリエステ。

20代前半の一時期、2、3日休暇をとっては、ひとりで神戸に出かけていました。

なにをするでもなく、ただひたすら、海と山にはさまれた坂道を歩きまわって、ぼんやり過ごすだけだったのですが、振り返ってみると、仕事ばっかりの日常で疲れた心を休めるのには、必要な時間だったのかなぁ、と思います。

先日、いくつかの偶然に導かれて、トリエステに行ってきました。そのいきさつについては、また改めて書きたいと思いますが、この旅を決めたときには予想していなかったいろんなことが重なって、出発の朝の私は、心身ともにかなり疲れた状態にありました。この旅を決めたのは無謀だったかな、とちょっと後悔の気持ちすらあって、なかなか気分が上がらなかったのですが、それはあくまで、空港から街に向かう道で海を見るまでのこと。

トリエステは、アドリア海に面し、すぐお隣はスロヴェニア、というイタリアの端っこにある海辺の街です。第一次大戦までは、オーストリアの統治下にあったため、「ウィーン風の街」と形容されているのをときどき目にしますが、私自身はウィーンに行ったことがないので、よくわかりません。ただ、ほかのどの土地とも違う、独特の時間軸と坂道と壁のある街、というのが私の印象です。

海と山にはさまれた坂道を、細い路地から路地へと、ここでもただひたすら特に目的もなく歩きまわっているうちに、神戸の坂道をひとりでうろうろ歩きまわっていた20年前の自分と、いまの自分が、カメラのピントがゆっくり合って、ひとつの絵を結ぶみたいに、重なってゆくのを感じました。

いいか悪いか、幸か不幸かは別として、いろんな出来事があってバラバラになりそうになっても、人は決してちぎれることはないし、過去といまはどこかでしっかりとつながっている。そんな確固とした、泣きたくなるような手応えを、いくつか得られた旅でした。

「つながっている」といえば、時間軸もさることながら、空間に関しても思うところがありました。

今回、ネットを頼りに、そこそこ評判もよく、値段もリーズナブルなホテルを予約したのですが、このホテルが素晴らしかったのです。シンプルだけどセンスよく、地元のアーティストの作品や、おそらくご主人のコレクションと思われるアンティークのコーヒーメーカーで飾られた、家族経営のホテル。いまどき珍しくレコードプレーヤーがラウンジで音楽を奏でる、この小さなホテルの廊下には、わずか2週間前に私も足を向けた、パリで開催中の「メキシカン・スーツケース」の写真展のポスターが貼ってありました。

思わず、指を差して「わぁっ!」と大声をあげてしまい、「これっ、行きました、2週間前にっ」と自己申請すると、「おぉ、素晴らしい」とご主人もニコニコ。「ぼくも先週の金曜日に行ったんですよ」と。

1週間の時間差で、パリで同じ写真展を観た私とご主人が、いまトリエステで、こうしてひとつのポスターを見ながら横に並んで話している。たいしたことじゃないのかもしれませんが、やはり世界はつながっているんだなぁと、ひとり勝手に、感慨深く思った瞬間でした。

このホテルについては、再度ゆっくり訪れて、ご主人のお話ももっと聞いてみたいと思っているので、いつの日か改めてちゃんとご紹介したいと思います。

「トリエステに年に何回か来られるなら、もう一生パリには行かなくてもいいです」という、大胆かつ意味不明なSMSを送って、夫をドン引きさせた私ですが、客観的に考えると、これといった観光名所もないこの街が、万人にうけるかというと、それはちょっと違うかな、とも思うのです。ブランド・ショッピングをしたい人には、まず向いていないし、博物館、美術館をまわりたい、という人にも向いていないし、世界各地のお料理が食べてみたい、という人にもおもしろくない場所だと思います。

でも、少なくとも、古いフィルムのカメラを首からぶらさげて、ばかみたいに日がな一日、生活のにおいのちゃんとする路地から路地へと、ただひたすら歩きまわるだけで幸せで、そして、そんな時代遅れで洗練されていない自分が、決して嫌いじゃない、という方なら、一度は足を向けてみるのもよいかと思います。

ちょっとひと休みさせてもらった感のある、数日間でした。


トリエステの写真はこちらにも少しアップしました。ご興味のある方はどうぞ。



7.3.13

「giorni」春号

リサ・ラーソンさんのネコ柄ティーマットが付録についています。


久しぶりに、日本の雑誌にまとまった分量の原稿を書かせていただきました。

ロンドンの緑とお茶がいっぱいの、春らしい一冊です。

書店で見かけたら、ぜひお手にとってご覧になってみてください。

3.3.13

ヴァンサンさんのカメラ・ショップ。

「メキシカン・スーツケース」の写真展を観るために、パリにさっくり行ってきたのですが、パリでの出来事をもうひとつだけ。

昨年、お友だちのお父様が使っていたという、フィルムの古いカメラを譲り受けました。レンズのカビを掃除してもらったり、オーバーホールに出したり、それなりにお金はかかりましたが、知人の写真家の方にも「それは名機だよ、ちゃんとメンテすればずっと使えるよ」と言われて、気をよくして使っていたのですが、こんなことに。

