16.4.07

イギリスの医療

夫のおばさんの容態が思わしくなく、
週末はお見舞いに行ってきました。

彼女が入院しているのは、バーミンガムの公立の病院で、
つい2日前まで集中治療室にいたらしいのですが、
少し容態が安定したため、「High Dependency Unit」という、
一般病棟よりも一段階、ケアの集中度の高い病室にいました。

思ったよりも容態が悪く、私たちが来ていることにも
気づいているのかいないのか、微妙な状態です。
酸素マスク、栄養チューブ、検査用のチューブなどが
たくさんつけられていて、腕は哀れなほど紫色に変色していました。

イギリスでは、昔から「ゆりかごから墓場まで」
という言葉があるように、国の医療制度では、
お金を払う必要がありません。
一部のお金のあり余っている人たち、または、
プライベートの医療保険に入っている人たちを除いては、
ほとんどの人が、この国民医療制度を利用します。

お金があるなしにかかわらず、等しく医療を受けられる、
このシステムは、確かに素晴らしい一面を持っている、とは思います。

しかし、日本と違ってチョイスがないのは、
どうかと思うことがあるのです。
国民医療制度を利用している場合、
病院や医師を選ぶことは、ほぼできません。
そして、患者と家族に対する説明が
圧倒的に不足しているように思います。

例えば、このおばさんの場合、家族への医師からの説明は、
家族がせっついてせっついて、なんとかアポイントメントをとって、
ようやくなされる、という状態です。
しかもすべての検査が終わり、なにが悪いのかわからない状況、
手の打ちようのない状況、言い換えれば体力がなくなり、
死を待つしかない状況に見える彼女が、
決してターミナルケアを受けているとは思えないのも、
なんとなく納得のいかないポイントでした。

私の父が、数年前に日本で亡くなったときには、
医師からもターミナルであることを言われていましたし、
家族も本人もその心の準備をもって、最後のときを
なるべく快適に、自宅で過ごす努力をすることができました。

しかし、このおばさんの今の状況を見ても、
また、先日、肺がんで亡くなったお隣の男性の場合は特に、
ターミナルとしての過ごし方ではなく、
非常に苦しみながら、戦うだけ戦い続けて、
まるで線香花火の玉が落ちるように、
終わるケースが、多いように思えてなりません。

お隣の男性は、痛み止めのモルヒネを使うのを、
どこまで我慢してよいのか、迷っているうちに、
痛みに苦しみながら亡くなりました。
なぜ、医師が一言、「この状況ならモルヒネを使ったほうがよい」
とアドバイスしてあげないのでしょうか。

個人主義で個人の意思を尊重するのは、
この国の美しいところでもありますが、
自分ですらわからない自分の身体の問題は、
医師のアドバイスが絶対に必要なのではないかと思うのです。

それは患者本人にとってもそうですが、
いずれ残されることになる家族がトラウマを抱えないためにも、
国民医療はもう少しだけ踏み込んだケアをして欲しいと思います。

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