ウィンストン・チャーチルが亡くなったのは、50年前の1月24日、そして国葬が執り行われたのが6日後の1月30日だったそうです。
チャーチルといえば、「最も偉大な英国人」というアンケートでは常に首位を独占する、ふたつの戦争を主導(第一次大戦では海軍大臣、軍需大臣、第二次大戦では海軍大臣、そして首相として)、英国を勝利に導いた「ヒーロー」であることは、私がここで語るまでもありません。
没後50年ということで、英国では今年、さまざまなチャーチル関連のイベントやエキシビション、テレビ番組が企画されているのですが、そんななかで昨日放映されたBBCの「Churchill: The Nation's Farewell」で、興味深いエピソードがあったので、ちょっと書き留めておきたいと思います。
戦争が終わって2年後、1947年のある日、チャーチルが自宅の一室で絵を描いていたときのことです。
チャーチルが20歳のときに、40代の若さでこの世を去った父ランドルフの肖像画を模写しようとしていたところ、突然、部屋の片隅に誰かがいる気配を感じました。
赤いレザーのアームチェアに座っていたのは、彼の父ランドルフ。
ランドルフはチャーチルにたずねます。
「自分が亡くなったあと、19世紀の終わりからの英国はどうなったのか」
そこで、チャーチルは父にざっくりと、20世紀最初の数十年間に英国に起きた出来事、ボーア戦争、所得税の導入、第一次大戦などについて伝えるのです。
しかし、チャーチルが第二次大戦について口を開く前に、ランドルフは彼を遮って、こう言いました。
「お前が政治の道に進まなかったのは驚きだな。お前だったら国のためになにかできただろうに。もしかしたら、名を揚げることだってできたかもしれないぞ」
そう言い残すと、ランドルフはふっと消えてしまいました。
このお話は、チャーチルの死後、自筆のノートとして見つかったものだそうです。
父が亡くなるまで、よい関係を築くことができなかったチャーチルにとって、父親の存在は晩年になるまで心の深い部分にあったのかもしれません。
チャーチルが亡くなるまでの6年間、秘書を務めたという女性も、インタビューで「チャーチルの無意識の深い部分には、どうしたら父を喜ばせることができたのだろうか、という気持ちが死ぬまであったのではないかと思います」と語っていました。
どれだけ年をとっても、国のヒーローと謳われても、たったひとりの父親に認められることは、やはり特別なこと、なのでしょうか。ちょっと考えさせられました。
英国にお住まいの方に限られてしまいますが、この番組はあと29日間、BBCのiPlayerで観ることができます。上記のほかにも、へええ、と思う、興味深いエピソードが満載でした。
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