フィルムを巻き取るハンドルが取れちゃったのです。

フィルムを巻き取るハンドルが取れてしまったので、なくさないように保管しつつ、必要な時だけ上にくっつけてフィルムを巻き取り、その場その場をしのいでいました。

ところが、パリでいつものように撮り終わったフィルムを巻き取ろうと、上にハンドルをくっつけて回せども、くるくるくるくる空回りするばかり。これはもう、ダメになるのを承知のうえで、蓋を開けてシャーっと取り出すしかないのだろうか……と、お先真っ暗な気持ちになっていたところ、はっと思い出したのが、お友だちのまぁちゃん(まぁちゃんのブログはこちら。写真の好きな方は必見です)が連れて行ってくれた日本街のカメラ屋さんです。

和食屋さんや日本の食材屋さんが並ぶ、rue Sainte Anneの北側にあります。
ちなみに看板はおそらく昔ここにあった店の名前で無関係です。

こちら「Photo Vincent」という名前のとおり、ヴァンサンさんのカメラと写真のお店。ここに朝からどたどたと、フランス語をまったく話せない日本人の私が、厚かましくも「助けてぇぇ」と飛び込んでいったわけです。

ひととおり、カメラをあちこちいじっていたヴァンサンさん、なにやらいろんな引き出しを開けて、なにかを探している様子。なんでも、カメラの巻き取りを司るパーツがひとつなくなっていて、普通に巻き取ることはできない。そこで店の奥にある暗室でフィルムを取り出すにあたり、黒いフィルムのケースが必要、とのこと。新しいフィルムの箱を開けてみたものの、それも半透明で「うーん」と考えていましたが、「仕方がない、半透明のケースに紙を入れて保護します。ちょっと待っててね」と、どこの馬の骨ともシャモの骨とも知れぬ私をひとり店に残して、奥の暗室に消えてしまいました。

5分後。

もとのフィルムのパトローネに、取りだしたフィルムをちゃんと戻して、ヴァンサンさんは暗室から戻ってきました。素晴らしいっ!! 拍手喝采です。

その後も、カメラをいろいろチェックしてくれて、とりあえず使えるように(次に入れるフィルムも巻き取れるように)してくれました。その間テストで、お店に置いている未使用のフィルムを入れてくださったり、またそれをムダにしてしまったりしたので、ぜひいくらかお支払いしたかったのですが、「お金は要らない」の一点張り。

なんとかヴァンサンさんのビジネスにもなるようにしたくて、「じゃあ、このいま救ってくださったフィルムの現像とスキャンをお願いします」とお願いしました。が、そこで急に「ケッ、こんなろくでもねえ写真のために、あんな大騒ぎしたのか、ちきしょうめっ」と現像液をひっくり返すヴァンサンさんの姿がフッと浮かんで、「あの、大した写真じゃないけど、1枚くらいいいのがあるかもしれないので。すみません」とあらかじめ謝ってしまいました。私の想像が本当にならないことを祈るのみです。

さて、こちらのお店、新品とセカンドハンドの各種カメラを置いていますが、特にライカの品揃えがよいようです。

ライカがいっぱい♡

フィルムの現像は、カラーだと2、3日、モノクロだと1週間とのこと。カメラ好きの方には、おすすめのショップです。

私のフィルムを救ってくださったヴァンサンさん。静かな物腰のジェントルマンです。

Photo Vincent
67 rue Sainte Anne 75002 Paris
www.photo-vincent.com

<営業時間>
月〜金 10:00〜19:00
土 10:00〜14:00














メキシカン・スーツケースをめぐる旅。


昨年の秋に観た映画「Mexican Suitcaseの写真展が、パリのMusée d'art et d'histoire du Judaïsme227日より始まりました。


写真展が開催されている美術館の中庭

この写真展、私が昨年調べた限りでは、ロンドンに来る予定がないようでしたので、ユーロスターでひとっ走り(2時間半)、弾丸のごとくパリに行ってきました。写真展に加えて、普段はメールやSNSでしかやりとりしかできない、遠方のお友だちにもしっかり会えて、一秒も無駄にしてなるものか、とばかり、機関銃のようにしゃべって、本当に楽しい充実した時間を過ごしたのですが、こちらのブログでは、この写真展について、少し紹介したいと思います。

日本でも沢木耕太郎さんのNHKのドキュメンタリーや、東京で行われた写真展でご存知の方も多いと思いますが、「Mexican Suitcase」とは、ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デイビッド・シーモアの3人がスペイン市民戦争で撮影したネガ4500枚の入った箱を意味しています。長い間、行方不明になっていて、キャパの弟であるコーネル・キャパが探していたこの箱が、メキシコで見つかってコーネルの手に渡ったのが、2007年12月のこと。2011年5月のNYを皮切りに、これらのネガの内容を紹介する写真展が世界中をツアーしています。

とりたてて戦場写真というジャンルそのものに、関心があるわけでも、特別キャパの写真のファン、というわけでもないのですが、一度は失われたこの歴史的な写真が、70年もの時を経て人々の目に触れることになったそのいきさつに感動してしまい、これは絶対にこの目で観なければ、と思ったのです。

これらのネガを救ったのは、キャパと一緒にハンガリーからパリに移民としてやってきた、キャパの幼なじみであり、後に彼の暗室担当となるチーキー・ウェイジという人物です。このときと前後してキャパ自身は、スペインから直接メキシコへ移動していたはずで、これらのネガを預かっていたチーキーは、ナチスの侵攻を前にして、ネガの入った箱をリュックサックに詰めて、自転車で港に向かい、南米に行く船に乗ろうとしている人に託したのでした。

ネガの行方を追っていたキャパの弟、コーネルからの問い合わせに対する、チーキーの返信の言葉を借りるなら、チーキーはネガの入った箱を持って、パリのスタジオからメキシコ行きの船に載せるために、自転車でボルドーに向かった、らしいです。そして、途中で出会ったチリ人にMexican Suitcaseを預けた、とのこと。しかし、ほかの文献などでは、マルセイユに向かった、とか、預けたのはメキシコからの駐フランス大使だったという話もあり、正確なところはわかりません。いずれにしても、自転車でパリから港に向かって、誰かにこれらの箱を渡し、Mexican Suitcaseはめでたくナチスの目を逃れて海を越え、南米に渡った、というのは間違いないようです。

チーキーは、その後、モロッコの収容所に送られ、やがてメキシコに移民として渡ります。以来、メキシコから一歩も出ることなく、2007年1月、メキシコでその一生を終えたのだそうです。奇しくも、Mexican Suitcaseがコーネルの手に渡ったのは、同じ年の12月。チーキーの死からわずか11ヵ月後のことでした。

Mexican Suitcaseをとりまくストーリーのなかで、私が一番関心をもったのが、ほとんど光を当てられることのない、このチーキー・ウェイジという人物です。

キャパの活動と、パリで彼を取り巻いていた人々を紹介する「Robert Capa: The Paris Years 1933-1954」という本を開くと、冒頭に、チーキーが撮影したパリの子どもたちの写真が2点掲載されています。たぶんしゃがみ込んで撮ったのでしょう。そのうちの一点は子どもの目線よりも低い位置から撮影された写真で、ふたりの少女がよそいきの洋服を見せびらかすように得意げに微笑んでいます。

キャパと同じ、ハンガリー生まれのユダヤ人であり、キャパと同じく撮影者でもあったチーキー。託された幼なじみの撮った写真の重要性を知っていたからこそ、それを、おそらく命がけで救おうとしたこの人物が、単に「Capa’s darkroom manager」とか「Capa's assistant」と紹介されているのを見るたびに、心のなかでなにかアンフェアなものを感じてしまうのは、私だけでしょうか。彼がいなかったら、世間の目に触れることのなかったであろう、この写真群を、私はチーキーへの敬意をもって、ぜひ見たいと思ったのです。

さて、写真展では、写真家別にまとめて写真を紹介していて、誰がどれを撮ったのかが非常にわかりやすい構成になっていました。すべての説明文が仏英2ヵ国語で表記されていたのも、ありがたかったです。

戦場写真だけに、当然ながら血まみれで倒れている兵士とか、衝撃的な写真も数多くありましたが、当時の村人の様子や、全壊した建物の傍らで、瓦礫を積み木のように積み上げて遊ぶ子どもたちの写真もあり、戦争が戦闘に加わっていない人々の生活に与えるインパクトまで、伝わってきます。スペイン市民戦争について、スペインのお年寄りは多くを語りたがらないそうですが、後日映画や文献などで知るごとに、ひょっとしたら「語りたがらない」のではなくて、「語れない」のではないかと思ってしまうくらい、混沌とした戦争だったようです。

ネガのベタ焼きの展示がたくさんあって、これをじっくり観たかったのですが、最近、坂道を転がり落ちるように、老眼に向かって突っ走っている私の目には小さすぎて、正直なところ苦しいものがありました。「ああ、虫めがねを持ってくるべきだった!」と何回ため息をついたことかわかりません。なので、ちょっとでも不安を感じる方は、ぜひ、虫めがねを持参されることをおすすめします。

展示写真を通してみて、改めて思ったのは、この3人の写真家は、報道に携わる人、というよりは、やはりファシズムと戦う、カメラを持った政治活動家だったんじゃないかな、ということです。それがいいとか悪いとか、そういうことではなくて、写真というものは目的じゃなくて、手段なのだ、と再認識させられるところが大きかった、というか。非常に興味深い写真展ではありました。

こちら、630日まで、Musée d'art et d'histoire du Judaïsmeにて開催中です。ご興味のある方は、ぜひ足を運んでみてください。そして、写真展に足を運ばれたら、これらの写真の背後に、74年前、港まで自転車を走らせたひとりの人物がいたことも、ちらりと思い出していただけたら幸いです。

さて、パリに来たからには、一応見ておかなければ、ということで、キャパのスタジオのあった場所にも行ってみました。このビルの「セカンド・フロア」にキャパとゲルダは住み、仕事をし、そしてチーキーは、ここから港に向かって自転車を走らせた、ということになります。この場所が、キャパが一生のうちで賃貸した唯一のアパートメントなのだそうです。1階に葬儀屋さんが入っているのも納得で、実はこのビルのお向かいには、道路に沿うように細長い墓地がありました。


キャパやタローがスタジオ兼住居として使っていたアパートメントは、このRue Froidevaux沿いにあります。
これと平行して一本南側には、ダゲレオ・タイプという写真の技法を完成させた
ルイ・ダゲールにちなんだダゲール通りがあるのも、不思議な縁です。

キャパのスタジオがあった37 Rue Froidevaux。スタジオがあったのは、このビルの2nd Floorだったそうです。
(ここでいうセカンド・フロアが3階にあたるのか、2階にあたるのかは不明ですが…)

そして、キャパのスタジオの向かいの墓地ではありませんが、ゲルダ・タローのお墓にも行ってみました。ショパンやモディリアーニやオスカー・ワイルドなど、華々しい面々がどっさりと眠る名門(?)墓地ペール・ラシェーズだけあって、入り口の案内図にゲルダの名前は見つかりませんでした。

でも、墓地のウェブサイトで調べたところ、ゲルダがどの区画に眠っているのかだけはわかっていたので、時間が許す限り、端から見て探してみよう、と思っていたら、意外とあっさり見つかりました。端の方にいてくれて、ありがとう、という気持ちです。

スペイン市民戦争に従軍中に、トラックに轢かれて亡くなったゲルダの遺体は、フランスが国をあげて英雄扱いで運んできたと、ものの本で読んで、どんなお墓がつくられたのだろう、と思ってはいたものの、この派手さのひとつもない静かな墓石、カメラを武器に戦った女戦士にはふさわしいのではなかろうか、と、私の目には映りましたが、どうでしょうか。


とてもシンプルなお墓。鳥のくちばしは朽ちて落ちていました。

10.2.13

バカと煙は……。

ロンドン・ブリッジ駅のお隣にある、西ヨーロッパ一高いビル、シャードの展望階が2月1日にオープンしました。

詳細は、CREA Webのコラム(こちらをクリックするとコラムに飛びます)に書かせていただいたので、そちらをご覧いただくとして、こちらでは、年末年始に東京に帰った際に訪れたスカイツリーとのプチ比較をしてみたいと思います。

まずは、展望階からの風景を。

スカイツリー、350メートルからの風景がこちら。

ちょっと霞のかかった朝でした。

日本にお住まいの方には、「ふーん」という感じの風景なのかもしれませんが、ここまでどこまでも建物が続く風景というのは、海外にはあまりないので、これを見せると外国の方はたいてい「Wow!」という反応をみせます。まるでレゴの街のようです。

続いてこちら、シャード、244メートルからの風景です。

霞がかかっているだけでなく、窓ガラスが…ちょっと…。

タワーブリッジと、その右下にある丸いドームのようなかたちをしているのが、ロンドン市庁舎です。シャードもスカイツリー同様、ぐるりと360度見渡せるので、ロンドンの概要を知るにはもってこいの場所だと思います。前々日に降った雪がビルの屋根にちょっと残っているのがわかるでしょうか。

それにしても、東京と比べると、ロンドンってアッサリした風景ですよね。

意外な共通点がこちら。

これ、なんでしょう?

こりゃ、なんじゃ、という感じだと思いますが…。

こんなふうになります。

こちら、シャードのエレベータの天井です。四季を表現する映像が天井に映し出されるのです。この写真は秋の落ち葉を表現した映像です。これ、確かスカイツリーも四季がテーマになっていたような記憶があります。

違うのは、スカイツリーは4基のエレベータに、それぞれ春、夏、秋、冬と季節が割り振られていたと思うのですが、シャードは上に上がるまでに4つの季節を通り抜ける点でしょうか。

バカと煙はなんとやら…と言いますが、私に限って言えば、まんざら嘘でもなさそうです。

23.1.13

イギリスの小さな教会

今日、とても嬉しいことがありました。

麻衣さんの本。50の素敵な教会が紹介されています。


お友だちのイラストレーター、大澤麻衣さんから、著書をいただいたのです。

麻衣さんが過去10年以上の間に訪れた教会のなかから、よりすぐりの50を選び、それぞれの教会の歴史的なストーリーが紹介されています。また本業である彼女のすてきなイラストもたっぷり、美しい写真とともにページを飾り、建築様式のお勉強にもなる、すてきな一冊です。

麻衣さんから「教会の本を出したいのだけれど、どう思う?」と相談されたのが、ほぼ1年前のこと。

出版のあてはまだ決まっていないにもかかわらず、もうすでに写真はすべて用意されていて、そして原稿の一部もすでに書き始めていた麻衣さん。10年間もあたためてきた企画の、その貴重な一部を、私に見せてくださったことにも、いたく感激してしまいました。

確かにニッチ・マーケットかもしれないし、大ベストセラーになるテーマではないかもしれないけれど、いままでにたぶんこんな本はないし、麻衣さんにしかできない本だし、「絶対出すべき」と一も二もなく後押ししました。

世の中の流行とか、業界の政治とか、そういうことに関係なく、地道に自分の仕事を積み上げていく人を、私は心から尊敬します。

そして、そういう人が私の身のまわりに少なからずいることが、とても幸せなことに思えるのです。

だからこそ、この本の実現は、私にとっても涙が出るほど嬉しいことでした。

私のような教会好きの方には、きっとたまらない珠玉の本だと思うので、ぜひお手にとって見ていただけたら、うれしい限りです。

16.1.13

2013年の初めに考えたいくつかのこと。


子どもの頃から毎年初詣に行く同じ神社に今年も行ってきました。

いま、日本からロンドンに帰る飛行機のなかでこれを書いています。
ここ数年、年末年始は日本で過ごす習慣になっていて、今年も例にもれず、日本でお正月を迎えました。

昨年9月に里帰りしたときには、なんかよそよそしいなぁ、と思った、自分の生まれた国ですが、今回はそういうセンチメンタリズムに襲われることもなく、なんだか健やかに、そしてやっぱりどこに行っても安全地帯はあるなぁと、ちょっとほっとする思いが強かったです。

というのも、3週間近く日本にいながら、自分の行動範囲がかなり限られていたせいが大きい。私がいまの日本に帰って感じる違和感の大半は、お店やサービス機関で見られる奇妙な画一化、フォーマット化にともなうところが大きいからです。具体的に例を挙げるなら、電車のワゴン販売の、「お弁当にサンドイッチ〜」という男女の別なく甲高い声とか、おつりを渡すときに、どういう意図か左手を相手の手の下に添えてみたりとか、服飾関係のお店にありがちな「ゴランクダイサマセー」という宇宙人的な声とか、これはほんの表層的な一部にすぎませんが、そういった意味のない(と私には思える)画一性です。

これって、実は画一化した表層的な部分を嫌っている(というのもあるけど)、というよりも、その裏側にある、フォーマット化されたことは自動的にこなせるけれど、実は自分の頭で考えてないんじゃないか、またはもっと言うなら、自分の頭で考えることを、もはや社会が必要としてないんじゃないか、と思えて、そこに空恐ろしさを覚えるのです。

1980年代、村上春樹さんのデビュー作のなかで、登場人物の「鼠」が金持ちのことを「懐中電灯とものさしがなければ自分のケツも掻けない」と(たしか)形容していたのが頭に浮かびます。マニュアルは暗唱しているかもしれないけれど、自分の言葉でしゃべっていない。自分の頭で考えていない。ただ、一定の流れに沿ったプログラムで、自動的に答えを割り出して音声化していくロボットのように。

と、長々辛気くさいことを書きましたが、そんなわけで、あぁ、日本人は懐中電灯とものさしがなければ、自分のケツも掻けなくなってしまったのだろうか、と、ここ数年は帰国のたびにやや暗澹たる思いを抱えていたわけです。

「安全地帯」と前述しましたが、今回は昔から見知った多摩地区のごく一部と、毎年新年に訪れる軽井沢の友人家族のところに行っただけで、ほとんどその外に出ることがなかった。創業1954年の喫茶店で「イラッシャイマセ、コンニチワー」のマニュアル声を聞くことはないってことなんですよね。行く場所さえ誤らなければ、避けて通れるというか。ものごとの根本的解決には、まったくなっていない、という「最重要課題」を度外視すれば、私にとっては快適に時間を過ごせる術だなーと、いまさら思ったわけです。臭いものにフタ、見て見ぬ振りの「汚い大人」なやり方なのかもしれないけど。でも少なくとも、安全な場所はまだある、というのは、ある種の救いに思えるのです。

そして、この安全地帯では、昔と同じようなコミュニケーションが残っているなぁ、と。それは実に収穫でした。

安全地帯のふるーい喫茶店。

なによりも今回の帰国で意義深かったのは、私が尊敬する表現者の方に、17年ぶりでお会いできたことです。きっちり17年分お年を召していらっしゃったけれど(それは私もそうなんですけど)、以前と同じく、表現者としての美しいスピリットを感じて、「表現者のあり方」について深く考えるきっかけになりました。これについては、私のなかで、まだ混沌としている部分があるので、また改めて書きたいと思います。

ただ、2013年に向けて、自分が表現すべきことを怠惰に陥らずに、ちゃんと「自分にとって正しいかたちで」表現する、その努力を絶対に惜しんではいけない、と強く強く思った年の始まりでした。1年の終わりに、しっかり顔を上げて「2013年もいい年だった、ありがとう」と、思えるように、きっちり悩んで努力していきたいと思います。

最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

※オマケで、日本の雪の写真など、いくつか。

玉川上水の雪景色。


いい笑顔。


久しぶりの東京のドカ雪体験でした。


びしゃびしゃになったけど、楽しかったです。

22.12.12

ロンドンのクリスマス風景(2)

いよいよクリスマスまで秒読みですね。

ようやく、ロンドンのクリスマス風景、第2弾、すべり込みで、だーっと写真でお届けします。

まず、すごーくローカルなのですが、私の住む街の近く、ノース・フィンチリーのクリスマス風景から。

クリスマス・リースの屋台が出ていました。


街のスクエアに、なにやら子どもたちが集まっているなーと思ったら、こんなイベントが。

順番に写真を撮るだけ…?のようですが、「だけ」とか言っちゃいけませんね。
きっと子どもたちにとっては大イベント!

つづいて、ちょっと都会へ。マリルボン・ハイストリートに向かいました。

ちょっと変わったマテリアルを使ったリースとか。


この通りのイルミネーションもすてきでした。

シンプルなのに、ほっこり暖かい感じ。


ショーウィンドウも、クリスマス色に染まっていましたよ。

奥に引っかかっているサンタさんの忘れ物がかわいいです。


さて、南に向かって、セント・クリストファー・プレイスへ。


いつものぼんぼりも、普段以上にキラキラしているような? 気のせいかも、ですが…。


さらに、南にずんずん歩いて、オックスフォード・ストリートへ。

話題のマーマイトをもう一度。


そして、リージェント・ストリートはこんな感じです。

シンプルだけどキレイですよね。


さらに南へ。サウス・モルトン・ストリートへ。

さすがクリスマス前の賑わいです。


ふと脇の壁を見ると、不審な人影が…。

パンツから必死さが伝わってきます…。


さらにずんずん、トラファルガー・スクエアを目指します。

こちらはジャーミン・ストリートの素朴なイルミネーション。


いよいよ、目指すトラファルガー・スクエアへ。

ツリーが高すぎて(というより、もっと広角のレンズをもっていけばよかったんですが)、
ツリーの頭がきゅうくつそうですね。むぎゅー(笑)。


ロンドンのクリスマスの風景といえば、やはりこの風景かな、と思います。この日は、ツリーの前でキャロルを歌う団体がいました。

あまりに寒くて、温かい飲み物を求めてウロウロしていたら、店じまいした後のカフェの前の屋台で、モルトワイン(スパイスなどを入れたホットワイン)を売っていたおじさんが、ワインも売り切れたようで、仕舞いじたくをしているところでした。

だめもとで、「コーヒーとか紅茶とか、ないですよね?」って聞いたら、「そんなんないよー、もう終わりだし…」と言いながら、「紅茶でいいの?」と。「寒いよね、特別だよ」って、一度は店じまいをしたカフェの電気をつけて、紅茶をいれてくれました。

思いがけないクリスマス・トリートに、心も身体もほっこりあたたまりました。ありがとう、ありがとう。

       ☆☆☆

さて、このブログも、これがクリスマス前の最後の更新かと思います。




Peace on Earth.

あなたのもとにもすてきなクリスマスが訪れますように☆

14.12.12

ロンドンのクリスマス風景(1)

11月にだらだら余裕を出していたツケは、しっかりモレなくまわってきて、さすがの師走、公私ともども人並みに忙しい日々がやってきました。

街は、クリスマスの飾りつけがすっかり揃って、キラキラ華やかな様子。年末の締め切りやら、休暇明けの仕事の段取りやらに追われて、風景を楽しめる心の余裕のないときに限って、ふと振り返れば、いつもと違う景色が広がっているというのに…世の中、とかくそんなものです。

さて、愚痴を言っていても仕方がないので、できる限り目を見開いて、街の様子を写真でお届けします。

まずは、コベント・ガーデンから…。

水が流れるようにライトの色が変わる、ロング・エイカーのシンプルな飾り。

ロング・エイカーから北に向かう小道の飾りつけ。花火のようです。

お次は、冬になるとスケート・リンクが設置されるサマセット・ハウス。

なかなか立派なツリーです。

上手な人は上手なんですよね…。ふだんどこで練習してるんでしょう。

こちらはお子さま用リンク。このペンギンがいれば、私も滑れそうなんですが…。


つづいて、ちょっと話題のオックスフォード・ストリート。

賛否両論のマーマイトのクリスマス・イルミネーション。まぁ、ユーモアがあっていい、と私は思うのですが…。


去年はレゴでできたツリーで話題になったセント・パンクラス駅のツリーはこんな感じ。

この丸いのは、オリンピックにからめて、ゴールドメダルっていうことらしいです。


このブログでは登場頻度の高い、ハイゲイト・ウッドの森のなかのカフェも飾りつけの最中でした。

お客さん用のテーブルに散乱している飾りつけグッズ。

ドアのところに、こんな飾りつけがつきました。


カムデン・タウンのお花屋さんのストールにもクリスマスのリースがいっぱい。

カオスな落書きがカムデンらしいです。


北ロンドン、マズエル・ヒルの雑貨屋さんや、ウィンドウも。

この星の飾りつけ、シンプルに見えますが、手が込んでいてキレイですよね。

束ねられてリボンで結んであるだけで、もうクリスマス、という感じ。

クリスマス前に、あと一度は、またクリスマスの景色をお届けできたらいいな、という願いをこめて、今回は(1)にしました。そうそう、トラファルガー・スクエアのクリスマス・ツリーも見てこなければいけませんし。

最後に、直接クリスマスっていう感じではありませんが、ちょっと暖まりそうなこんな写真を。

暖炉の光って、見るからに暖かい色をしていますよね。

2.12.12

「加藤節雄写真クラブ」会員写真展

ちょうど去年のいま時期に、このブログでもご紹介した「加藤節雄写真クラブ」会員写真展(←クリックしていただくと、去年の記事に飛びます)、今年もその時期がやってきました。

そして、なんと、去年はただ写真展の見学者のひとりだった私も、10月からこちらの写真クラブに加えていただき、新参者にして厚かましくも、一点写真を展示させていただいています。

日本食レストラン、Soho Japanさんの地下のファンクションルームにて、私の写真はさておき、ほかの会員の皆さんのとっても個性的ですてきな写真が並んでいますので、お近くを通りかかられた際には、ぜひお立ち寄りいただければと思います。

なんと最初のお客さまは、たまたまレストランにいらしていた、
某有名ギャラリーのディレクターさんでした。

レストランの地下ですが、飲食せずに写真展をご覧になるだけでもOKだそうです。レストランの方に、一声「写真展を観に来ました」とお声かけいただければと思います。

「加藤節雄写真クラブ」会員写真展
Soho Japan
52 Wells Street, London W1T 3PR
http://www.sohojapan.co.uk

営業時間
12:00〜14:30/18:00〜22:30 (土は夜のみオープン)
日曜定休


こちらの会場の階段の踊り場には、前回の写真クラブの定例会に提出した、私の林檎の写真(こちらの記事からの一点です)も飾っていただいています(1月中旬まで)。こちらもよろしかったら、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。



28.11.12

Ode to My Family

人の記憶の引き金、というのは、本当のところ、どこに潜んでいるのかわからない。

夕食のあと、なんとはなしに見ていたFacebookに、知人が出張先のドバイの夜景の写真を載せていた。「宝石を見ていたら、(知らない)おじさんにニーハオと話しかけられて、なぜか早く結婚するように説かれた」と書いていた。その夜景と文章を見ていたら、なんだか心の中のなにかに重なるものがあった。それがなんなのかは釈然としない。けど、気持ちは海を越えて、新宿の夜景のなかを歩きまわり、過去の記憶をノックし始める。

考えてみたら、予兆はあったかもしれない。

先週、父の命日があり、その前日に若い頃にお世話になった方が、父と同じ69歳で亡くなったことを知った(69歳。若い。70を超えるまで死んじゃいけない、っていうきまりをつくってほしいくらいだ)。アメリカに住む夫の親戚から、大昔にアイルランドで撮影したらしい夫の父親の若い頃や祖父、曾祖父、曾々祖父の写真が送られてきた。今日は、夫の弟から、彼が自宅でレコーディングしたCDが送られてきた。夫が25年以上前の自分の写真をどこかから見つけてきた。

記憶は、新宿の夜景から、ターフのにおいのするアイルランドをめぐり、夫の生まれ故郷であるバーミンガムの湿った空気のなかで立ち止まる。夫が見つけてきた古い写真のなかには、黒々とした髪の毛の若者がいる。「男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね」とは、夫の母親の葬儀のときに読み上げられた、彼女の名言をつづった詩のなかの一節だ。しんと静まった教会のなかに、くすくす、という笑いがもれた一瞬だった。

10年前のその日、私は東京にいた。中学の卒業20周年の大同窓会があって、それに出席するために4日間ほどの短い里帰りをしていたのだ。懐かしい顔に久しぶりにあって、とても楽しい時間を過ごして帰ってきた私を出迎えに、夫は空港に来てくれた。彼が「悪い報せがある」と言ったのはタクシーに乗り込む直前のことだ。「お母さんが亡くなったよ」と。

義母は、決して元気いっぱいの健康体、というわけではなかったけれど、特にひどい病気をしていたというわけではない。ただもともと心臓が強いほうではなかった。

あの年代のアイルランドの女性たちの大半がそうであるように、彼女も典型的なカトリック教徒だった。その日もふだんの日曜日と同じように、午前中にひとりバスに乗って、ミサに出席するためにいつもの教会に向かった。ひとつふだんと違ったのは、教会の前で倒れて、ミサに出席することがかなわなかったことだ。彼女はそのまま、神父さんの腕のなかで亡くなった。

私が義母と過ごした時間というのは、本当に限られたものだったと思う。知り合ってから5年ほどの間に、年に2、3回、バーミンガムに帰ったときに一人暮らしの彼女のフラットに訪ねていくだけ。私たちは当時から義妹の家に泊めてもらう習慣だったので、義母の元に訪ねて行くといっても、毎回2時間くらいのものだった。一番長くてもクリスマスのときに義妹の家で半日くらい一緒に時間を過ごすだけ。アイルランドの訛りがきつくて、当時の私には彼女の英語が半分くらいしかわからなかったというのもある(それを夫に言うと、訛りとは関係なしに、自分にも言ってることの半分くらいしか意味がわからないから、心配しなくていい、といつも言われたけど)。

子どもたちの間では、「お母さんは変わってるから」という空気があったのは、否めない。でも言葉もろくにわからない外国人の私にとっては、あたたかい義母だったと思う。クリスマスの暖炉の前で、お酒を一滴も飲めない私が「少しはお酒が飲めたら楽しかったのに」と言ったら、「お酒が飲めなくても人生を楽しめるのなら、お酒なんか飲む必要ないのよ」と真顔で言われたのをよく覚えている。

まだ乳児の頃に、家族全員がアイルランドから英国に移住することになったのに、なぜか、叔母(義母の母親の姉)のもとに預けられ、ひとりだけアイルランドに残った義母。そのまま叔母の家で、従姉妹にあたるその娘たちと姉妹同然に育てられたのに、13歳の年に突然、英国の実の家族のもとに連れ戻されたのだという。育ての親である叔母や従姉妹たちは、義母と突然離れることになり、胸を引き裂かれる思いだった、と、いまだにアイルランドに帰るたびに聞かされる。彼女たちの語る「かわいくて頑張り屋だったナンシー」と「ちょっと変わってるお母さん」の間の温度差がなんなのか、きっとどこの家でもそうなのかもしれないけれど、家族というのは、永遠の謎ではある。

今日、自分のコンピュータのなかを探したら、義母の葬儀のときに読み上げられた、前述の詩の全文が出てきた。彼女が亡くなる数年前に一時期入院していたことがあって、そのときに病院で出会った地元の詩人が、義母の言葉がおもしろい、と詩にまとめたものだという。彼女の言葉を集めたものだから、当たり前といえば、当たり前なのかもしれないけれど、義母という人を、端的によく表していると思うので、ここでも紹介したい。

   ◇◇◇


‘’Anne’s Poem’’ by David Hart

I’m like a spider, you know, when I write.

Washing on the line without pegs
Would be really amazing, the difference.
If you put your clothes on the hedges
the clothes would be alive with earwigs.
They can get into your ears, apparently.
I had an uncle who could talk the hind legs
off a donkey and move on to another one.

Fancy a cup of tea, poet?

It’s a shame men go bald, isn’t it?

When I close my eyes:
green fields and a blue sky.

Tom and Jack went out an brought in
a bottle of sherry, and Maura and me
we sat there and drank every drop.

Roses we were very fond of.
Wild Woodbine is delicious.
And Night-Scented Stock.

Woolworth’s was a halfpenny shop.
You could come into Birmingham
on a bus for a penny.
There were trolley buses along the Coventry Road,
trams on the Bristol Road
to the Lickey’s and those places.

A Brummie’s breakfast
was a cup of tea and Woodbine.

I liked Cerrigeen Moss with custard.
Blackberries? With little white worms inside?
It could have been a Friday
and you couldn’t eat them.
So there, that’s it.

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アンの詩(デイヴィッド・ハート)

私って蜘蛛みたいなのよ、知ってた? 書いた文字がね。

物干しに洗濯ばさみなしで吊された洗濯もの
きっと、その違いにはびっくりするわよ。
服を垣根の上にのせておいたら、
ハサミムシのせいで、生きてるみたい。
ハサミムシ(※1)って耳に入ってくるらしいわよ。
うちのおじさんっていうのは、
ロバの後ろ脚が折れちゃうくらいのおしゃべりで、
ずーーーっと話し続けられる人なのよ。

紅茶はいかが、詩人さん?

男の人が禿げちゃうのって悲しいわよね?

目を閉じれば
緑の野原と青い空。

トムとジャックが外に出て、シェリーを買ってきてくれて、
モーラと私は、ただそこに座って、最後の一滴まで飲んじゃった。

私たちが大好きなバラの花。
スイカズラは、とってもおいしい。
あと、夜に香るストックも。

ウールワース(※2)は、ハーフ・ペニー・ショップだったのよ。
バーミンガムにだって、1ペニーで
バスに乗って行けたのよ。
コベントリー・ロードには、トロリーバスがあって、
ブリストル・ロードには、トラムが
リッキーズとかその辺のところまで走ってた。

バーミンガムっ子の朝食は、
紅茶とスイカズラだったの。

ケリジーン・モス(※3)とカスタードが大好きだった。
ブラックベリー? 白くて小さいミミズがついてるでしょ?
あれは金曜日だったのかしら
食べられたもんじゃないわ。

だからね、まぁ、そういうことよ。

※1 英語のハサミムシは「earwig」で耳(ear)に入ってくるという義母の説らしい。
※2 文房具や子ども服などを扱っている英国のチェーン店(数年前に倒産)。
※3 海草の一種。

   ◇◇◇

「若いというのは、それだけで美しい」と最初に言ったのはだれだったのか。いままでずっと、心のなかでそれに反発してきたけれど、やっぱり、男の人が禿げちゃうのって、悲しいわよね、お義母さん?

若かりし頃の夫。黒髪に天使の輪ができてる(涙)。